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廣宮孝信 ひろみやよしのぶ

Author:廣宮孝信 ひろみやよしのぶ
工学修士(大阪大学)、都市情報学博士(名城大学)。
2009年、著書「国債を刷れ!」で「政府のみならず民間を合わせた国全体の連結貸借対照表(国家のバランスシート)」を世に送り出した経済評論家、"国家破綻セラピスト"です。
「アイスランドは財政黒字なのに破綻!」、「日本とドイツは『破綻』後50年で世界で最も繁栄した」--財政赤字や政府債務GDP比は、国家経済の本質的問題では全くありません!
モノは有限、カネは無限。国家・国民の永続的繁栄に必要なのは、国の借金を減らすとかそんなことでは全くなく、いかにモノを確保するか。モノを確保し続けるための技術投資こそがカギ。技術立国という言葉は伊達にあるわけではなく、カネとか国の借金はそのための手段、道具、方便に過ぎません。
このように「モノを中心に考える」ことで、国の借金に対する悲観的常識を根こそぎ打ち破り、将来への希望と展望を見出すための”物流中心主義”の経済観を展開しております。”技術立国・日本”が世界を救う!
 お問い合わせは当ブログのメールフォーム(下の方にあります)やコメント欄(内緒設定もご利用ください)や、ツイッターのダイレクトメッセージをご利用ください。

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641:阪神大震災20年――私が「震度7直撃」の体験から得たもの:強烈な孤独感への対処方獲得への道筋

2015/01/18 (Sun) 16:26
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私は、格差拡大、それによる社会の不安定化の根本的原因は、

①国の借金に対する恐怖

②富を失うことに対する恐怖(=強欲)

という二つの恐怖だと考えています。

①の恐怖によって、各国は格差拡大による社会不安の増大を防ぎ、将来の生産能力不足を防ぐための投資を行うことができなくなってしまいます。また、この恐怖により、財政政策よりも金融政策に依存しがちになり、それは
国連開発計画の報告書によれば、金融の不安定化とさらなる格差拡大につながってしまいます。つまり、国の借金に対する恐怖(過剰な恐怖)を克服しない限り、これからも格差拡大は止まらず、各国の社会の不安定、世界全体の不安定はますます拡大してしまうでしょう。

②の恐怖によって、富裕層がますます富裕層により有利なルールを作ろうとして、資金を投じて政治家を支援し、それによってますます格差が拡大し、不安定化してしまう可能性があります。そうなると本来はその富裕層の皆さんの身を危険にされすことになるのですが・・・(それを身をもって示してくれたのが故カダフィ大佐と言えます)

恐怖とは本来、危険を回避するための生物が備えている防衛本能であり、生命の保存、種の保存のための機能であり基本的機能です。
しかし、上記の私の説明のとおりであるとするならば、その危険回避のための本能である恐怖によって、人類社会の危険がどんどんと高まっていると考えることができるでしょう。

よって、
これからの世界の安定、日本の安定のために、極めて重要と思えるのが、
「恐怖とは何か?どのようなメカニズムのものなのか?」、
「恐怖とうまく付き合い、この厄介な本能的機能を使いこなすにはどうしたらよいか?」
という問題と言えるでしょう。


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↑この本についてゆるーく語り合う
フェイスブックのグループ
 「日本経済のミステリーは心理学でトロピカル」
 https://www.facebook.com/groups/1472415033007299/
 フェイスブックにアカウントをお持ちの方はふるって上記のグループにご参加して頂ければ、と思います(いまのところ、参加要請があれば「来る者拒まず」の方針でメンバーになって頂いております。※いまのところ、週一回ほど何か書いています^^

↑この本の「書評」を書いて下さっているブログの一覧はこちら





標題の件の前に、前回のスイスフランの話の補足です:

【スイス中銀が「突然」、ユーロ買いスイスフラン売りの介入放棄(レート上限撤廃)を発表した理由についての考察】

・事前に「、ユーロ買いスイスフラン売りの介入放棄しますのでよろぴく」と発表した場合
→スイスフラン買いが殺到してしまう。事前に通告した日時まではレートの「上限」を維持しなければならず、それまでは殺到する市場からのスイスフラン買いに対処するためスイス中銀はより多くのユーロを買わなければならない

・「上限」を少しずつ上げると発表する
→市場はフランが上がることを確実視するため、上記と同じくフラン買い殺到
→スイス中銀はより多くのユーロを買わなければならない

・逆に「上限」を下げるとと発表する
→場合によっては市場はスイスフランが下がることが明白なので、スイスフラン売りに走る可能性はある。しかし、スイス中銀の思惑通りに行かなければ、スイスフラン買いの圧力が変わらない状態で、フラン安にするためにスイス中銀がより多くのユーロを買わなければならなくなる可能性もある。

結論
・とにかく「より多くのユーロを買わなければならない」状況、その可能性を排除したいということが目的であるならば、突然に「介入もう止めます!」と発表する以外、
スイス中銀には選択肢が無かったと考えられる。

・また、突然に「介入もう止めます!」と発表することには大きなメリットが生じることも考えられる。
→例えば、発表の直前にユーロのプットオプションを大量に購入しておくことで、既にこれまでの介入過程で大量に購入しているユーロ建て資産の損失を回避できる。
  ここで、プットオプションとはデリバティブ(金融派生商品)の一種で、「ある金融商品について特定の値段で売る権利」のことです。例えば、いま100円である金融商品Aの値段が、近い将来50円に下がると予測できているとします。50円に下がる前に、金融商品Aを100円で売る権利を買っておけば、50円に下がっても、金融商品Aを100円売ることが可能になります。つまり、損失をあらかじめ防ぐことができるわけです。
 スイス中銀はユーロが安くなることは事前に予測できていたはずですから、介入中止の発表前にユーロについてプットオプションを買っておけば、発表後にユーロが暴落しても既に保有しているユーロ建て資産の損失をある程度はカバーできます。
 実際にスイス中銀がそんなことをしていたかどうかは分かりません。しかし、「突然の発表」の前に用意周到に損失を回避する準備をしていたのではないかと、このように憶測することは、あながち不自然なことではないでしょう。
 実際のところ、前回のエントリーで参照したスイス中銀(SNB)のデータで、スイス中銀の保有資産の項目に「Financial derivatives (金融デリバティブ)」があります。つまり、スイス中銀は、規模の大小はさておきデリバティブを日常的に買っているわけです。
 で、今回は既に保有しているユーロ建て資産の資産規模から生じ得る損失につき、「プットオプション」などのデリバティブでカバーできる規模を超えつつあるという判断もあって、これ以上ユーロ建て資産を買えないとスイス中銀は考えた。よって、突然のユーロ買いスイスフラン売り介入中止の発表となったのではないか、と考えることができるわけであります。


→と考えますと、やはりスイス中銀には「とにかくこれ以上ユーロは買えない」→「ユーロ、ヤバい」という判断であったのではないかという前回エントリーの結論は変わらない、と言うことになる次第であります。






では、本題の震災の話です。エッセイ的に書いてみたいと思います。


【何が起きたかさっぱり分からなかった地震発生当初】

1995年1月17日午前5時46分。

私はもうすぐ20歳の、当時大学2年生でした。

 たまたま当日に提出しないといけないレポートがあったので、早起きしてそれを作成しようと、
目覚ましのためにセットしていましたCDラジカセが鳴り始めていたときでした。

 何やらCDラジカセから雑音が混じり始め、最初は「あらゃ?故障か?」と思っていたのもつかの間。
 突然、ベッドが上下に激しく揺れ動き…、遊園地のアトラクションか何かのように、私の身体は何度か宙に舞うような感じで揺さぶられました。
 その後、横揺れもあったかもしれませんが、あまりよく覚えていません。
 なお、CDラジカセの雑音は、地震によって発生した電磁波が地震の振動派よりも先に到達したことで生じたものだと考えられます。何せ、電磁波は光速で到達しますので。

 とにかく、何が起こったのかさっぱり分からない、というのが一点。そして、揺れが続いているあいだは身体がまったく動かない、あるいは自由に動かせないというのが二点目。

 最初は「地震」という単語はまったく想起されず、「マンションが倒れるのか?なんか、短く、そして実につまらん自分の人生やったが、終わるときというのはとにかくあっけないもんやな。まあ、しゃあないか」という感想がまず浮かんだだけでした。

 揺れが収まって、ようやく自らの身体に対する主権が回復したとき、部屋の窓ガラスが粉々に割れ、真冬でしたので冷たい風がなだれ込んでくるのを感じるに至る、という次第でありました。

 マンションは結局倒れることはなく、私自身は幸いケガ一つ負うことはありませんでしたが、別室の母はテレビが足に落ちてきて打撲、兄は大きな本棚の下敷きになっていました――その本棚のガラス扉が砕け散っていました――が何とか無事、と言う具合でした。

 で、停電なので情報が得られず、何が何やら分からん状態でマンションの1階に下りて周りにいた人たちと会話していたところ、どうやら地震があったようだ、とようやく分かったのでした。「地震」と分かったところで、特に何をすべきか分からんかったので、とにかく家族ともども部屋に戻ったところ…

 ちなみに、この当時は神戸の中心街、三宮の南方3キロあたりにある人工島、ポートアイランドに住んでいました。
 西方の対岸の空が真っ赤に染まっていました。長田区の辺りです。火の海になっていたわけです。戦時の空襲もこんな地獄絵図だったのか、と茫然と眺めるほかはありませんでした…。

 そして夕方、幸いにもポートアイランドは電気が復旧。テレビをつけると、国道43号線の真上に高架で設置されていた阪神高速が根こそぎ倒壊していたり、阪急電車や阪神電車の線路が崩壊していたり、ポートアイランドと三宮をつなぐポートライナーの車両が線路ごと三宮あたりで落ちていたりといった、とてつもない映像の数々にただただ圧倒されるばかりでした。

 いや、何せ日常的に利用していた電車や車道がエライことになっていましたので、時間が時間なら、まあ、死んでいたな、と思ったものでした。

 この時の体験で、その後の私の中で死生観というものがようやく形成されていった、ということを覚えています。逆に言うと、それまでは哲学的なことについて、はっきり言って何も考えたこともありませんでしたが、自分自身の「死」について一瞬でも強烈に考えざるを得なかった体験は、やはりそういうことを考えることについて、強制力を持つようです。

「人の生き死に、長生きする人、短命に終わってしまう人の違いは何か?
 とくに大した違いはないのではないか?
 天命が尽きればあっけなく死ぬ。そうでなければ長生きする。それだけではなかろうか?」

というような具合です。


【恐怖の記憶は生涯消えない、という現象に関する、人生最初の実体験】

 地震発生から3日目だったと思いますが、ようやく三宮とポートアイランドをつなぐ神戸大橋が通行できるようになり、物資調達のため三宮方面に赴く父とともに三宮近辺に行ってみたところ、よく歩いていた場所でビルが倒壊して歩道や車道に横たわっていたり、5階建ての市役所旧庁舎の3階部分がひしゃげて無くなっていたり、とまあ、そこかしこで凄まじい光景を目の当たりにしたのでありました。

 いや、まあ、かなりの衝撃でした。
 これでPTSD(心的外傷後ストレス障害)になる人がいてもまったく不思議はないなあ、と思ったものです。といってもPTSDという言葉も日本では阪神大震災後にようやく普及するようになったものであるため、震災当時はもちろん、そんな言葉も概念も知らなかったわけですが。
 一方でその後、親族から大戦時の三宮近辺の空襲直後の地獄絵図の話――そこら中に焼死体がごろごろ転がっていたというような話――を聞き、それよりはこれでもかなりマシなのかも知れない、とも思ったりもする次第であります。

 ちなみに、その震災のあと余震がしばらく続いていたのですが、私や兄は余震が来ると「お、これは震度4!」と言ったりして、地震速報の値と比較して「当たった!」などといってられるくらいでしたが、母は揺れが来るたびに参っていた様子でした。
 いまでも大勢の人が歩いていると揺れるような歩道橋は苦手なようです。軽いPTSDのようなものだと思いますが、これが、私が著書で取り上げました「恐怖の記憶は生涯消えない」という人間の生物学的な仕組みなんだな、と今ではそのような理解をすることができます。


【しみじみと感じた自衛隊のありがたみ】

 電気はすぐに復旧したポートアイランドも、水とガスはなかなか復旧しませんでした。ガスはなくとも電気鍋でなんとか加熱調理可能だったのでそれほど困らなかったのですが、水はポリタンクにつめて階段で上り下りして補給という日々が続きました。
 我が家は6階だったのでそれほどではありませんでしたが、上層階の人は大変だなと思いました。電気はあったのでエレベーターも動いていましたが、さすがに揺れがきたときに「震度4!」とか当てものゲームをする余裕があっても、エレベーターはしばらくの間乗る度胸はありませんでしたので、かなり長い間、階段しか使わなかったものです。

 当時、水を供給してくれたのは、神戸市だけでなく周辺自治体の水道局や建設省(いまの国土交通省)、自衛隊の給水車でした。
 また私は、少しの期間だけ市内の小学校(自宅から数キロはなれた場所。市のボランティアセンターに電話して割り振られた)でボランティア活動をしていました。そこに救援物資を運んでくれていたのも自衛隊でした。
 私がいたとき、たまたま来ていたのは東北地方の部隊であったようでズーズー弁の隊員の方でした。腰を痛めながら懸命に支援活動をして下さっていました。この時、人生で初めて自衛隊のありがたみをひしひしと体感したのでありました。

 「少しの期間だけ市内の小学校でボランティア活動を」と書きましたが、私としては実はなんとも間の抜けたことをしでかしていました。
 なんと自分自身の住んでいたマンションの目と鼻の先にあった神戸市立中央市民病院で、停電期間中、重症患者の心肺機能を維持するため、手動でポンプを動かす人手が足りていなかったというのを後から知りました。
 いや、知っていたら行っていたのですが、電気止まってたのでテレビも見れんし、95年当時はスマホでネットみたいなシャレたものも無かったので、知る手段がなかったのですが…。


【蛇口をひねったら水が出ることの、とてつもないありがたみを実感】

 さて、震災から1ヵ月ほど後だったと思います。
 当時、ポートアイランドから関西空港(関空)までを約40分でつなぐ高速船の便があったのですが、こちらもようやく再開されるということで、ポートアイランドから関空にわたり、そこから電車で大阪府の北部にある吹田市の大学キャンパスに行きました。期末試験への対応とか、そういったことを科目ごとに担当教官に相談するためだったと思います。いやしかし、関空に到着したとき、手洗所で水道が勢いよく出るのを見て感動したのを覚えています。「これぞ文明の利器だ!」みたいな。


【人に理解されない類いの苦痛と強烈な孤独感】

 それはさておき、当時の私は生まれて初めて熱心に取り組める対象――大学入試の受験勉強以外で――を見い出していました。大学の部活動でのアーチェリーです。
 それまでは、なぜか「どうせ自分は何の才能もないし、何をやってもうまくいかん。何かを熱心に取り組んで失敗したらイヤやし」というわけの分からない消極思考に捉われた人間でした。
 それが、「三度の飯よりこれが好き」というくらいの熱意の的を見つけたのでありました。まあ、よくよく考えると何故そうなったのかよくわかりませんが、理屈などどうでもよいのかも知れません。
 震災の直前の冬休みにおいては、ほかの部員の人々、先輩も同輩も後輩も、みなスキーに行くなど遊びに行っているとき、私はアーチェリーの射場の鍵を預かり、一人、練習に励んでいたのでありました。
 雪の積もる中、月を愛でながらひとり的を射る、というのは、何とも乙なものでした。
 しかし地震の発生によりしばらくその三度の飯より好きなアーチェリーの練習ができなかったわけです。そして、震災から1ヵ月半くらいして、大学の近くの友人宅に止めさせてもらって大学に通い、アーチェリーの練習も再開させた次第です。そのとき、毎年恒例の大学のリーグ戦というものが迫っており、当時の私にとってはそれがとてつもなく重要なものでした。今から思えば、なぜそこまで、とも思いますが…。
 で、遅れを取り戻そうとして練習し過ぎたら、弓の絃を引く右肩をあっけなく痛めてしまい、それだけでなく全身あちこちの間接がひどく傷むようになったのでありました。首も膝もやたら痛むという具合です。
 それで、まあ、「不運」だったのは何かと言うと、痛めたのなら痛めたで、たとえば腱鞘炎だとか、骨折だとか、脱臼だとか、捻挫だとか、何かしらの傷病名が付けば、多少は周囲からの理解や同情を引くこともできたかもしれませんが、病院で検査しても特に「異常」とはならず、いや、「正常」だから大丈夫、気分の問題、くらいに言われるような状況に陥ったことでした。
 医者が「気分の問題」と言っている時点でその医者が心理学の知識ゼロということが丸わかりだったりするのですが、まあ、普通の内科医や外科医が心理学の知識ゼロだったのは、少なくとも当時では仕方のないことと言わざるを得ません。
 医者にも理解されず、それで、部活の人々にも理解されず、何やら居心地の悪い状態が続いたものです。「いや、あんたらがスキーやらなんやら、遊び呆けてたあいだ、こっちは正月の1日と2日と、年末に38℃の熱出して一日だけ寝込んだ以外、あんだけ熱心に練習しとったのに、弓が引けんようになって、とんでもなく悔しい思いしとるんじゃ」と思いつつ。まあ、とにかく「傷病名」がないと、大抵の場合、身体が弱っててもまったく同情されません。あるいは、同情を得ることは期待できないものです。
 それだけでなく、体調全般がガクッと悪くなり、それがひと月、ふた月、み月と続くと、あっというまにうつ状態に陥りました(心療内科などで診断してもらっていないので、実際は客観的基準からしてどうだったのか分かりませんが)。
 そしてひと月くらい大学にも行かず引きこもる時期もあったりしたものでした。毎日、朝目覚めると痛めた右肩がやたら冷えていてぞっとしたり、そんな状態が続きましたが、医者に行っても特に異常は見つからず、従って同情もされず、また、明確な治療法も見つからず、悶々としたものでした。
 しかし、幸いにもある時、ふと「山歩きでもしたら気分も晴れるかも知れん」と突然思いつき、新神戸の駅から神戸の山道を毎日散策しに行くうちに、あっという間に気力が回復したのでした。
 ただ、右肩を始めとする全身の間接の痛みはさほど回復しませんでした――とはいえ、こういった間接の痛みはカイロプラクティックや柔術整復師のところに通っているうちにだいぶマシになりましたが、実を言うと20年経った今でも首の痛みは完全には取れていない状況だったりもします。
 
 しかし、マシになったあとでも、この影響からか、これまでに何度か体調を大いに崩し、その後であれやこれや調べたり、専門家の助けを借りたり、自ら工夫したりして何とか回復する、ということがありました。今思えば、よくぞ死なずに生きながらえたな、と思えるような状態のときもありました。
 実を言うと20代の前半においては、あまりにも体調が悪いこと、それに加えて、人にうまく説明できず理解されないことによる強烈な孤独感によって、自殺を考えるほど精神的に追い詰められる――というよりは、今から思えば「自らを追い込む」というのが実態でしたが――こともありました。
 この要因として一番大きかったのはやはり、自分の抱える苦痛につき、人から理解されない、共感されない、あるいは共有しにくいという孤独感であったと思います。
 神戸大橋から飛び降りたらどうなるだろうとか、神戸の山のほうに分け入って飲まず食わずでいたらどんな感じだろうか、とか。まあ、そんなことを考えるたびに、「水死体はぶよぶよになってとても見れたものじゃないらしい」とか「山で行方不明になったらいろんな人に迷惑かけるから申し訳ない」とか考えて結局は打ち消していたのですが。


【「孤独感」がとてつもない恩恵に転ずることもあり得る】

 そういったわけで、「孤独への耐性をどうすれば強められるか?」ということが20年ほどまえからの私の人生最大のテーマとなって行った次第であります。
 以前だったら「孤独との戦い」という表現を好んだかも知れませんが、今は「孤独とのうまい付き合い方」とか「孤独の楽しみ方」、「孤独の活かし方」、「孤独と調和する方法」という表現を好みます。
 今となっては、私にとって「他人に理解されないような原因で体調がめちゃくちゃ悪くなったこと」は幸いでした。これによる強烈な孤独感は、私に心理学や心理学的なものに対する興味を強制的に湧かせ続けたからであります。

 そして今の私は 「孤独への耐性」というものは、社会全体の安定に必要不可欠と考えます。
 極端な例を挙げると、テロに走ってしまう人々の、そのテロに走る大きな原動力の一つが、ほかでもないその孤独感だと思われるからです。
 最近フランスで起きたテロ事件についても、テロの実行者たちが社会における疎外感を強烈に感じていたことが背景にある、というような解説がよくなされます。恐らくそれは正しいでしょう。
 そうすると、もし彼らが、周りから理解されないことに対しての耐性が極めて強かったら?そのための手法を自ら編み出せていたら?もしそれが出来ていたら、彼らは人生においてもっと別な選択をしていたのでは?などと想像してしまうわけであります。

 一人ひとりが孤独に対する耐性を強めることができれば、まずその一人ひとりが安定するわけですが、それが社会全体でなされれば、社会全体が安定することになるでしょう。その影響は世界中の政治、経済全般に及ぶものと考えます。
 そのような考えの集大成が冒頭で紹介している拙著「日本経済のミステリーは心理学で解ける」ということになります。
 というわけで、私がこの本を作り上げることの最初の出発点は、20年前の阪神大震災であったというわけであります。

 誰にも理解されない、共感されない。
 そのように感じることによって疎外感、孤独感が強まります。
 であるならば、自分自身がまず、自分自身の最大の理解者、共感者となることができたなら、どうなるでしょうか?
 恐らくは、その途端に疎外感、孤独感はかなり薄らぐでしょう。

 一方で、他人を完全に排除し、自分だけに理解、共感するだけであれば、やはり独りよがり、独善に陥る危険性はぬぐい切れません。

 そこで有用であると思われるのが、自分を理解してくれない人、共感してくれない人につき、自分のことを理解しないこと、共感しないことそのものに対して、理解、共感できるようになる、という道筋です。
 自分自身だって、世界70億人全員のことを理解、共感できるか、というと、まず間違いなく無理でしょう。つまり、誰かが誰かのことを理解、共感できないということは間違いなくあり得る、ということになります。
 であるならば、自分が他人を理解、共感できないことがあり得るのと同様に、他人が自分を理解、共感できないこともあり得るのだ、ということを事実として認め、それに対して理解、共感することも可能かも知れません。
 

 孤独に対する、よりうまい対処法を会得すること。
 それが「徳を積む」ということだと考える次第であります。






 孤独との戦い、いや、孤独との付き合い方によって

 一人ひとりの人生のみならず、

 一国の命運、世界の行き着く先、人類社会の未来

 が決まって来るのかも知れん、ということか?



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636:「統治能力を高めること」=「徳を積むこと」

2014/10/07 (Tue) 18:09
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本題です↓


 
以下、フェイスブックの 「日本経済のミステリーは心理学でトロピカル」グループに投稿した文章でありますが、よくよく考えたら政治の話でもあるので、当ブログに加筆修正のうえ、転載:

(内容としては 「統治能力を高めること」=「徳を積むこと」 というお話であります)


【「個人の病」と「国の病」の共通性】

 親しい友人がよく分からない原因で体調を崩し、随分と不安に陥っているし、一方で、やたら攻撃的になってしまう、と悩んでいました。
 体調が悪いとストレスによって理性を担当する前頭前野が抑制され、野性を担当する扁桃体が活性化されるため、攻撃的になりやすくなるでしょう。
 また、ストレスは否定的感情そのものです。というのは感情とは身体状態を脳でいかに感知しているかであり、ストレスは否定的な状況におかれたときに発生する身体状態であるからです。よって、ストレスは不安とか怒りとかの感情と密接に関連しているため、ストレスそれ自体が不安とか怒りその他の感情を誘発してしまうということもあるでしょう。
 そのような生理学的なシステムがあるので、ある人の病気が長引くと、ストレスでその人の内部世界は「天下大乱」になりやすくなります。
 この内部における「天下大乱」の状態は、ユングの用語でいうと、「大衆化」です。
 一方、この内なる「天下大乱」をうまく治めて「天下統一」する概念は、ユングの用語で「個性化」となります。
 私の新しい本でユング派の心理療法家の「病気は個性化への道をひらく」という言葉を紹介しましたが、その友人にもこの言葉を紹介しました(というか、この友人も私のその本を読んでいるはずですが、スコーンと忘れていたので改めて)。
 なかなか病気が治らないストレスで心が乱れている、ということは、現実の世界に例えれば、乱世である、と。
 泰平の世を治める統治者と、乱世を治める統治者とでは、統治者として要求される資質水準は当然、乱世の統治者のほうが高い水準を求められます。
 個人においても、病気に限らず、何かしらの不測の事態に巻き込まれたときなどは、一人の人間という70兆個の細胞からなる巨大集団の最高指導者として、より高い水準の統治能力を備えることが要求されることとなります。
 そして、「より高い水準の統治能力を備える」に至った状態こそ、「徳を積んだ状態」であり「個性化」の状態と言えますが、これは一人の人間内部に限らず、国レベルの人間集団においてもまったく同じです。

 今、NHKの大河ドラマ「軍師官兵衛」で、秀吉が、天下人としての権力が強まるほどに狂ってゆくさまが描かれています。秀吉は現実世界の「天下統一」はできましたが、自分自身の内部世界の「天下統一」=「個性化」=「徳を積む」には失敗したと言えます。そうであるがゆえに、彼の死と同時に豊臣家の天下が事実上崩壊してしまい、関ヶ原、大阪冬の陣・夏の陣という天下大乱を招いてしまったことは、まったくもって当然のようにも思えますが、いかがでしょうか。




(以下、追記)

古代の中国思想、例えば老子の道教思想では、個人の原理も政治の原理も宇宙全体の原理も共通しているという考え方になります⇒ユングも老子の思想に色濃く影響されているので、この発想の理論を展開しています。

孔子の儒教思想でもまた、一つ一つの家庭がうまく治まれば、国家全体もうまく治まるという思想です。

『易』(本田濟 訳)の「家人(かじん)」卦の解説のところで、孔子の思想を次のように解説しています:

儒家はあらゆる道徳のなかで孝悌(こうてい ⇒ ウィキペディア によると「孝」はよく父母に仕えること、「悌」は兄によく仕えること) を最も根本的なものと見た。けだし骨肉の愛情は、万人に共通であり、最も身近で最も確かだから。そして孝悌の道徳で家々が正しくなれば、ひいては国が、天下が正しくなると考えた。家庭内の規範だけで天下の政治も可能だというのである。孔子が人に「子(し)なんぞ政を為さざる」と問われて「『書』に云う、孝かこれ孝、兄弟に友に、有政に施す、と。これまた政を為すなり。なんぞそれ政を為すをなさん」と答えたのがそれである(『論語』為政)。

-----

 私は孔子の「家庭内の規範だけで天下の政治も可能」という考えは非常に素晴らしいと思いますが、しかしながら、個人的には「子は親に絶対服従」、「弟は兄に絶対服従」的なところは若干ついていけないところであります。

 そこは私は、
正月の当ブログで書いた、あるいは、新しい本で書いた「老子スタイル」――この場合、「親」や「兄」の立場と自分の立場の両方ともを正しいと考えた上で、両方の利益、両方の立場、両方の権益をともに最大化させる工夫をすることが最善であり、その工夫を考えたり実行したりすることで徳を積むというスタイル――を、「家」や「国家」や「天下」の規範として提案したいと思う次第です。

というのは多分、そのほうが生理学なストレスのシステムに合っているんじゃないかと思うからです。

そして孔子の「家庭がうまく治まれば、天下国家もうまく治まる」という思想には、「一人ひとりの個人がうまく治まれば」を加えて「一人ひとりの個人がうまく治まれば、家庭がうまく治まる。家庭がうまく治まれば、天下国家もうまく治まる」とするのが良いのではないかと思います(⇒このようにするとユング心理学にかなり接近します。もちろん、他にもこのタイプの発想の思想体系というのは色々とあるんじゃないかと思いますが)。







最近は、現実世界の、というか日本の政界における政治状況にフラストレーションがたまる――つまり、生理学的に強度なストレスを感じている――という方も多いのではないかと思います。場合によっては大いに無力感を感じてしまうこともあるかも知れません。

しかし、世界や政界がどうであろうと、自分自身の内部世界における政治というのは、常に何かしらやることがあるはずであります。

人生の大きな目的の一つを、「生きているあいだに自分自身という70兆個の巨大集団の最高指導者としての統治能力を少しでもより高い水準に引き上げること」と設定したとしたら、この内なる政治というのは、非常にやりがいのある政治マターであると言えるのではないでしょうか?






私は、格差拡大、それによる社会の不安定化の根本的原因は、

①国の借金に対する恐怖

②富を失うことに対する恐怖(=強欲)

という二つの恐怖だと考えています。

①の恐怖によって、各国は格差拡大による社会不安の増大を防ぎ、将来の生産能力不足を防ぐための投資を行うことができなくなってしまいます。また、この恐怖により、財政政策よりも金融政策に依存しがちになり、それは
国連開発計画の報告書によれば、金融の不安定化とさらなる格差拡大につながってしまいます。つまり、国の借金に対する恐怖(過剰な恐怖)を克服しない限り、これからも格差拡大は止まらず、各国の社会の不安定、世界全体の不安定はますます拡大してしまうでしょう。

②の恐怖によって、富裕層がますます富裕層により有利なルールを作ろうとして、資金を投じて政治家を支援し、それによってますます格差が拡大し、不安定化してしまう可能性があります。そうなると本来はその富裕層の皆さんの身を危険にされすことになるのですが・・・(それを身をもって示してくれたのが故カダフィ大佐と言えます)

恐怖とは本来、危険を回避するための生物が備えている防衛本能であり、生命の保存、種の保存のための機能であり基本的機能です。
しかし、上記の私の説明のとおりであるとするならば、その危険回避のための本能である恐怖によって、人類社会の危険がどんどんと高まっていると考えることができるでしょう。

よって、
これからの世界の安定、日本の安定のために、極めて重要と思えるのが、
「恐怖とは何か?どのようなメカニズムのものなのか?」、
「恐怖とうまく付き合い、この厄介な本能的機能を使いこなすにはどうしたらよいか?」
という問題と言えるでしょう。


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 はて、

 安倍さんの支持率は最近下がり気味

 かも知れんが…、

 自分自身の

 “内部世界における最高指導者”

 としての自分内部からの支持率は、

 果たして何パーセントくらいやろか?



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629:【米国動乱】日本で全く報道されていない「解雇復讐型」の殺人事件が立て続けに発生…。日本でも「雇用の流動化」が進んでいる模様ですが、本当にそれで国が持つのでしょうか?

2014/09/27 (Sat) 16:53
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・経済統計データだけでなく、心理学や脳科学や生理学の観点からも「国の借金」の分析を行っています――「国の借金」に対する恐怖をどうすれば乗り越えられるか?

・「日本の国の借金はもうダメだ」という考えと、「いや、日本の国の借金は大丈夫だ」という考えを両方とも正しいと仮定した上で、長期的に日本が安定的に繁栄を続けるための方策の試論を提示しています。他方が一方を「お前は間違っている!」として否定するのではなく、互いの考えを両方とも肯定し、調和的に解決を図ることを理想としています。

社会は多数の人間からなる組織・集団であり、一人の人間もまた70兆個もの細胞からなる巨大な組織・集団です。
それゆえ、マクロ経済や政治や軍事などの人間集団の仕組みと、一人の人間という「組織・集団」の仕組みのあいだには、多くの共通点や相似性があるはずです。

・「国の借金だけでなく民間の借金や金融資産も見るべき、国の借金だけでなく国の金融資産も見るべき」というようなマクロ経済におけるバランスシート思考が、実は一人の個人にも適用できる――例えば、「イライラしているときは必ずその正反対のイライラしたくない願望が同時に存在している」、「病気に対する恐怖があるときは必ずその正反対の病気が治って欲しいという願望が同時に存在している」といった具合に――というような、国レベルの大規模な人間集団からたった一人の個人にまで幅広く共通する基本原理について、学問領域の垣根を越えた幅広い、多角的な視点から提示しています。

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さて、本題です:

今回のエントリーは、↑の本の第4章をお読みでない方には、あまり読むことをお勧めしません…

今回の話は、ISISも若干絡んでくるのですが、日本でまったく報道されていない、アメリカで実際に起きた、かなり凄惨な事件の話であります。


今年の正月に
「アメリカが世界の盟主の座を降りてしまった、あるいは、降りる準備を始めてしまったのではないか、と思わせるような象徴的な出来事が、ほんの一年のあいだにあまりにも多数起きた」という意味で、昨年あたりから世界的に政治や経済の情勢があまりにも混沌としてきたように感じられる」
と書きましたが、これはすなわち、私個人的には、世界的に「治世」に向かうよりは、「乱世」に向かう可能性が高いと感じている、ということでもあります。

世の中、かなり確実にこれからもっと乱れてゆくでしょう。
それゆえ、それに対処するために心理学、心理学的な事柄がこれからは圧倒的に重要になってくると考えています。


それゆえに私は、↑の本をどうしても出したかったのであります。この本は本当に苦労して書き、出版に至る道も多難でありましたが、それは今の世の中に絶対に役に立つ、必要な内容のものであるという、ゆるぎない信念があったからであります。

それで、この本では、「否定」と「肯定」、つまりは「0」か「1」か、というこれ以上単純にならないというくらいに単純な概念を用いて、誰もが簡単に自分自身や他人の心理分析、さらには国レベルの心理分析的なことを、かなりの程度できるようにするための、簡便な心理モデルを提供させて頂いております。おそらく、心理学のややこしい話をここまで日常的な実用レベルに引き下げて使いやすいモデルにして提供しているのは、人類史上初の試みです。



で、以下の話は、↑の私の本の第4章のような「解毒剤」、あるいは、もちろん、私の本でなくても何かしらの凄惨な話に対する「解毒剤」や「耐性」をお持ちの方以外は、あまりお読みになることはお勧めしません…。

しかし、じゃあなんでそんな話を書くのかというと、日本でちっとも報道されていないものの、アメリカ国民の全般的な群衆心理がどのような状態かを推定するためにはかなり重要なニュースではないかと考えるからです。
そして、「アメリカ国民の全般的な群衆心理」についてウォッチしておくことは、日本の将来にとってもかなり致命的に重要な問題ではないかと考えるからであります。

とはいうものの、以前申し上げていた学術論文の作成がかなり切羽詰っているため、かなり簡単な紹介になります:



Fired Oklahoma Food Plant Employee Beheads Woman, Attacks Another
オクラホマの食品工場を解雇された従業員が、女性を斬首、もう一人を襲撃

Sep 26, 2014, 12:17 PM ET
By MEGHAN KENEALLY ABCNews


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食品工場を解雇されたAlton Nolen という人物が、工場の人事部のある建物から他の建物に自動車で直接乗り付け、そこにいた二人の女性を襲撃。一人の女性については斬首して殺害、もう一人の女性を刺したとのこと。

但し、駆け付けた同社の重役兼予備警官がNolenを銃撃したため、もう一人の女性は命を取り留めたとのことです。
また、凶器のナイフは同工場で作業員が日常業務で使っていたものとのことです。

当局はテロとは関係ない、職場における怒りが主たる原因、としていますが、「心理的」にはISISに影響を受けていたかどうか調査中とのこと。

"After conducting interviews with Nolen's co-workers, information was obtained that he recently started trying to convert several employees to the Muslim religion," police said in a statement.
「Noleの同僚に事情聴取した結果、彼は最近、複数の従業員に対し、イスラム教への改宗を試みることを始めていたという情報が得られた」と警察は発表している。

Authorities are investigating whether Nolen posted a series of fanatical messages on Facebook and, though they have not yet found any connections, they are still looking to see if he was influenced by the recent ISIS beheadings dominating the news.
当局はNolenが一連の狂信的なメッセージをフェイスブック上に投稿していたかどうかについて調査しているが、まだ関連性を見つけていない。当局はニュースで大量に報道されている最近のISISによる斬首事件の影響を受けたかどうか調査中である。



ABC News consultant and former senior FBI agent Brad Garrett, who has extensive experience in criminal profiling, said that on the surface the incident appears to be "workplace violence."
ABCニュースのコンサルタントにして元FRI上級エージェントのBrad Garrett(犯罪プロファイルの豊富な経験がある)は、この事件は表面的には「職場における暴力」の表れであると述べた。

"It's within the realm of reasonableness that this is ISIS-related, but you have to go back to the motive, and the motive was he was mad," Garrett said, referring to the militant group linked to the recent beheading of two American journalists.
「合理性の領域の範疇において、この事件はISIS関連である。しかし、動機について考え直す必要がある。その動機は、彼が怒っていたことにある」とGarrettは戦闘員グループによる最近の2人のアメリカ人ジャーナリスト斬首事件を参照しながら述べた。




そして、上記の記事に関連ニュースとしてリンクしている、もう一つの「解雇復讐型」殺人事件です…


2 Killed in Alabama UPS Shooting Were Superviser
アラバマのUPS銃撃事件で殺害された二人は上司だった

http://abcnews.go.com/US/wireStory/police-fired-ups-employee-kills-colleagues-25719055
Sep 24, 2014, 7:54 PM ET
By KIM CHANDLER and JAY REEVES Associated Press

UPSというのは日本で言えばヤマト運輸のような会社です。
そこで21年務めていたトラック運転手が解雇されて、上司二人を銃殺したという事件です。

その殺害された上司の一人は生前、婚約者に「長年勤めていて家族もいる彼を解雇するのは心苦しい」と語っていたそうですが…






 日本でも雇用の流動化

 解雇しやすい方向に進んでいるようだが…

 本当にそれで国が持つのだろうか?



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627:米軍、シリア空爆開始(米国防総省発表) + 世論調査で浮かび上がる「さまよえるアメリカ人」

2014/09/23 (Tue) 23:11
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さて、本題です:

大統領が「最終的に壊滅させる」、副大統領が「地獄送りにしてやる」と言っていたISIS壊滅作戦が本格的に開始しました。

まず、アメリカ国防総省(ペンタゴン)の簡潔な発表をどうぞ:


-----

U.S. Begins Airstrikes Against ISIL in Syria
アメリカはシリア国内のISILに対する空爆を開始した
http://www.defense.gov/news/newsarticle.aspx?id=123233
By Claudette Roulo
DoD News, Defense Media Activity

WASHINGTON, Sept. 22, 2014 – U.S. and partner nation forces have begun airstrikes inside Syria against terrorists from the Islamic State of Iraq and the Levant, Pentagon Press Secretary Navy Adm. John Kirby said in a statement today.
The strikes are being undertaken through a mix of fighter and bomber aircraft and Tomahawk Land Attack missiles, he said.
ペンタゴン報道官ジョン・カービー海軍大将は本日、アメリカおよび有志連合諸国軍は、シリア国内におけるISILのテロリストに対する空爆を開始したことを発表した。この攻撃は戦闘機、爆撃機、トマホーク対地ミサイルの組み合わせによって行われた。

“Given that these operations are ongoing, we are not in a position to provide additional details at this time,” Kirby noted.
U.S. Central Command has conducted a total of 190 airstrikes across Iraq in the battle against ISIL forces. The decision to begin the airstrikes in Syria was made earlier today by Centcom Commander Army Gen. Lloyd Austin, the admiral said. The strikes are being made under authorization granted by the commander in chief, President Barack Obama, as part of the comprehensive strategy to degrade and ultimately destroy ISIL.
「これらの作戦は進行中であるため、我々はいまのところ、これ以上の詳細を公表する立場にない」とカービー報道官は述べた。アメリカ中央軍司令部はISIL勢力に対する攻撃としてイラクでこれまで合計190回の空爆を指揮してきた。シリアにおける空爆開始の決定は、中央軍司令官ロイド・オースティン陸軍大将によって今朝早くになされた。この攻撃は最高司令官バラク・オバマ大統領によって与えられた権限に基づき、ISILを弱らせ最終的に壊滅させる包括的戦略の一環として行われている。




これに伴い、ISIS(ISIL)は「もっと(アメリカとその同盟国の)民間人を殺せ」というビデオを公開した、と米ABCニュース:


ISIS Calls for Civilian Murder
ISISが民間人殺害を呼び掛け
http://abcnews.go.com/WNT/video/isis-calls-civilian-murder-25686823
ABC News 03:10 | 09/23/2014


After ISIS's chilling message, Algerian group grabs French hostage.
ISISによる不快なメッセージ発信のあと、アルジェリアのグループがフランス人を人質に取った。




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「アメリカ人やヨーロッパ人、特に陰湿で不潔なフランス人やオーストラリア人、カナダ人を、いかなる方法でもいいから殺せ」
というテロを促すメッセージを出しているとのことです。

そして、アルジェリアのISIS支持者らが50歳のフランス人男性を誘拐し、フランスが24時間以内に空爆を止めなければ斬首するとしているとのことです。



うーむ…。


この「戦争」、できるだけ早いうちに、うまい具合に終結し、最終的な解決がなされることを願うばかりでありますが…




今回は善悪良否を脇に置き、ISIS問題が今後どういう経緯をたどりそうなのか、心理学的に検討してみたいと思います。

『孫子』に基づいて独自の戦略論を作り上げたリデルハート元英国陸軍大尉の間接的アプローチの戦略によると、

戦略の要諦は、

①敵の退路を断つ
②敵の補給路を断つ
③敵の指揮系統を混乱させる


ということを通じて、

敵方の戦闘継続意志を消失させる

という段取りになります。(うろ覚えですが、多分こんな感じ)



が、あともう一つ、
④敵方の国民の士気を喪失させる

というものも付け加える必要があるかも知れませんね。(この「国民の士気」の概念はクラウゼヴィッツ戦争論に書いていたような気が…)

なお、『孫子』では「戦わずして人の兵を屈するは善の善なるものなり」、つまり、不戦勝こそが最善としていますが、それは戦わずして敵方の戦闘継続意志を消失させるのが最善、ということになります。

(このように見て行きますと、戦争とか戦略とかいうものは、かなりの度合いで心理学の領域です。そしてこのような話は政治や経済にも多大な影響を与えるわけですから、政治や経済もまたかなりの度合い心理学の領域の問題と言えます。)


さて、「国民の士気」の重要性について。

例えば、第二次世界大戦ではルーズベルト大統領が選挙公約で戦争しないと約束していたので戦争できなかったのが、日本軍の真珠湾攻撃によって戦争を開始することになった、と言う話がありますが、これは「国民の士気が低くて戦争できなかったものが、国民の士気が高まったので戦争できるようになった」と見ることができるでしょう。

また、昨年8月末にオバマ大統領

「私は、現在までのあいだ完全にマヒし、アサド政権に責任を取らせる意思を見せない国連安保理の承認が無くとも前進することに不都合を覚えない。」
「我々はアメリカ合衆国であり、我々はダマスカス(シリアの首都)で起こったことに目をつむることはできないし、目をつむるべきではない。」

とまで
演説したのに結局はシリアのアサド政権への攻撃を中止したのは、「国民の士気」が低すぎたからだと言えます。

今回は、ISISが二人のアメリカ人ジャーナリストを残虐な手法で殺したとされるビデオが繰り返しテレビで放映されたことによって「国民の士気」が高まり、遂にシリアにおけるISIS拠点への空爆を開始するに至ったと考えられます。


が、

Pew Research Centerがオバマ大統領の「シリアにおけるISIS空爆作戦」発表直後に行った直後に行った世論調査の結果を見ると、その「国民の士気」の高まりと同時に、「国民の戸惑い」のさまも浮き彫りになっているように見受けられます。

以下、Pew Research Centerの世論調査を抜粋して紹介します:

Bipartisan Support for Obama’s Military Campaign Against ISIS
http://www.people-press.org/2014/09/15/bipartisan-support-for-obamas-military-campaign-against-isis/
Pew Research Center
SEPTEMBER 15, 2014

まず、オバマ大統領が発表した「イスラム国を最終的に壊滅させる」作戦に賛成とした割合が53%、反対が29%、分からない(DK=Don't Know)が19%でした。(下図)





次に、アメリカ軍の行動は「行き過ぎ(Go too far)」と考える人の割合が41%、「まだ十分でない(Not go far enough)」の割合が41%で拮抗しています(下図右)。


先月の数字が下図左ですが、「行き過ぎ」の人が今月は減り、「不十分」の人が今月は増えたわけですね(ジャーナリスト殺害事件の影響と思われます)。





次に、軍事行動による米国内でのテロの脅威への影響について。

多数派は「それほど変わらないだろう(Not make much difference)」で41%。

その次が「テロの脅威は増える(Increase)」で34%。

一番少ないのが「テロの脅威は減る(Decrease)」18%。

(下図)





今回の「作戦」で「テロの脅威は減る」と答えた人の割合が非常に少なく、「脅威の度合いは変わらない」、「むしろ脅威は増える」と答えた人のほうが多いことは、実は、ある種の「矛盾」をはらんでいます。

この軍事作戦は、オバマ大統領によれば、

“We Will Degrade and Ultimately Destroy ISIL”
「我々は、ISILを弱らせ、最終的に壊滅させる」

ということを目的とした作戦であり、それについては上のほうの質問への答えで53%の人々が賛成しています。
そして、この最終目的を達成できれば、「脅威は減る」はずです。
よって、この作戦の趣旨に賛同しているのなら、この53%の人々が「脅威は減る」と考えていて然るべきと思われます。
ところが、「脅威が減る」と答えた人の割合がたったの18%に過ぎなかったのです。



ここで、私の新しい本で提示していた「ユーロ圏の諸国民を一人の人間と捉えて考えてみると、ああでもない、こうでもないと葛藤している一人の悩み多き人間のように見える」というような考え方で、アメリカ国民を一人の人間と捉えてみましょう。

ISIS壊滅作戦に賛成53%、反対18%、分からない19%
→「少しばかり反対な気もするし、良く分からないような気もするけれど…、いやあ、やっぱ攻撃すべきだよねえ、多分…」

今の軍事行動は「やり過ぎ」41%、「不十分」41%
→「でも、やっぱ、やり過ぎとちゃうか…。いやあ、まだまだ不十分な気もするなあ…」

この作戦で「テロの脅威減る」18%、「テロの脅威増える」34%、「あまり変わらない」41%
→「でもなあ、これで国内でのテロの脅威減るような気があまりしないなあ…。いやあ、むしろ脅威が増えそうな気がするなあ…。うーん、いや、やっぱ、そんな変わらんかなあ…」

ここで、非常に気になるのがこの一人の悩める人間に例えた「さまよえるアメリカ人」の、ISIS壊滅作戦に対する「士気」が今後どうなるか、ということであります。

この「戦争」が長引くと…「あれ、そもそも国内でのテロの脅威が減ると思ってないというか、むしろ増えそうと思っていたのに、なんで作戦の開始に賛成、とあんなに強く思っていたのかな」と我に返り、「士気」がにわかに低下することもあるかも知れません。




さて、ここでもう一度、「戦略の要諦」の話を振り返りましょう。

-----

①敵の退路を断つ
②敵の補給路を断つ
③敵の指揮系統を混乱させる
④敵方の国民の士気を喪失させる


ということを通じて、敵方の戦闘継続意志を消失させる

-----

アメリカからISISを見た場合、今のところ①から③を一応は実践しているように思われます。

例えば、NHKのニュースによると
「(ISISの実質的な首都である)ラッカやその周辺には、イスラム国が、戦闘の末、シリア軍やイラク軍から奪った大量の武器を保管する倉庫や兵士の訓練施設、それに司令部などがあるとみられ、アメリカのメディアは、こうした施設が今回の空爆の標的になっていると伝えています」(「米がシリアに空爆拡大 新たな段階に」 2014年9月23日 18時52分)

という具合です。

武器等の保管庫への空爆であれば「②補給を断つ」ですし、ここがどうやら本拠地なので「①退路を断つ」、「③指揮系統を混乱させる」ということも該当しそうです。
しかし、そもそもが「テロリスト集団」ということであれば、拠点を移動しながら活動するものと思われ、「本拠地」という概念は希薄かも知れません。
「『イスラム国』を壊滅に追い込むには空爆だけでは難しく、オバマ大統領にとって終わりの見えない戦いを強いられる新たな段階に入ったという見方が出ています」(上記NHKニュース記事より)との見方で見ていた方が無難かもしれません。

すると、①から③はなかなか効果が上がらないかも知れません。
また、
④敵方の国民の士気を喪失させる
については、いまのところむしろISIS側の士気が高まっているようにも見えますが、どうでしょうか。



一方、

ISIS側からアメリカおよび有志連合諸国について考えてみましょう。

①敵の退路を断つ
→基本的に無理(ISISから見れば相手が余りにも巨大すぎるし、相手は航空機だし、退路を断つもなにも、ヘッタクレもない)

②敵の補給路を断つ
→これもまず無理

③敵の指揮系統を混乱させる
→これもかなり難しい。但し、長期戦に持ち込んでアメリカと有志連合諸国のあいだの利害衝突が起きることを狙い、戦線から離脱する国を徐々に増やす、というようなことは可能かも知れない

④敵方の国民の士気を喪失させる
→…

これを書くのはあまり気が進まないのですが、「④国民の士気」の維持こそ、アメリカや有志連合諸国の最も気を付けるべき弱点のように思われます。

長期戦に持ち込まれ、かつ、アメリカや有志連合諸国の国内におけるテロが断続的に発生する事態となると…。
特に、肝心かなめのアメリカ国民の士気は、上記の世論調査の結果を踏まえると、いとも簡単に折れかねないと思えてしまうのであります。

そうなると、以前も書きましたように、極端な場合は「在外米軍の全面的な撤退」というところまで短期間で進行してしまう可能性もゼロではないでしょう。

また、ISIS壊滅作戦が仮に失敗に終わった場合、中東は非常に混乱するでしょうから、石油、天然ガスの中東依存の大きい日本のエネルギー安全保障は非常に困難な局面を迎えることとなるでしょう。

もちろんこれは最悪のケースでありますが、一応は想定しておいた方が良いのではないかと思う次第であります。いかがでありましょうか。




 原発はゼロかできる限り少ないのが

 理想かも知れない。

 しかし、ISIS問題も踏まえると、

 エネルギー問題については

 最悪の事態も一応は想定する

 という文脈で

 原発問題を考える必要も

 あるかも知れない。



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623:米副大統領「地獄こそ彼らの住むべき場所だ」と連呼――再び戦争への道を歩み始めた米国…という問題を扱うのに役に立つユングの「大衆化」と「個性化」について解説します

2014/09/13 (Sat) 18:05
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↑この本についてゆるーく語り合う
フェイスブックのグループ
 「日本経済のミステリーは心理学でトロピカル」
 https://www.facebook.com/groups/1472415033007299/
 フェイスブックにアカウントをお持ちの方はふるって上記のグループにご参加して頂ければ、と思います(いまのところ、参加要請があれば「来る者拒まず」の方針でメンバーになって頂いております。




↑この本の書評を書いて下さっている↓ブログ一覧です:

(ブログ等で書評を書いて下さったことをコメント欄等でお知らせ頂ければ、感謝の気持ちを表することも兼ねまして、このエントリーに順次追加させて頂きたいと思います)

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■みぬさ よりかずさんのブログ 「「国家戦略特区」blog

「廣宮孝信論」 http://ameblo.jp/minusa-yorikazu/entry-11913527520.html

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■くらえもんさんのブログ「くらえもんの気ままに独りごと

第1章      http://ameblo.jp/claemonstar/entry-11915766750.html

第2章      http://ameblo.jp/claemonstar/entry-11916153818.html

第3章と第4章 
http://ameblo.jp/claemonstar/entry-11916663407.html


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■ロベルト・ジーコ・ロッシさんのブログ「政治の本質 (2014年9月19日 リストに追加)

書評 日本経済のミステリーは心理学で解ける (一般書) http://yangkuma.blog81.fc2.com/blog-entry-2114.html

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■福岡県 行橋市議会議員 小坪慎也さんのブログ 
(2014年10月9日 リストに追加)

【保守に必要なもの】廣宮孝信の思考パターン(2014年10月8日) http://samurai20.jp/2014/10/hiromiya/

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この本を気に入って下さった場合、あるいは、「国の借金問題は、カネの問題ではなくて、将来にわたってモノを充足させ続けることが重要」という考えを広めるというこの本の趣旨に賛同して下さった場合には、是非、ブログ、ツイッター、フェイスブック等で書評、寸評など書いて頂ければ幸いの至りであります。
(ブログ等で書評を書いて下さったことをコメント欄等でお知らせ頂ければ、感謝の気持ちを表することも兼ねまして、このエントリーに順次追加させて頂きたいと思います)




ちなみに、この本に関しましては、反安倍政権の立場の方からも、安倍政権支持の立場の方からも、あるいは、どちらでもない方からも、フェイスブックやツイッターで「買いましたよ!」と言って頂いておりますが、私自身の安倍政権に対するスタンスは、CIAじゃありませんが「否定も肯定もしない」であります。

私としましては、誰のことも否定せず、批判せず、ただ淡々と自説を主張する、というスタンスで参りたいと思います。

その理由は、誰かを否定・抑圧してしまうと反発を招き、自説を最初から聞く耳すら持ってもらえないことになってしまうという、人間の持つ心理学的、脳科学的、生理学的なシステムに基づくものであります。

また、「最終的にはあらゆる種類の矛盾、対立を乗り越えて、調和的統合を実現したい」という理想を掲げているという事情もあります。





さて、今回のエントリーはその「否定・抑圧」が人間社会にいかに重大な影響を与えるか、というお話でありますが、2週間前に書きました

【米国、再び戦争への道を歩み始めたか?――「米国が『イスラム国』攻撃で各国に協力要請、多国籍軍編成も視野(ロイター記事)」】

のフォローアップ記事でもあります。







米大統領、シリアでの空爆準備…イスラム国拠点
http://headlines.yahoo.co.jp/hl?a=20140911-00050067-yom-int
読売新聞 9月11日(木)10時45分配信

 【ワシントン=今井隆】オバマ米大統領は10日夜(日本時間11日午前)、ホワイトハウスで国民向けに演説し、イスラム教スンニ派の過激派組織「イスラム国」掃討に向けた戦略を発表した。

 「イラクだけでなく、シリアの『イスラム国』に対する行動を起こすことをためらわない」と語り、イラクにおける空爆拡大に加え、「イスラム国」が拠点とするシリアでの空爆を準備する意向を表明した。

 オバマ氏は、シリアでアサド政権や「イスラム国」と戦うシリア反体制派に対しても、イラク軍同様に米軍が直接訓練し、武器を供与する方針を明らかにする一方、「自国民を弾圧したアサド政権は頼らない」と語り、対「イスラム国」でシリア政府と協力する考えのないことを示した。

 演説ではまた、「米国は広範な『有志連合』を率い、テロリストの脅威を後退させる。包括的で持続可能な対テロ戦略によって『イスラム国』を弱体化し、最終的には壊滅させると語った。「『イスラム国』のような『がん』を根絶するには時間がかかる」と述べ、長期戦になるとの見通しを示した。

 米軍はこれまで、イラクでの空爆の目的を〈1〉米国人や米施設の防護〈2〉人道危機の阻止――に限定してきた。オバマ氏は「『イスラム国』に対してイラク軍が攻勢に出るのに合わせ、標的を空爆する」と述べ、空爆の制約を外して、イラク国内の全ての「イスラム国」を攻撃する考えを示した。シリア空爆を準備する理由は、「米国に脅威を与えるテロリストはどこにいようとも追いつめる。米国を脅すなら聖域はない」と説明した。




ホワイトハウスのホームページを見ると、英語ではこんな感じです:

“ISIL is a terrorist organization, pure and simple.”
「ISILは、純粋かつ単純に、テロ組織だ。」



“Our objective is clear: We will degrade, and ultimately destroy, ISIL through a comprehensive and sustained counter-terrorism strategy.”
「我々の目標は明確だ:我々は包括的かつ持続的な対テロ戦略を通じてISILを弱め、そして最終的には壊滅させる。」



“Our endless blessings bestow an enduring burden. But as Americans, we welcome our responsibility to lead.”
「我々の無限の神からの恩恵は、尽きることのない重荷を授ける。しかし、アメリカ人として、我々は喜んで、我々が果たすべき責任を全うするのだ。」


最後の文言は翻訳しにくい(おそらくキリスト教的な言い回し?)のですが、読売新聞の記事にあるように、長期戦を覚悟していると読み取れるのではないかと思います。








バイデン副大統領は一段と過激です。


Biden's warning to ISIS militants: 'We will follow them to the gates of hell'
バイデンによるイスラム国戦闘員への警告:「我々は彼らを地獄の門に追い詰める」
http://edition.cnn.com/2014/09/03/politics/joe-biden-isis-gates-of-hell/
By Ashley Killough, CNN
September 3, 2014 -- Updated 2226 GMT (0626 HKT)




"They should know we will follow them to the gates of hell until they are brought to justice," he forcefully told an audience at an event on the New Hampshire-Maine border. "Because hell is where they will reside. Hell is where they will reside."
「彼らは、彼らに正義がもたらされるまで、我々が彼らを地獄の門まで追い詰めることを知るべきだ」、とバイデン副大統領は、ニューハンプシャー州とメーン州の州境で行われたイベントで聴衆に向けて力強く述べた。
「地獄こそ、彼らの住むべき場所だ。地獄こそが、彼らの住むべき場所なのだ!」




これに関連して、昨日の日経新聞朝刊の記事

 「米、テロとの戦い再び 大統領、シリア領空爆を表明 アジア重視、形骸化も」(2014年9月12日朝刊7面)

に、ワシントンポストとABCテレビの世論調査の数字が紹介されていました。

イスラム国空爆の世論が、6月22日の時点では賛成46%、反対45%で賛否拮抗いていたものが、空爆開始で賛成が少し上がり、一人目の米国人ジャーナリスト殺害でまた上がり、二人目の殺害でまた上がり、9月7日には、賛成が遂に71%にまで上昇、反対は23%に下落しています。

この世論に呼応する形で、副大統領の「地獄!地獄!地獄!」発言が飛び出た模様です。上に張り付けたビデオで音声を聞くと

"Because hell is where they will reside. Hell is where they will reside."
「地獄こそ、彼らの住むべき場所だ。地獄こそが、彼らの住むべき場所なのだ!」

の箇所は、かなり迫力があります。



このバイデン副大統領の発言やオバマ大統領の発言、以前紹介したレバノンのヒズボラ幹部

「何十万というシオニストたちを生き地獄に陥れることになるだろう」

や、アフマディネジャド前イラン大統領

「シオニスト政権とシオニストたちは、悪性腫瘍である」

という発言を彷彿とさせるような気がするのは、私だけでしょうか???


そして、この日経の記事では次のような警鐘を鳴らしています:


中国の台頭を念頭に中東からアジアに外交の軸足を移す「再均衡(リバランス)政策」との整合性も問われる。オバマ氏がリバランス政策を打ち出したときイラクとシリアへの軍事行動は想定していなかった。米国は大幅な国防費の削減を迫られており、中東へのさらなる傾斜は中国やロシアの増長を招く懸念もある。



米国の国防費の削減については昨年の当ブログ
http://grandpalais1975.blog104.fc2.com/blog-entry-592.html
で、
訳11兆円すなわち自衛隊2つ分ピーク時から削減

という話をグラフ付きで書きました。

このニュース、日本にも重大な影響を与えかねない、今年最大の事件だと思うのですが、日本のテレビでの報道はあまり大きな扱いになっていないですね(なぜでしょう?)。



それはさておき、この問題について、個人心理と群衆心理を一括で扱うことができて非常に役に立つユングの「大衆化」と「個性化」の概念を使って検討してみたいと思います。


まず、9.11あたりから振り返ってみることにしましょう。
「本当の事実」と異なる点もあろうかと思いますが、一応は日本で報道されている事実(と私が認識している事実)に基づいて書いてみます:

・9.11でジェット機がニューヨークの超高層ビルに突っ込み、その後ビルが崩壊するという衝撃的な事件が起き、その映像が繰り返しテレビで放送され、多くのアメリカ人に強烈な恐怖と怒りの感情を湧き起こることとなった。

・その9.11はイスラム過激組織「アルカイダ」の犯行とされ、沸騰したアメリカの世論を背景にブッシュ政権は「アルカイダ」をかくまっているとされたアフガニスタンのタリバン政権を攻撃し、崩壊させた。

・さらには、イラクのフセイン政権が大量破壊兵器を所有していてアメリカ人の安全の脅威になっているとされ、沸騰したアメリカの世論を背景にブッシュ政権はフセイン政権を攻撃し、崩壊させた。

・上記のイラク戦争以降、イラクでは民間人の犠牲者が10年間で11万人を超えたことなどもあり、アメリカによる攻撃に対して強い恐怖と怒りを覚えたイスラム系の人が増え、過激思想に染まる人も増えることとなった。

・アメリカ軍がイラクから撤退したあと、反米の過激思想の人たちが親米のイラク新政府を攻撃し、シーア派とスンニ派の対立もあって急速に勢力を拡大、「イスラム国」を形成するに至った。

・昨年、米オバマ政権はシリアのアサド政権を攻撃を決断したが、アメリカ世論の圧倒的な厭戦気分、戦争疲れの気分に押され、撤回した。

・「イスラム国」による相次ぐ米国人ジャーナリスト殺害などの過激な行動に強烈な恐怖と怒りを感じたアメリカ世論が盛り上がり、再び本格的な軍事作戦を展開することとなった。




さて、ユングの「大衆化」というのは、端的に言えば、人間が強烈なストレスを感じた際、原始人的、あるいは野生生物的な性質が自動的に、勝手に起動しやすい状態に陥っていることを意味します。

「原始人的、野生生物的な性質」というのは、別にそれ自体は良い悪いというものではなく、生物が生命の保全、種の保存を達成するために必要な基本的機能と言えます。

脅威にさらされると、生物の体内では俊敏に動くための態勢を整えるためのストレス反応が自動的に生じます。
そして、ストレス状態になったときは、自分自身の身を守るため、あるいは、自分の属する集団を守るための行動を、かなり、自動的に行うことになります。


こういったことは、NHKの「ダーウィンが来た!」を見ていると良く分かります。
例えば、ヌーの群れがライオンに襲撃された際、ヌー達は一致団結して互いに協力し、戦略的にライオンを追い払う行動を取ることになります。

つまり、
「脅威にさらされた」ときの基本的行動パターンの一つが「団結する」です。
当たり前のようにも聞こえますが、ここでストレスというキーワードを絡ませるのがポイントです。強烈なストレスを感じたからこそ、この基本的機能が起動する、ということになります。


もう一つの基本的パターンを挙げると、それは「異質なものを排除する」というパターンです。

これについては、我々の体内にある免疫細胞(白血球)の振る舞いが象徴的です。白血球の一種、好中球は、ウィルスなどの「異質なもの」を見つけると、それを排除する行動にでます。
 ここで興味深いのは、好中球は自らの所属する組織(=人間)を守るために、自らの生命を犠牲にしてまで「異質なものを排除する」という任務をまっとうすることです。
 ミツバチが巣に近づいた侵入者=異質なものを排除するため、自らの命を犠牲にしてまで侵入者への攻撃を断行します。(ミツバチは一度針を相手に刺してしまうと、自分自身は死んでしまいます。)

つまり、
生物としての人間は、強烈なストレスを感じると、やたらに「団結」したがるし、やたらに「攻撃的(異質なものを排除する)」な傾向を示すようになるし、ときには自らの犠牲をいとわずにそれをやる、という機能が勝手に起動する性質を持ち合わせています。

このような「団結」したがる機能、「攻撃的(異質なものを排除する)」な傾向を示す機能、自らの属する集団を自らの犠牲をいとわず行動を起こす機能が、勝手に起動してしまうような状態が「大衆化」です。


アフガン戦争/イラク戦争も、その反動の「イスラム国」の勃興も、そして、その「イスラム国」勃興に対する反動である今回のイスラム国撲滅作戦の発動も、この「大衆化」の枠組みで理解することができると思うのですが、いかがでしょうか。


一方、
「大衆化」の正反対の概念である「個性化」はというと、要は、ストレスを感じたことでポコポコと好き勝手に起動している原始人的、野生生物的な機能をうまく飼い慣らし、まるく治めることができた状態です。

これを担当するのが理性であり、理性を担当する脳の箇所が大脳皮質の前頭前野、ということになります。
つまり、「個性化」をうまくやるためには、この前頭前野を活性化する必要があります。

そして、前頭前野を活性化するためには、ストレスを解除してやる必要があります。
 その最重要キーワードが「肯定」である、としていることが私の今回の本の最大の特徴の一つです。
 というのは、「否定」は必ず何かしらのストレスを生じさせるからです(どんな形の「否定」も、自らの存在を脅かされることを必ず連想させるため)

 ストレスは前頭前野を抑制し、原始人的/野性生物的性質を担当する扁桃体を活性化する役割を持っています。

こういった概念を説明するのに一番分かりやすい例えが、こないだの大河ドラマ「軍師官兵衛」でもやっていた、豊臣秀吉が徳川家康を徹底的に「肯定」することで自らの支配下に組み入れたプロセスです。

秀吉は当初、戦争で家康を屈服させるつもりでしたが、手痛い反撃を受けてそれをひとまず断念しました。
その後、すでに嫁いでいた妹をわざわざ離縁させて家康に嫁がせ、さらには、実の母親まで人質に出し、家康がついには折れて秀吉の参加に下ることとなり、つまり、秀吉は平和的に家康を支配下に組み入れることになりました。

秀吉も頑張れば家康を戦争で滅亡させることができたかもしれませんが、我々の中にある「原始人的性質、野生生物的性質」はそうはいきません。我々が生物学的進化の過程において、理性や論理的思考を獲得するよりはるか前に獲得している「原始人的性質、野生生物的性質」は、「殺そうとしても、決して殺せない」のです。

以前紹介した、イーグルスのホテルカリフォルニアの歌詞にあるように、

They stab it with their steely knives,
But they just can't kill the beast
彼らは鋭いナイフを突き立ててその野獣を殺そうとするが、殺せなかった


というわけです。



消せない、殺せないのであれば、秀吉が家康に行ったように、その存在を承認し、所領を安堵してやる=積極的に肯定してやるしかないということになります。

このような形で心の内なる戦国時代を「天下統一」するのが「個性化」です。
逆に、各地の大名が好き勝手に暴れている戦国乱世状態が「大衆化」ということになります。



この「個性化」=心の内なる戦国時代を「天下統一」こそ、人生の目的とすら言えるくらい、極めて重要な概念とすら言えるでしょう。
戦国大名が、人生のすべてをかけて現実世界の「天下統一」を志したのと同等以上に、一人ひとりの人間にとって、心の内なる戦国時代の「天下統一」はやりがいのある、人生の一大事業と言えるのではなかろうか、と。




というわけで、
「大衆化」と「個性化」についてまとめてみます:

「大衆化」:
個人の内部はてんでバラバラ(何らかの強い「否定」があり、高ストレス状態)
⇔その個人の所属する集団は一致団結
⇔ただし、敵対する集団とは対立が激化


「個性化」:
個人の内部は調和的に「天下統一」(「肯定」をうまく活用することで、ストレス解除状態)
⇔その個人の所属する集団が全員「個性化」できていればその集団全体も調和状態
⇔敵対していた集団も全員「個性化」できていれば、対立は緩和



この個人心理と群衆心理を一括して理解するのに役立つユングの「大衆化」と「個性化」について、
詳しくは、↓こちらをどうぞ


(ちなみに、↓この本の中ではユングの著書から、多くの人々が「個性化」できていない状態で安易に「国際化」をすると世界大戦になるという話も紹介しております)



徳間書店刊

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↑この本の目次項目一覧はこちら






 バイデン副大統領の

 『地獄!地獄!地獄!』発言は、

 アメリカ国民の群衆心理が

 かなり『大衆化』していることの表れか?



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606:「哲人宰相」李登輝 元台湾総統②――「どんなに小さくても良いから創造せよ」「自己を超越せよ」――個人の公益に対する貢献を極大化させるための道筋

2014/03/03 (Mon) 16:12
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前回の続きです。

今回は、李登輝さんがかなり力点を置いて語っていたトーマス・カーライル『衣装哲学』に関係する内容を中心に紹介させて頂きます。


前回書きましたように、その『衣装哲学』というのは

「生とは借り物。衣服に過ぎぬ」

というような思想ですが、李氏が自らの「人生の先生」としている新渡戸稲造の影響で知ることになったものです。
以下、李氏の講演の際に私が取ったメモに基づいて簡単に紹介してゆきたいと思います。


李氏によれば、この『衣装哲学』の要諦は

“永遠の否定”から“永遠の肯定”に至る過程

ということになります(と私は解釈しています)。

この言い回しを使って、前回書きました武士道の話、

死から出発して、いかに生きるかということを考えるのが武士道

を書き換えてみますと、

永遠の否定(=死)から出発して、永遠の肯定(=いかに生きるかということ)を考えるのが武士道

というようにつながるのではないかと思います。

私は、これが李氏が武士道の話から『衣装哲学』の話を展開したことの趣旨ではないかと解釈しています。


また、李氏が90年の人生で到達したという

我是不是我的我(私は私ではない私である)

という境地は、

「生とは借り物。衣服に過ぎぬ」 という『衣装哲学』の考えを別の言葉で言い換えたもの

とも言えるでしょう。


なお、

私は(1)私ではない(2)私である

という言葉は、

---

私は、

(1)私ではない→否定形

(2)私である→肯定形

---

と分解してみることもできます。


以上のような下準備をした上で、以下、『衣装哲学』の内容のお話に入りたいと思います。


※話の流れとしては、架空の哲学者を主人公としたような物語調になっているようです。


●第5章
主人公の哲学者が失恋、職業の失敗により、孤独に陥ります


●第6章
「巡礼」

主人公は巡礼に出るのですが、どこへ逃げても、内面の苦悩から逃げられないという状況に陥ります


●第7章 
「永遠の否定」

主人公は、
 ・孤独
 ・不信心
 ・懐疑
のどん底の状態です。


●第8章
「無関心の中心」
 主人公は、第7章の「永遠の否定(孤独、不信心、懐疑)」の状態から、一種の燃え尽きた状態、
 ・石灰化
の状態に遷移します。
 “灰”は白でも黒でもない中性の状態であり、 “否定の極から肯定の極へ移行するまでに避けて通れない状態”、ということになります。


●第9章
「永遠の肯定」
 主人公は、「永遠の否定→石灰化」という過程を経て、初めて人生におけるもっとも重要なことに気づくことになります。
 李登輝さんの言葉をそのままここで書くと、この「永遠の肯定」の段階とは、
「神から与えられた使命」
に気づく段階ということになります。
(※李登輝さんはキリスト教徒なのでこういう表現になりますが、「神」という言い方がいまいちなじまない方は、例えば、中国古典に出てくるような「天意」とかそういった言葉で置き換えて良いものと思います。なお、前回も書きましたが、李登輝さんは「信仰は宗教に限らない」と言っています。)


「神から与えられた使命」ということの一つが
「公のために働くべし」
ということになろうかと思います。

 この考えに至るには、辛い体験などのいわば自己を否定される体験とそれを克服する過程、すなわち「永遠の否定→石灰化」という過程が必要不可欠ということなのかもしれません。

 一方、このような否定から出発して肯定に至るという過程についての別のアプローチが武士道の「死から出発していかに生きるかを考える」 というアプローチということなのでしょう。


 さて、これに関して、前回に頂いたコメントによって私は、
「現代社会は医療や食糧生産が高度に発達した結果、昔よりも個々人が死から遠ざかっている。
昔は自分自身の死がもっと身近で切実なものであったため、
人々はかなり限られた人生をより有効に、有意義にしたいと意識し、よって、人々は言われなくとも公益を意識しやすい。
逆に、現代社会では自分自身の死がかなり遠いものとなったため、 人々は公益を意識しにくくなったのではないか」

ということに気づかせて頂きました。
 李氏が武士道を持ち出して敢えて死について我々に意識するように促したのは、このような理由もあるのかも知れません。


 死について意識することは、「永遠の肯定(≒公益を意識する状態)」に至るための「永遠の否定→石灰化」の過程を実体験できなかったとしても、それを疑似的に体験、あるいは、少なくとも想像するきっかけとして極めて有用となるといった具合でしょうか。

 また、李氏はこの「永遠の肯定」話をするときに次のような事をおっしゃっていました:
 ・どんなに小さくてもよいから創造せよ
 ・自己を超越せよ


ただし、私は講演の当日、この

・どんなに小さくてもよいから創造せよ
・自己を超越せよ

という言葉と

・公のために働くべし
・神から与えられた使命を行うべし

という言葉が、なんとなくはつながると思ったものの、 なかなか厳密につなげて考えることができませんでした。


が、1週間以上たって、以下のように考えるようになりました。

・どんなに小さくてもよいから創造せよ
・自己を超越せよ

というのは、言い換えれば、

・他人にはできない、自分にしかできないことをやりなさい

ということになります。

そして、
「他人にはできない、自分にしかできないこと」を効果的に行うことができるならば、それこそが個人の公益に対する貢献を極大化する道筋となる
ということになるのではないでしょうか。

これが、李登輝さんがいうところの「神から与えられた使命を行う」ことであり、 私が個人的に好む表現を用いれば「天命を行う」ことであろうかと思われます。


さて、以上のような李登輝さんの講演内容を踏まえた上で私なりの考えを簡単にまとめてみます:

「人生において可能な限り私益と公益を一致させ、その両者を同時にバランスよく増大させ、さらにはその枠組みの中において自分にしかできないような天命を果たし、個人としての公益に対する貢献を極大化させることができたとしたら、一人の人間としてこれほど幸福な生き方はないのではなかろうか」


※今回の李登輝さんの講演(より厳密には修学院 研修会)を拝聴する機会を与えて下さった修学院の皆さん、特に、お忙しい中、本業でも何でもないのに旅行の手配などをして下さった修学院の梅本大介さん、この研修会の参加を呼びかけて下さった行橋市会議員の小坪慎也さんに、この場を借りて心から感謝申し上げたいと思います。




 『どんなに小さくてもよいから創造せよ』

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605:「哲人宰相」李登輝 元台湾総統①――「死から出発して生を考えるのが『武士道』」――新渡戸稲造は“人生の先生”

2014/03/01 (Sat) 16:25
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先月21日、台湾で李登輝 元台湾総統の講演を聞いて参りました。
非常に感銘深いところが多かったので、かいつまんで紹介させて頂きたいと思います。

※以下、
・当日の李氏の口述内容の廣宮によるメモ
・当日配布された二冊の冊子(いずれも、李登輝氏の著作)
 「人類と平和」(参考文献〔1〕)
 「特集『メメント・モリ』」(参考文献〔2〕)
を参照しながら書くこととします。


●「後藤新平は指導者としての先生。新渡戸稲造は人生の先生」

李登輝さんは1923年、日本統治下の台湾・台北市に生まれました。
ご本人曰くは、日本の教養重視政策の恩恵を多分に受けることができ、若いころは死ぬこととは何か、生きることとは何か、ということを徹底的に考え抜く日々であったとのことです。

そのような死生観の思索をするなかにおいて出会った重要な思想の一つが、新渡戸稲造(にとべ いなぞう)の『武士道』であり、李氏曰くは、

「死から出発して、いかに生きるかということを考えるか、が『武士道』」

ということになります。

※『葉隠(はがくれ)』で言えば、「武士道と云ふは死ぬ事と見付けたり」という発想法です。


さて、その新渡戸稲造は、実は台湾の農業と工業の近代化と発展に極めて重大な役割を果たしたのだそうです。
特に製糖業について、衰退しつつあった台湾の製糖産業(小規模零細が主)について、その潜在能力を新渡戸は日本内地の需要のみならず欧米に比肩し得るものだと看破し、台湾総督府 民政部殖産局長心得としてわずか3年の在任中に台湾の製糖業を確立(大規模、近代化)しました。それが1940年代にはハワイを追い抜き、台湾は瞬く間に世界屈指の砂糖産地となってしまったのだとのことです。

その新渡戸を台湾に招いたのが、第4代台湾総督の児玉源太郎によって民政長官に抜擢された後藤新平でした。

李氏によれば、その後藤新平は1,080人もの「役立たず」の官吏を解雇するという大ナタを振るい、新渡戸らのような有為な人材を台湾に招いたとのことです。
後藤がこのような辣腕を振るえたことの背景には、指導者たる者に必要不可欠な強烈な信仰があったはずであり、李氏はその後藤の信仰対象とは「天皇」あるいは「国家」ということではなかったかという推測を述べています(なお、李氏自身はキリスト教を信仰の対象としています)。

このように「『信仰』が無ければ指導者たり得ない」ということを学んだことから、李氏は「後藤新平は指導者としての先生」としています。
また、『武士道』を著した新渡戸から人生哲学を学んだことから、李氏は「新渡戸稲造は人生の先生」としています。

※ちなみに、ウィキペディアによれば、児玉源太郎は長州出身、後藤新平は仙台藩士の子弟、新渡戸稲造は盛岡藩主用人の子息です。つまり、旧“官軍”側の児玉が、旧“幕府軍”側出身の後藤を招き、その後藤が同じく旧“幕府軍”側出身の新渡戸を招いたことになります。
 李氏にとっての二人の重要な“先生”がともに、日本における旧“幕府軍”側出身者ということは、非常に興味深いところですが、自身の立場と重ね合わせる部分も大きいのかも知れません。
 というのは、李氏のような旧日本統治下で高等教育を受けた内省人(ないしょうじん)は、戦後、大陸からやってきた国民党軍から迫害の対象とされ、李氏自身も2.28事件(1947年)のような大量虐殺事件において命からがら逃げ延びたという経緯があるからです。
 自らを迫害した恨み骨髄の仇敵というべき国民党に入党し、数奇な巡りあわせによって蒋経国から後継者に抜擢され、ついには総統にまで上り詰めた李氏にとって、自らを“迫害”した官軍側の児玉から抜擢され、私怨を脇に置き、無私/公益重視の発想で国家に奉仕した後藤や新渡戸に対して大いなる親近感を覚えたのは、極めて自然なことではなかったかと思われます。



●李登輝哲学の真髄:「私は私でない私である」

さて、李氏の死生観/人生哲学の形成過程について簡単に要約するならば、

「“死”から出発して考えれば、無私、公益重視の“生”という考えにたどり着く」

ということになろうかと思います。


李氏曰くは、

・中国的な発想:「我就是我」(私は、私だ!)
→私益重視の発想=「生きる」ことについて「生きる」ことからしか考えない


・日本的な発想:「我是不是我的我」(私は、“私ではない私”である)
→公益重視の発想=「生きる」ことについて「死」から発想して考える


とのことです。

※ミクロで見れば、日本人だからと言って全員が公益重視かと言えば、決してそうではありませんし、中国人だからと言って全員が私益しか見えていないかと言えば、決してそうではないでしょう。
 しかし、確率統計論的に、あるいはマクロ的に見ると、
 ・中国:私益重視→無秩序、不調和、不均衡
 ・日本:公益重視→秩序、調和、均衡
の傾向が若干強いと言えるかも知れません。
 これは例えば、自動車の運転態度を観察すればよく分かります。
日本では、特に、関東辺りでは、車線減少によって二車線の車列が合流しなければならないような状況では、二列の自動車が交互に譲り合い、秩序だって一列に統合されます。
 中国では…私は10年ほど前、北京でタクシーに乗ったことがありますが、いやあ、それはもう凄まじかったです。彼の地でタクシーに乗ってみれば、別に誰かに追われているわけでも何でもないのに、ハリウッド映画なみのスリリングなカーチェイスを実地で体験することになります。現地の観光ガイドによれば、北京ではバイクに乗る人は最近は全くいなくなった、とのことでした。なぜならバイクになど乗っていれば確実に死ぬからです。
 このように見ると、日本はより秩序的であり、中国はより無秩序的であると言えないことはないでしょう。なお、日本でも関西においては関東ほどお上品ではありませんが、北京に比べれば確実に秩序的と言えます。



さて、参考文献〔2〕では、この「我是不是我的我」(私は、“私ではない私”である)という、李氏がこれまでの90年の人生において到達した境地について、次のような解説があります:

---
「私は私である」という、「私の生」の側からの生き方ではない、「神から与えられた生」を自覚して、己を尽くして生きる無私の生き方がそこにはある。

指導者として、あるいは、この世に生を享けた者にのみ「与えられる道」を生きる者として、次世代へ繋ぐ(つなぐ)確かな意志も、その言葉には込められている。

混迷の時代は、暗闇をもたらす「我は我なり」という人間の業に端を発する。

大変革の転換点にある今、時代は、日本人は、「私でない私」を経験できるか――。
---


ちなみに、講演の質疑応答の際、李氏は「いまはG0の時代(覇権国の無い時代)です」と発言しています。また、参考文献〔1〕において李氏は

---
国際的環境が現在のようにリーダーシップ国家がいなくなった時に、グローバル資本主義を強調する力のある国は、力の現実として、その力の行使を行うだろう。そうして正義を高く掲げて戦闘行為を正当化するような政策や言動をとるだろう。

国際的環境の変化によってもたらされた戦闘を正当化するような理念の先走った戦争を前にして、より現実を踏まえた慎重な政策が可能でないかと考えざるを得ない。人間の幸福な立場からして平和を模索すべきである
---

と書いています。
 つまり、李氏の現状認識は、世界の無秩序化ということになります。
 そして、そのような状況の中においては、政治指導者が無私・公益重視の思想をしっかりと持つことが極めて重要なのだ、ということになろうかと思われます。

 李氏が講演で最も強調して述べたかったことの一つは「私が日本人から学び取った無私・公益重視の思想こそが、これからの混迷の時代において、より一層重要なのですよ、日本人の皆さん!!!」ということではなかったかと拝察致します次第です。


 ちなみに私(廣宮)は、今年の1月3日の当ブログで、アメリカが世界の盟主を退こうとしていること、それでこれから日本は非常に困難な時期を迎えるであろうことを述べた上で、今こそ心理学や脳科学や生理学で経済や政治を考えることが重要であると主張しました。
 また、その際に核となりそうな「徳」という概念について、孔子や老子の言葉を引用し、それを主にフロイトやユングの心理学の枠組みを使って解説しました。

 このタイミングで李登輝さんの①世界の無秩序化という現状認識と、それゆえに②無私・公益重視の思想をしっかりと持つことが極めて重要とする思想に触れたことは、かなり感慨深いものがあります。

 李登輝さんの言葉を追っていると、恐らく「この混迷の深まる世界において、指導者はより一層、徳を積むべし」という主張をされているのかな、というのが私の解釈です。

 一方で私自身は、指導者のみならず、一般大衆がより一層各自で「徳を積む」ことを志向することが望ましい、と個人的には考える次第です。
 というのは、いくら国家の指導者が能力的にも人格的にも超人的に優れていたとしても、それを支える一般大衆たる国民がその指導者の人知れぬ努力や苦労を一切顧みることなく、「あいつは毎晩高級ホテルのバーで飲んでいやがった」とか「高級料亭で天ぷらを食っていやがった」とか「1000円もするカツカレー食ってやがった」などの、かなりどうでもいいような理由でその指導者をいちいち引きずり下ろすようでは、そんな国はどんなに頑張っても永遠に不安定なままとなってしまうように思えるからです。
 私の個人的な考えは、「国家の命運を決めるのは国民全体の性質(指導者の資質を含む)」であります。

 なお、私が『老子』の第28章から解釈した「徳」というのは、簡単に言うと「ある考えとその正反対の考えは両方正しいと考えること」です。
 この枠組みで生と死を考えると、生きることも、死ぬことも、両方とも正しい」と考えることができます。


 そして、
 李登輝さんは死と生について、次のように述べています:

  死について:「死んだら自然に還るだけ」
(参考文献〔2〕)

  生について:「生とは借り物、“衣服”に過ぎない」(講演での口述)


いかがでしょうか?

 この李氏の死生観を、ぜひ今一度私が先ほど書いた「生きることも、死ぬことも、両方とも正しい」と合わせて読んでみて下さい。もし、何か感じるところのものがありましたら、当エントリーのコメント欄か、私のフェイスブックか、ツイッターに感想をお書き下されば幸いに存じます。


 さて、「生とは借り物、“衣服”に過ぎない」というのはスコットランドのトーマス・カーライルの『衣装哲学』の引用であり、李氏はこれを新渡戸稲造による講義録でお知りになったようです。
 そして、講演で李氏はこの『衣装哲学』に相当な力点を置いて話されていましたので、次回はこの『衣装哲学』に関係する内容を中心に紹介させて頂きたいと思います。


 最後に、「“死”から出発して考えれば、無私、公益重視の“生”という考えにたどり着く」という李氏の死生観/人生哲学の形成過程について、私なりの解釈を書いておきますと、以下のようになります:

・「死んだら自然に還るだけ」である。

・また、一人の人間の生涯など、宇宙全体の数十億年の歴史に比べれば所詮一時的なものであり、「生とは借り物、“衣服”に過ぎない」。

・上記のように死について考え、死から出発して生を考えれば、より高い水準の冷静さと客観性と理性を得ることができる。

・より高い水準の冷静さと客観性と理性を得ることができれば、「他者の利益をも増大することが結局は自己の利益を増大することになる、すなわち、社会全体の利益が増大して初めて自己の利益も安定的に増大する」という当たり前のことに気づきやすくなり、私益の増大のみならず公益の増大という目的意識を持つことが可能となる。
※李氏は私益についてあまり触れていませんが、公益の増大に貢献するための資力がまったく無ければ、どんな個人も公益に資することは不可能になると考えられます。
 例えば、「公務員は公益に資するべきであるから、全員無給で滅私奉公、ボランティアにせよ」というようなことは、どう考えても不可能です。
 よって、一人ひとりの個人の公益への貢献を極大化させるために必要な最低限度の私益の増大は、決して否定すべきではないでしょう。




 『武士道と云ふは死ぬ事と見付けたり』

 というのは、

 『生きるとは、公益について考えることと見つけたり』

 と解釈することもできるわけか!



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601:「恐怖は安全に対する願望の裏返し」+【ご案内】李登輝 元台湾総統に合いに行こう(日本 修学院 台湾研修講座 『武士道とトップリーダーの実践』)

2014/01/15 (Wed) 17:15
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前回も色々とコメントを頂き、ありがとうございました!

コメントを頂くと何かと良い刺激になります。
「刺激」というのは、そこから何かしら必ず“連想”することになるからです。
(詳細は、1月3日のエントリーに書きました、ユングの「コンプレックス」の概念や、フロイトの自由連想法の辺りをご参照ください)


さて、その「刺激」によって、今回はもう少し「恐怖」という概念について書いてみたいと思います。

前回書きましたが、人間の体内において恐怖の感情を発生するメカニズムは、「本来的には生物にとって生命保全のための危険回避行動を取るために必須」の機能と言えます。

これについてもう少し生理学的な説明を加えておきますと、危険に対して身体を俊敏に動かし、「闘争または逃走」するための態勢を即座に整える反応が生じることになります。
その態勢とは、例えば心拍数、血糖値、血圧の上昇、毛細血管の収縮といった、無酸素運動をスムーズに行うための準備などのことです。(ほかにも、ホルモンバランスの変化その他もろもろのことがあります)

そして、この「心拍数、血糖値、血圧の上昇、毛細血管の収縮」といった生理学的な反応がストレス反応ということになります。


それはさておき、「生命保全のための危険回避行動を取るために必須」の機能というのを、別の言葉に置き換えますと、「安全確保のために必須」の機能ということになります。

つまり、恐怖とは安全に対する願望の裏返しと言えます。裏返しどころか、恐怖とは安全に対する願望そのものとすら言えるかもしれません。
すると、
恐怖、あるいは、恐怖反応=ストレス反応というのは、生物学的には、安全確保のための機能であり「善」であると言えるでしょう。

しかし、この恐怖反応、ストレス反応が時として暴走することによって、極度に攻撃的になることがあります。
人間、強烈なストレスを感じると攻撃的になりがちですが、それは本来は安全確保のための機能が誤作動した、ということになりましょう。
本来は「善」であったとしても、そのような状態は残念ながらもはや「善」とは言えず、「悪」ということになるかも知れませんが、これはバランスが崩れた状態、と規定して良いかも知れません。

といったわけで、「善」と「悪」というものもまた表裏一体であり、互いに密接に関係しているとも言えるでしょう。
生物学的には本来「善」であるはずの機能が過度に作動すると「悪」になり得るし、「悪」も多少のバランスを回復すれば「善」になり得ます。


以上のことを踏まえますと、例えば、
「国の借金に対する恐怖」というものがあるとすれば、それは「生活の安全に対する願望」の裏返し、あるいは「生活の安全に対する願望」そのものであり、「恐怖」であるからには、究極的には必ず「善」であると言えます。

また、もし仮に「国の借金に対する過剰な恐怖」というものがあるとすれば、それは、「過剰」であるならば「悪」ということになるかも知れません。しかし、多少なりともバランスを回復して「適度な恐怖」となったとすれば、これはやはりかなり確実に「善」ということになろうかと思います。


それから、私は以前米国における秘密主義的なTPP推進の背景には「強欲」すなわち「富を失うことに対する恐怖」=「貧困に対する恐怖」があるのではないかというようなことを書きました。

もう少し厳密には

「強欲」=「富を失うことに対する過度の恐怖」=「貧困に対する過度の恐怖」

と言えるかも知れません。

「恐怖」という限りは、その正反対の願望、つまりは「富を得たい、貧困を回避したいという願望」であり、究極的には、実は「善」であると言えます。ただしそれが「過度の恐怖」や「過度の願望」であるならば、そこに大いなる問題があるかも知れません。



さてここで、

「善」=バランスの取れている状態
「悪」=バランスの崩れた状態

としますと、1月3日のエントリーで書いた「徳」と「孤」の定義にピタリとハマります。

「善」=「徳」=調和、均衡、秩序
「悪」=「孤」=不調和、不均衡、無秩序


という具合です。

強欲、過度の恐怖、過度の願望は「孤」ですが、適度の欲求、適度の恐怖、適度の願望ならば、これは「徳」であると言えるのではないかと思う次第です。



ところで、最近のコメントで、

「最近の日本は経常赤字が定着してきましたね」

ということを書いて下さった方がいます。

穏やかな言い方なので、趣旨は正確には分かりませんが、経常赤字が定着して、政府の財政破綻や日本経済の破局に一歩近づいているのではないかという不安を表明されているのかもしれません。

もちろん、そうではないのかも知れませんが、「日本の経常赤字化が不安だ」ということであると仮定してみます。

では、とりあえず財務省の「国際収支の状況」を見てみると…

財務省 国際収支状況
Ⅰ.国際収支総括表
(データ期間:平成8年~)
s-1-4 月次
(単位 億円)

経常収支 (a+b+c)
平成25年 1月 2013 Jan -3,484
2月 Feb 6,497
3月 Mar 12,831
4月 Apr 7,844
5月 May 5,666
6月 Jun 3,777
7月 Jul 6,004
8月 Aug 1,571
9月 Sep 5,948
10月(P) Oct(P) -1,279
11月(P) Nov(P) -5,928
(P)は速報値を示す


です。
10月、11月は速報値で赤字が続いていますが、
1月から11月をとりあえず合計してみると39,447億円(3.9兆円)の黒字となります。

12月次第ですが、恐らく通年では黒字になるのでは無かろうかと思われます。

が、「今後この赤字傾向が強まったらどうなるか不安だ」と考えることもまた正しいと思われます。

つまりは、日本経済が、私がいうところの「孤」の状態(不安定な状態)になったらどうしたら良いかという不安です。
その不安は、「孤」の状態(不安定な状態)に陥った時に、できるだけ早く「徳」の状態(安定した状態)に回復させたいという願望の裏返しとも言えるでしょう。
私は、「不安」になることも、その正反対のことを望むことも、両方とも正しいと考えます。


では、経常収支に関して「徳」の状態(安定した状態)に回復させるにはどうしたら良いでしょう?

例えば、原発の運転を停止させていることで膨れ上がっている燃料代の問題が、この経常赤字化の大きな原因だと思いますが、この問題について考えることが必要となるのではないかと思います。

選択肢としては、
①「原発を再稼働させる」
②「原発に代わる自国内で調達できるエネルギー源を開発する」
③「①と②を両方とも正しいと考え、両方とも同時に推進させる」
といったことが考えられるかも知れません。

なお、私としましては、日本が仮に経常赤字体質になったとしても、当面はそれほどの問題が無いのではないかと考えています。

ヨーロッパのユーロ圏における経常黒字国と赤字国の明暗や、米、豪、NZなどの経常赤字国の安定などを考え合わせると、先進国の経済が著しく不安定化するのは、経常赤字が続いて対外債務国に陥った上で、さらに対外債務が外貨または実質建てであることが重なることがカギだと考えるからです。詳細は過去のエントリーをご参照ください。


さてさて、
「いや、それだけではやはり不安はぬぐえない」
と感じられる場合でも、それはそれで正しいと考えます。

その場合にご提案したいのは、過去に経常赤字や外貨建て借金で苦しんだ国が、どうやってそこから抜け出したかについて調べてみることです。

例えば、第二次大戦前の日本は、長い間、経常赤字と外貨建て借金によってさんざん苦しみ続けた経験があります。特に、日露戦争時に多額の外貨建て借金を背負いました。そのような状況でどうやって経済を運営していたのか、について調査することは「経常赤字によって“孤”に陥ることの不安」と「そこから“徳”の状態に戻りたいという願望」という正反対の事柄をうまく治めるために、非常に有用ではないかと思います。

また、第二次世界大戦直後の、さらに悲惨な事態からどうやって立ち直ったか、ということも詳細にしらべてみることも良いでしょう。あの物不足の強烈なインフレの時代をどうやって乗り切ったか?
当時の政治主題のひとつは、「食糧があと○○kcal分足りない」というようなものでした。
また、当時は日本を含む外貨が不足している国々の間で物々交換貿易をする「バーター取引」というようなこともなされていたと言います。
それから、とにかく産業の基礎中の基礎である鉄や石炭の生産のために資金と資源を重点配分する「傾斜生産方式」というやり方が採用された時代でした。

こういったことについて詳細に調べてみることは、「全面戦争における徹底的な破壊によって経済的に“孤”に陥ることの不安」と「そこから経済的に“徳”の状態に戻りたいという願望」という正反対の事柄を両方ともうまく治めるために、非常に有用ではないかと思います。





というようなわけで、
新年から書いていた一連のエントリーにおいて提案したいことを少しまとめておきたいと思います。

一つは、ある考えと、それと正反対の考えを両方とも正しいと仮定することで、新しい考えを生み出そうと試みることです。
例えば、資本主義と社会主義を両方とも正しいと仮定すると、「第三の道」という発想が生まれることになります。

自分の考えについて、それに対して真っ向から否定する考えの人がいるとき、ぜひ一度、「自分も相手も両方とも正しい」と仮定してみて下さい。何かいままで思いつかなかったような良いアイデアが思いつくかもしれません。

ちなみに、ですが、私は現在、
資本主義(自由主義)も社会主義(保護主義)も両方とも本来は生物として種の保存のために必要な機能や性質が起源になっているのではないかという仮説を持っています。
自由であることの生命維持のための必要性としては、例えば、狩猟民族が獲物を得るためにはかなり広い範囲の地域を自由に往来しなければならなかった、というようなことが考えられます。
保護主義であることの生命維持のための必要性としては、例えば、農耕民族が安定的に食糧を収穫するためには自分たちの土地を長期間、外敵から守り抜くために団結・連帯しなければならなかった、というようなことが考えられます。
もう少し、原始的に考えると、ライオンなどの肉食獣は小集団で行動する傾向(個の自由度が高い傾向)があるように思えるし、一方で、ヌーなどの草食動物は驚くべき規模の大集団で行動する傾向(個の自由度が低い傾向)があるように思えます。

このような仮説に従うと、資本主義(自由主義)も社会主義(保護主義)も生物学的には両方とも正しいということにならざるを得ないのではないかと思うわけです。そして、状況に応じて、民族の性質や経済の発展度合に応じて適宜使い分ければ良いのではないか、とも思う次第です。


さて、もう一つは、ある考えと、それと正反対の考えを両方とも正しいと仮定することで、自分自身の感情を安定させることにつなげることです。

例えば、何かについて怒ることも、怒らないことも両方とも正しい、と仮定してみることです。
怒りや不安、恐怖といった否定的な感情に陥っているとき、それは「心の中で2つ以上の勢力が対立し、ぶつかり合っている状態」を仮定できます。
これがつまりは、葛藤です。

すると、物凄く怒っている状態のときには、「怒りたい派閥」と「怒りたくない派閥」の2つの派閥が厳しく激突している状態であると仮定できます。

(1)仮に、「怒りたい派閥」にだけ100%賛成し、怒りに拍車をかけることに一方的に荷担するとします。すると、その人の精神は余計に不安定化するでしょう。先ほど書いたような生理的な反応、すなわちストレス反応が強化されることで、ますます怒りの度合いが強まってしまうからです。

(2)一方、仮に「怒りたくない派閥」に一方的に加担し、「怒ることは間違いだ」といって「怒りたい派閥」を徹底的に弾圧するとします。すると弾圧された「怒りたい派閥」は一時的には鳴りを潜めるかも知れませんが、あとになってあなたの隙を突いて大攻勢を仕掛けてくることで、あなたが著しく精神の平衡を失うことになってしまう可能性があります。

さて、(1)も(2)も、葛藤し、対立しているどちらかの派閥を全面的に否定しているということになります。というわけで「第三の道」です。

(3)「怒りたい派閥」と「怒りたくない派閥」の両方ともを正しいと仮定してみます。つまりは、「これについて、怒ることも、怒らないことも両方とも正しい」と考えてみる、というわけです。これは、互いに正反対の性質のものを両方ともうまく治めることを通じて、心の中のすべての領域をうまく治めようとする試みであると言えます。
私の場合、このようなやり方でかなり色々と楽になっています。一時的に頭に来ることがあっても、以前よりもかなり短時間で怒りを鎮静化できるようになりました。読者の皆さまにもぜひ、一度お試し頂ければと思います。

というような、正反対のものを両方とも正しいと考えることが老子の言うところの「天下の谷(この世のすべてを収める巨大な器)」であり、それが「常の徳は離れず」の状態であると考える次第です。


つぎに、

【お知らせ】です:

以下、福岡県行橋市市会議員 小坪慎也さんのホームページより


「李登輝 元台湾総統に合いに行こう(日本 修学院 台湾研修講座 『武士道とトップリーダーの実践』)」

のご案内です。


--引用開始--

お世話になっております。
本日は、李登輝先生への表敬を含む訪台についてのご案内です。

李登輝先生に、会いに行きましょう!

↓申込はこちら(日程あり)↓
【募集のご案内】日本 修学院 台湾研修講座



李登輝先生よりその名を冠することを許可されている「日本李登輝学校 修学院」の研修視察になります。
主催団体の「日本李登輝学校」とはなんぞや?と思われる方もおるやもしれません。
いわゆる怪しい団体ではなく、今回の訪台で11期となります。
実は私自身(廣宮注:ここの「私自身」とは小坪氏のことです!念のため。)も、主催者側(修学院福岡の理事)であります。

昨年は三時間にも及ぶ講義(そして潤沢な質疑応答の時間)を取って頂きました。
参加者は二十名と選抜された少数で、日本語での、李登輝先生本人からの講義になります。
また、同じく日本語で質疑応答の時間を設けてくださっております。
少数でありましたから、直接本人と会話することも可能です。
非常に有意義な訪台でありました。本当に素晴らしい経験を積ませて頂きました。


このように例年、素晴らしい訪台視察なのですが、今まではほぼ告知をしてきておりません。
「李登輝先生に会える!」「一緒に写真が撮れる!」となりますと
妙な輩もわいてきてしまい、逆に失礼ではないか、と。
今まではそう思っておりました。

しかしながら、李登輝先生がご高齢ということもあり、(体力的な面から)ご無理をお願いすることも難しくなってきます。
このような研修を組めるのは、本年が最後になるやもしれません。

今回は「できるだけ多くの国士に会って頂きたい」という思いが強いのです。
そこでネットでも告知を行い、できるだけ多くの方々と台湾に行ければと思っております。

李登輝先生に直接会える、しかも費用的な面、日程的な面より参加が難しい方も多いと思います。
申し訳ありませんが「facebookのイイネ」や「ツイート」で拡散をお願いします。
日本を愛し、そして台湾との友好を支持する日本人がたくさんいることを李登輝先生にお伝えしたいからです。
拡散のほどよろしくお願いします。

追伸になりますが、渡邉哲也氏(大戸締まり役)と廣宮孝信氏も一緒に行きます。
もちろん私、小坪も行きますが、保守系の大物(?)と台湾に行ってみませんか?
そして李登輝先生の講義を受け、共に台湾の歴史を実地で研修しましょう!

--

日本李登輝学校・修学院
– 第11期・台湾研修講座 -

「トップリーダーの姿に、まなぶ。」

学校長:李登輝(台湾・元総統)
院長 :久保田信之(修学院院長・学習院参与)
演題 :武士道とトップリーダーの実践

主催 :日本李登輝学校 修学院
協賛 :日本の心を伝える会

開 催 概 要
2月21日(金)
・李登輝 元総統による研修講義。
講義終了後、李登輝元総統より研修修了証が授与されます。
・台湾財界人を交えての懇親会。

2月22日(土)
・対日関係責任者による経済・貿易・文化に関する交流会。
・台湾東北部への観光ツアー

2月23日(日)
・自由行動。(最終便で帰国)

【申込締切】1月31日(金)

↓以下より申込ができます。
【募集のご案内】日本 修学院 台湾研修講座

 

--引用ここまで--

というわけで、渡邉哲也さんや私も参加させて頂くことになっている、李登輝元総統による台湾での研修会のご案内でした。




さて、台湾といえば…
私はいわゆる「台湾問題」についても、
「老子スタイル」の「私も正しい、あなたも正しい」という仮定から出発するのが良いのではないかという仮説を持っています。

これについて具体的に書き出すと、色々と語弊その他の問題があるような気がしますので、抽象論の出発点だけに留めておきますが!


というわけで、



 結局、今回も
 
 『老子スタイル』

 というオチなのねん♪



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600:「国の借金」とトラウマ(心的外傷)--マクロ経済を扱うのに「感情」の問題に取り組むことが必要な理由

2014/01/07 (Tue) 11:02
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前回のエントリーでコメントを読ませて頂いた後で、またまた思いついたことがありましたので、予定外でしたが更新してみました。
(コメントを頂きました皆様、ありがとうございました!)


「国の借金」について、なぜ感情をも取り扱うことが大切なのか?

ということについて、
具体例を挙げて説明を試みたいと思います(すでに私がコメント欄で書かせて頂いたものに、修正・加筆する形になります)。


例えば、ドイツ政府がなぜ財政均衡にこだわるかということについて少し考えて見たいと思います。

これは、彼らが経済学的、財政学的に「無見識」だからでしょうか?私は恐らく違うと思います。

恐らくは、第一次世界大戦とその後の定義通りのハイパーインフレ、さらにはナチの台頭とその後の悲惨な結果となった第二次世界大戦に対する、恐怖体験の記憶、すなわちトラウマ(心的外傷)が大きな要因だと思われます。

これはまさしく、感情の問題です。

最近の脳科学が教えるところでは、恐怖体験の記憶は生涯消えません。その記憶を形成する脳神経回路が物理的に消えず、死ぬまで保持され続けるということになります。というのは、恐怖体験の記憶は、本来的には生物にとって生命保全のための危険回避行動を取るために必須の情報であるからです(『エモーショナル・ブレイン 情動の脳科学』ジョセフ・ルドゥー著 松本元・川村光毅ほか訳 参照)。

それからもう一つは、最近ニュースで伝えられていたところによると、マウスの実験で、親の恐怖体験の記憶が子に遺伝することが確認されたとのことです(“恐怖の記憶、精子で子孫に「継承」 米研究チーム発表”朝日新聞 2013年12月4日 http://www.asahi.com/articles/TKY201312040021.html )


以上のことを踏まえると、経済を考える上で、このトラウマの問題は決して避けては通れません。

日本でも同様に、第二次世界大戦のトラウマが大きな影響を及ぼしている可能性があります。
(憲法9条問題には、確実に影響を与えているものと思われます。
 私の親族で、戦時中B29に追い回され、命からがら甲子園球場に逃げ込むということを何度も
 経験している者がおり、憲法9条擁護派となっています。
 私は、上記のような脳の仕組みを踏まえれば、このことはまったく仕方がないことであり、
 正当な反応であると考えます。
 また、恐怖体験の記憶(トラウマ)が子孫に遺伝するということが、人間においても起こるの
 であれば、この憲法9条問題は心理学や脳科学の観点から極めて根が深い問題である、という
 認識を持つ必要があることになり、そこを出発点とせざるを得ないでしょう。
 なお、私は、憲法9条擁護派ではありません。念のため)


そういったわけで、
「国の借金」問題、財政問題に、戦争トラウマが絡んでいるという、上記の私の仮説が正しいとすれば、これを扱うには経済学では残念ながらまったく不可能です。
これには心理学や脳科学その他の学問領域からの取り組みが必要不可欠、というのが、現在、私の考えるところのものであります。



それと、頂いたコメントから思ったのは、感情の問題について、もっと身近な事例を考えてみるということも必要なことかな、と思いました。

例えば、私の知人に高所恐怖症の人がいます。
それで、飛行機にも乗ることができません。
「飛行機で事故に遭う確率は、自動車交通事故で死ぬ確率よりも圧倒的に低い云々」
と、論理的にいくら説明したところで、この人が飛行機に乗れるようには残念ながらならない、という具合です。
というのは、論理的に納得できたとしても、感情的にはそう簡単に納得できないからです。

まずは、この人が高所恐怖症で飛行機に乗れないということを否定せず、客観的事実として肯定し、受け入れることが出発点になるでしょう。


もう一つ、少し違う視点の、もっとマクロな事例を挙げておくと、アメリカの銃規制が進まない問題です。

銃乱射事件の頻発、という強烈な恐怖体験がありながら、なぜか銃規制が進まない、という問題です。

私はこれはおそらく、民族の性質というようなものが絡んでいるという仮説を持っています。

銃規制に反対しているのは、保守派の皆さんであり、つまりは、イギリスから支配されるのが嫌だ、自由になりたい!束縛されたくない!という人たちの子孫、ということになるのではないかと思います。

政府は小さいほうがいい。極端な話、無政府でもいいくらいだ!国家財政は切り詰めるべきだ!

このような「民族の性質」は、銃規制のような政治問題だけでなく、国の借金問題にまで幅広く影響を与えるのだと考えますが、これも感情の問題と思う次第であります。

これは、「お前たちは間違っているのだ!」と言っていて解決できる問題では、恐らく、あり得ないわけであります。
「老子スタイル」の「私も正しい、あなたも正しい」というところから出発するのが良いのではないか
と思うわけです。


というわけで、



 経済や政治を考えるうえで、

 心理学や脳科学も

 どうやら必要、ということか?



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599:「国の借金」論に対する新しいアプローチの提言(前回エントリーの補足です)

2014/01/05 (Sun) 18:32
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前回のエントリーのコメントを読ませて頂いた後で少々思いついたことがあるので、書いてみたいと思います。
(コメントを頂きました皆様、ありがとうございました!)

4年前、私が最初の本「国債を刷れ」を出版した直後、次のような感想を言って下さった方がいました。
「いままで、長年の友人から国の借金は問題ないと言われ続けてもなかなか分からりませんでした。しかし、あなたの本のおかげで、日本の国の借金が大丈夫というのは、半分だけ納得できたように感じています」。

半分だけ、というのが象徴的であるように思います。
恐らくは、理屈では分かったけど、感情的にまだ納得しきれていない、ということだったのでしょう。

あるいは、私の古くからの知人の場合。
私が直接何度も話したし、私の本も2、3冊読んでくれているのですが、少し時間が経ってから他の人の破綻論を聞くと、すぐに元に戻ってしまっていました。
このケースから想像されるのは、「ある人が表面的には一時的に納得していても、その人の心の中にある一部の派閥だけが納得しているだけであり、その人の無意識の中にいる別の派閥は必ずしも納得していなかった」という構図の存在です。

ユング風に言えば、思考機能(論理的思考機能)と感情機能の強弱は、人によって違います。
思考機能が優位な人の場合は一旦理論的に納得したら、ほとんど生涯その考えを通すかもしれません。
一方で、思考機能よりも感情機能が優位な人の場合は、恐らく、そうはならないものと思われます。

なお、ここで注意事項ですが、感情機能が優位とか思考機能が優位とかで、どちらが人間として優れているとか劣っているということは無いものと思います。
それぞれの人で、それぞれの良さがあるし、欠点もあるでしょうし、さまざまな人がいることで世の中はうまく機能するし、多様性が保たれるのだと思います。

そういうようなわけですので、仮に「完璧に理論的に正しい」考えがあったとしても、それを多くの人がすぐに理解して、それが一般的価値観として定着するとは限らないことになります。
というよりは、多くの人々にとって感情的に納得のいかないような思想は、定着することは無い、というくらいに思った方が良いのではないかと、とも考える次第です。

そのようなことを、心理学についていろいろ調査検討しているうちに、私は、「国の借金」問題について、理論的な面だけでなく、感情的な面も検討する必要があると考えるに至った次第です。


もう一つダメ押ししておきますと、こんな「国の借金」の話は、日本においては80年も前に高橋是清が著書で「経済はカネではなく、モノだ」と書いた時点で、とっくの昔に理論的にはクリアしているはずなのです。いや、もちろん、「国の借金ダメだ派の皆さんにとっては決してクリアになっているわけではないと思われますし、それもまた正しいのだと、現在の私は考えますが!

いや、話を元に戻しますと、高橋是清によってとっくの昔に「理論的に」クリアになっているはず、なのに、いまだに現在のようなありさま--たとえば、昨年の参院選の討論会では、すべての党の出席者が「国の借金が問題だ」と発言していたような状態--であるということには、やはり、「理論的に正しい」というだけではダメだということを示しているように思われます。

また、仮にマスコミの皆さんがこぞって、今とは正反対に、連日連夜「国の借金は大丈夫です」と喧伝するようになったとします。
それで仮に日本国民全体が何となく「国の借金大丈夫だ」派になれたとします。それで万事うまくいくでしょうか?
恐らくうまくいかないのではないかと思います。
100年後に再びマスコミが「国の借金もうダメだ」とやり始めたとしたらどうなるでしょう?結局はまたもや「国の借金もうダメだ」派が主流派に戻ることになるものと思われます。 それはつまり、根本的に納得していないからだ、ということになろうかと思います。根本的な納得には必ず、理論だけでなく感情の面でも納得している必要があるように思うのです。

こう考えると、今のうちから「国の借金」に関する、意識的な理論面だけでなく、無意識的な感情面にも踏み込んで検討しておくことが必要不可欠なのではないかと考える次第です。


ところで私はこれまで、マクロ経済を考えるときに、ブログや著書で「世界全体=私+私以外の世界全体」という枠組みで考えることを提唱してきました。「私の金銭的支出=私以外の世界全体の金銭的収入」というカネ勘定の話です。
これに加えて、「世界全体=私+私以外の世界全体」という枠組みで、「自分とは正反対の考え方の人々、あるいは、自分には全く理解不能と感じるような考え方の人々」の考えを、少なくとも、「その考えが存在すること自体は肯定する」というスタイルを今回新たに提言しているわけです。

「自分とは正反対の考え方の人々、あるいは、自分には全く理解不能と感じるような考え方の人々」というのは、いわば、「自分」の否定形です。

「自分」の否定形とは、すなわち、「自分以外の世界全体」です。

というわけで、
「世界全体=自分+自分の否定形」
ということになります。

そして、私は次のように考えます:
「国の借金」問題の根本解決のためには、自分の立場だけでなく、自分の否定形の立場の考えを、理論的にも、感情的にも理解したうえで、両者が双方とも、互いの立場や考えについて理論的にも感情的にも納得できるような方向性を見出さなければならないのではないか。そろそろそのような時期に差し掛かっているのではないか。
近頃は、そのように感じる次第です。

私は、個人的にはとくに感情面に力点を置きたいと思います。というのは、感情機能のほうが、進化の過程では思考機能よりも先に獲得した機能であり、生物としての人間にとって、より強大な影響力を持つものと考えるからです。

というわけで、以上、「自分」と「自分の否定形」の両方ともをうまく治めることで、「天下の谷(=この世のすべてを収納するほどの巨大な器)」を目指しましょう、という老子スタイルのご提案であります。




 『老子スタイル』も

 良いかもしれんな。

 アメリカで少し前に流行ったらしい、

 『江〇スタイル』

 よりも、やはり『老子スタイル』か?



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598:「徳」について――政治、経済から個人心理にまで共通する、実用的な定義を考えてみました

2014/01/03 (Fri) 16:12
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皆さま、新年明けましておめでとうございます。
本年もどうぞよろしくお願い致します。


いやはや、実に4か月ぶりの更新となりました。


今回のエントリーはかなり長めになっていますが、当ブログ史上、もっとも重要なエントリーと私は個人的に位置付けております。S&P風に敢えて格付けしてみると、文句なしの「AAA」ということになります。


さて、私がブログの更新をあまりしなくなったことにはいくつかの理由があります。

ひとつは、経済に関しては私の立場(本来は経済の専門家ではない、という立場)から書くべきことは大体書き尽くしてしまったのではないか、と感じられるからです。
もう一つは、「アメリカが世界の盟主の座を降りてしまった、あるいは、降りる準備を始めてしまったのではないか、と思わせるような象徴的な出来事が、ほんの一年のあいだにあまりにも多数起きた」という意味で、昨年あたりから世界的に政治や経済の情勢があまりにも混沌としてきたように感じられるからです。

この二つの理由から、私の立場からは経済について、経済的な観点から書くだけではあまり意味がないように感じているため、何かを書くからにはもっと掘り下げた、あるいは、もっと根源的な観点から書くようでなければならない、と考えるに至った次第です。


さてさて。
そもそも4年余り前に私が経済について本を書こうと思い立ったのは、「国の借金」問題が日本国にとって、あるいは、世界全体にとって致命的な問題と感じたからでした。
マクロ経済を会計的な発想で考えると、これは個人、企業、政府などのすべての経済主体の連結決算じゃないか、ということに思い至り、自分が専門家でなくとも、この考えに基づいた国の借金についての考え方を、世の中に向けて発表し、共有すべきだと考えました。
そして最近ではこの「マクロ経済=すべての経済主体の連結決算」論はほかの多くの皆さんが盛んに書いています。だから私がこれ以上ああだこうだ書く必要性は薄れつつあります。

そして、もう一つ重要なのは、残念なことに、「マクロ経済=すべての経済主体の連結決算」論が盛んにあちらこちらで述べられているにも関わらず、世の中全体ではまったく主流になっていないという現実です。つい最近のNHKの世論調査でも8割以上の人々が国の借金が問題だと考えている、というような結果が出ていました(と、記憶しております)。

そのようなわけで、私は、こういった問題に取り組むには、人間が生物学的に持っている性質を掘り下げて知る必要があるのではないかと考えるに至りました。
何せ、経済も政治も、つまるところは人間の集合体の行動の合計体であるわけですから。その人間の生物学的に備える性質について知るために役に立ちそうだと私に思えるのが、主として心理学や脳科学(神経科学)や生理学といったところです。

そういったわけで、現在の私の興味は主として心理学に向かっている次第です。もちろん私はあくまでも非専門家ですが、非専門家だからこそできることが確実にあると考えています。経済に関してもそうであったように。

では、そろそろ今回の本題に入って行きたいと思います。

今回は
・「徳」とは何か?
・「徳を積む」とはどういうことか?

という二点について述べて行きたいと思います。また、私なりの「徳」の定義に沿って考えると、個人における基本原理が、政治やマクロ経済にも完全にぴたりと当てはまるようになる、というところまで論じたいと思います。



「徳」とは何か?

漢和辞典(角川『漢和中辞典』)によれば、徳の原義は「のぼる」であり、古代には、「神を知る能力」、「力」という意味であったとのことです。

では、「神を知る能力」とはなんぞや?ということになりますが、考えてみましょう。

人間が最も幸福を感じる心理状態、あるいは、能力を発揮しやすそうな状態はというと例えば、心が完全に調和の取れた状態、均衡した状態、秩序ある状態ではないかと思われます。
生理学的に考えると、精神が安定し、交感神経と副交感神経のバランスが取れており、理性が最も働きやすく、感情も安定し、免疫力までもが最も高まる状態、といった具合です。これが「神に通じる心理状態」=「神を知る能力」=「徳」と考えてみるのも良いのではないでしょうか。

というわけで、
「徳」=「調和、均衡、秩序ある状態」
と定義してみます。

ある人の精神状態が「調和、均衡、秩序ある状態」であれば、悪心を起こしたり、犯罪に走ったりすることもないものと考えられますから、やはりこれは「徳」というイメージとかなり一致するように思われます。

さてここで、「徳」について、もっと掘り下げて考える材料として、『老子』の第二十八章を引用します。
また、ついでに先に言っておくと、これをのちほどユング心理学風に解釈することを試みます。というのも、ユングは思いっきり老子の影響を受けた心理学者だからです。ちなみに、ユングのシンクロニシティー(=意義深い偶然)は老子の「道 タオ」を翻訳して心理学用語としたものです。

なお、老子の引用(読み下し文)自体は難解ですのでこれは読み飛ばし、そのあとの訳文からお読み頂いたほうが良いかもしれません。


『老子』第二十八章

[読み下し文]
その雄(ゆう)を知り、その雌(し)を守れば、天下の谿(けい)と為る。
天下の谿と為れば、常の徳は離れず、嬰児に復帰す。
その白を知り、その黒を守れば、天下の式(のり)と為る。
天下の式(のり)と為れば、常の徳は忒(たが)わず、無極に復帰す。
その栄を知り、その辱(じょく)を守れば、天下の谷と為る。
天下の谷と為れば、常の徳は乃(すなわ)ち足り、樸(はく)に復帰す。
樸散ずれば則(すなわ)ち器と為る。聖人これを用いるときは、則ち官の長と為す。
故(まこと)に「大なる制は割(そこな)わず」。

[訳文]
雄(かた)さの力を知りつつ、雌(よわ)さのままにとどまるものは、天下の何ものをも受け入れる谿(たにま)のようなものとなる。
天下の谿であれば、変わることのない「徳」はその人を離れることがない。そして嬰児(あかご)の状態にもう一度かえれるであろう。
白の輝かしさを知りつつ、黒の知られないままにとどまるものは、天下のすべてのものの模範となる。
天下の模範であれば、変わることのない「徳」は何のまちがいも起こさないであろう。その人は「極(きわ)み無きもの」にもう一度帰れるであろう。
栄誉のとうとさを知りつつ、汚辱にとどまるものは、天下の谷(おおかわ)のようなものとなる。天下の谷であれば、変わることのない「徳」は満ち足りて、その人はまだ削られる前の樸(あらき)の状態にもう一度帰れるであろう。樸がばらばらにされると、さまざまの器となる。聖人がそれらを使って、官吏たちの長とする。まことに「偉大な制(切り手)は肉をそこなうことはしないのだ」

(以上、中公クラシックス『老子』小川環樹訳 より)


上記の老子の文章を図解すると、以下のようになります:




ここで、
「谿」や「谷」は、「水が集まってできる川」です。
「天下の谷」となると、「この世のすべてを収納することのできる容器」ということになります。

また、
雄と雌
白と黒
栄と辱
はすべて、陽と陰、+と-、互いに正反対の性質のものです。

そして、「知る」、「守る」には漢和辞典を引けば、両方とも「治める」という意味があります。
よって、
「その雄を知り、その雌を守れば」
「その白を知り、その黒を守れば」
「その栄を知り、その辱を守れば」
というのは、陽なるものと陰なるもの、対極にある互いに正反対のものを両方ともうまく治めることができれば、という意味になります。

そして、そのような人は天下のすべてを収納することのできる巨大な器(うつわ)になれるし、そのようなことができた人は、徳を保つことができる、という意味に解釈することができます。

また、そのような巨大な器の持ち主となれば、「嬰児、無極、樸」になれる、ということになります。
ここで、
嬰児=赤ん坊。
無極=極みがない、つまり、際限がないということ。無限。転じて、宇宙の根源の意味も(小学館『デジタル大辞泉』)。
樸(はく)=切り出したままの、加工する前の木材。
ですが、要するに、「完全に偏りのない、バランスの取れた、柔軟性の極めて高い状態。 かつ、潜在力が最も高い状態」の象徴と解釈できます。

そいうわけで、老子のいう「徳」は、「徳とは完全にバランスの取れた状態で、“神を知る能力”の状態」、という先ほどの「徳」の字義から私が導き出してみた定義に一致することになります。

ここでさらにユング心理学風に解釈を掘り下げてみましょう。

雄と雌
男性的なもの(陽)と女性的なもの(陰)。
ユング風に言えば、一人の人間には、男性であっても内部に女性的な性質が存在するし、女性であっても内部に男性的な性質が存在します。
例えば、論理的思考は男性的性質、感情は女性的性質、というような分類をしてみても良いでしょう。
また、意識を男性的なもの(陽)、それに対して無意識(いわゆる潜在意識。一般的に、心理学用語として潜在意識という言葉はあまり使われないので、ここでは無意識を用います)を女性的なもの(陰)と解釈しても良いでしょう。
古来、洋の東西を問わず、太陽や昼、つまり「陽」は男性の象徴とされ、月や夜、つまり「陰」は女性の象徴とされることがしばしばです。
さらにいうと、ユングの定義では、意識の否定形が無意識となります。人間が自分で意識できる心的領域が意識であり、それ以外のすべての心的領域(=意識できない残りのすべての領域)が無意識です。
よって、
「その雄を知り、その雌を守れば、天下の谿(けい)と為る」
とは、例えば、
「意識領域を巧みに治め、かつ、無意識領域をも巧みに治めることができるような人は、この世のすべてを収納できるほどの器(うつわ)の持ち主となる」
というように解釈できます。(こう解釈すると老子のこの言葉は、ユングが言うところの「個性化」や「自己実現」を意味しているように思われます。)
※ユングについてもう少し詳しく知りたい、という方は、とりあえず一冊読むとしたら『ユング 分析心理学』小川捷之訳 をお勧め致します

白と黒
これも雄と雌のペアと基本的に同じですが、例えば、白を善の象徴、黒を悪の象徴と考えてみましょう。自分自身の内部にある善と悪を両方ともうまく治める、という具合です。
さて、ここでいわゆる性善説、性悪説という考え方について検討してみましょう。
性善説は人間は本来、善の性質が備わっている、という立場です。もし誰かが悪人になるのは、それは単に何か間違ったからだ、という感じになりますね。
一方、性悪説は人間は本来、悪の性質が備わっているので、何の努力もしなければ、人間は自然と悪人になるという立場ですね。
読者の皆さんは、性善説と性悪説、どちらが正しいとお考えでしょうか?
私は、両方とも正しいと考えます。
恐らく、老子もそう考えていたのではないかと推察されます。
それゆえに老子は、
「その白を知り、その黒を守れば、天下の式(のり。模範)と為る」
と言っているのでしょう。
善も、悪も、一人ひとりのすべての人間に、両方とも本来、生物学的性質として備わっているが、両方ともうまくコントロールできるようになれば、そのような人は天下の模範となれるのじゃよ、ということではなかろうかと。

栄と辱
栄誉と汚辱。つまり、愛とか感謝とかの肯定的感情(positive feelings)と、怒り、妬み、恐れなどの否定的感情(negative feelings)です。
この両方ともを、うまく心の中の支配秩序に組み込むことができれば、「天下の谷」となることができ、徳は充足するのじゃよ、ということなのでしょう。
そうすると「樸(はく)」、つまり、加工前の木材のような偏りのない、潜在的可能性が最大化するような状態になれる。
そして、これを「散ずる」(バラバラにする)と「器」となる。徳の高い聖人はどんな人物をも徳のある状態(=樸)にして才能を引き出し、適材適所に配して天下を巧みに治めることができる、といったところでしょうか。

ところで、フロイトやユングの心理学の最大の特徴と私が思うのは、一人の人間の心の中には様々な勢力や派閥がいて、群雄割拠の状態になっているということを前提にしている点です。

フロイトが次のような例を挙げています。
あるとき、国会(恐らくオーストリアの国会)の議長が議会の開会を宣言しようとしていたのに、うっかり「それでは、閉会します」と言ってしまったことがあったそうです。
フロイトによると、この議長はどうせ議会を開いても荒れてまともな議論などできないということが分かっていたために、このようなうっかりした行為=失錯行為(しっさくこうい)が起こったとのこと。
この失錯行為の起こる仕組みというのは、ある人の心の中で二つの相反する意向が衝突するから、ということになります。
上の例の場合、議長の意識では「開会を宣言しないといけない」という意向が当然のように働いていたわけですが、無意識では「こんな状態で議会を開会したくないよ」という意向も働いていたわけです。
そして、うっかり「閉会します」と言ってしまったということは、「こんな状態で議会を開会したくないよ」という無意識の中にあった意向が、ほんの一瞬とはいえ、開会を宣言しないといけない」という意向に競り勝ってしまった、というわけです。

こんな群雄割拠状態の心の中を、うまく統治することができれば、徳が保全されるのだよ、というのが老子の言葉の本質なのではなかろうかと、私は考える次第です。


「徳を積む」とは?

さてここで、この老子の言葉を活用する方法を一つ、考えてみたいと思います。だいぶ上のほうになってしまったので、もう一度図解を示しておきます。




上の老子の言葉の意味をもう一度かいつまんでいうと「互いに両極端、正反対の性質のものを、両方ともうまく治めれば、徳の充足した状態になれる」という具合になります。

さて、この考え方に沿って、「死ぬほど嫌いな人に対する激しい怒りの感情を、中和して鎮静化させる方法」を検討してみましょう。

自分が心底から忌み嫌う人が持っている性質というものは、例えば、自分とは完全に正反対の性質と言えます。
「こいつがなんでこんなことをするのか、まったく理解できん!」という具合になりますが、ということはつまり、相手の人が、自分の理解できる領域から完全に外れたところに存在している、と認識していることになります。
つまりは、その人は自分とは対極にある、正反対の性質の持ち主であると認識していることになります。

さて、ここで自分自身の中にもその正反対の性質が存在すると敢えて仮定します。一人の人間の中に、
雄と雌
白と黒
栄と辱
といった、互いに両極端、正反対の性質のものが確かに存在しているのであれば、自分自身が意識している自分自身の性質と正反対の性質のものが、いまだ意識されていない自分自身の無意識の中に存在していても、実はなんらの不思議もありません。

まあ、極端な話、仮にあなたがその「くそったれ」と同じ親から生まれ、同じ環境で育ち、同じ食べ物と飲み物を摂取してきていたとしたら、あなたも生物学的見地からすると、その「くそったれ」とまったく同じ性質を持つようになることは十分にあり得ることです。

いや、要するに、一応は同じ人間、ホモサピエンスという生物種であるからには、同じ性質を持つに至る可能性は、完全なゼロではなく、0.000000001%くらいはあるはず、ということになります。

ちょっと長くなったので、まとめなおしてみます。
あなたが死ぬほど頭に来ている、心底から忌み嫌っている人が持っているような、自分とは正反対の性質が、自分自身の中にも存在すると敢えて仮定してみましょう。
そのような性質が自分の中にも存在する(可能性がある)ことを肯定し、うまく「知り、守る=治める」ことができれば、あなたは「天下の谷=この世の全てを収納できるほどの巨大な器」となり、つまり、徳を高めることになると言えます。
これはいわば、心の内なる戦国乱世に泰平の治世をもたらした徳、ということになります。

ここで、その存在を肯定する、というのは、なにも積極的に仲良くどっぷり付き合わなければならない、ということではありません。
ほどよく距離を保ち、暴発しないように適当にあしらっておく、ということもまた「肯定」です。これが、「知る、守る=治める」です。

例えば、徳川家康は、関ヶ原の合戦で敵対した島津家に降伏を迫りましたが、島津家の当主は薩摩に引きこもったまま家康の要請を完全に無視しました。
家康としては、討伐して島津家を征服したいところですが、何せ中央から遠く離れた薩摩に遠征し、精強をもって鳴る島津相手の合戦に手間取ると、せっかく静まった天下の情勢が再び大いに乱れてしまいかねません。
そうなってしまっては元も子もありませんので、結局、家康は所領を安堵(あんど)する旨を島津家に送り、それで何とかうまいこと島津家を自らの支配秩序の中に組み込んだわけです。
心の中の厄介な存在を扱うときも、こんな感じで扱うことは一つの効果的な方法となり得るでしょう。
「存在すること自体は肯定し、認める。そして、ほどよく距離を置き、適当にあしらう」
というやり方です。

ここまで、もう一度だけ短く整理しておきます。
・自分が心底から忌み嫌う人物がいるとする。
・その人の持つ性質とは、自分という存在にとって完全に対極にある、正反対の性質である、と考えてみる。
・そのような「自分とは正反対の性質」もまた、自分が意識できていないだけで、自分の無意識の中に存在する(かも知れない)と仮定する。
・それが存在することを肯定し、認め、とりあえずその存在のための所領を安堵してやることでうまく「治め」ると、それは個人レベルでのいわゆる一つの「徳を積む」ということになる。

ここで注意事項ですが、その存在を否定すると、往々にして厄介なことが起きます。
その存在を否定するということは、つまり、その対象を抑圧していることになり、たいていの場合、暴れ出すことになります。

最近のニュースでも某国で某少数民族が抑圧されて暴発し、テロ事件が頻発していることが伝えられていますが、我々の心の中で群雄割拠しているさまざまな性質、さまざまな存在も、その存在自体を否定されると、「抑圧された」と感じ、あなたに対していわば「テロ行為」を繰り返すことになり得るわけです。

なお、このような心の中で暴れているような存在を特定し、なだめてやることで精神の平衡を取り戻す、ということが、フロイトの精神分析学やユングの分析心理学の目的とするところのものであります(と、私は解釈しております)。
そして、このような心理学は、いわゆる精神病患者の人たちだけでなく、大多数の健常者の日常生活においても極めて有用であると思われます。
上記のような老子的な定義の「徳を積む」ということを標榜するのであれば、フロイトやユングの心理学はなおさら有用であると言えるでしょう。


個人心理学の視点を用いて政治を考えてみる

どんな人の場合でも、一人の人間の心の中は、いわば荒れ狂う国会の議場のようなものです。
与党もいれば野党もいて、いろいろな会派、派閥がいます。一人の人間の中には、自民党もいれば、共産党もいるわけです。
このような、互いに正反対の相反する勢力が存在する状態において利害を調整し、うまく治めるのが政治、といえます。
心の内なる議会において「政治」を行うにあたっては、心理学を活用することが可能であり、『老子』や『論語』あるいは『孫子』のような古典もまた、活用が可能と言えます。

ここまで、『老子』を個人心理学的(あるいは個人心理学風)に解釈し、あるいは、現実世界における政治の話の事例(島津家に対する徳川家の対処法や、某国政府の抑圧に対する反政府活動の話)を用いて個人心理学を考える、というようなことを書いてきました。
さて、今度は逆に、ここまで書いてきた個人心理学(=内なる精神世界における政治)の話を、現実世界の政治を考えるために活用することを、試してみましょう。

例えば、先ほどの某国政府の抑圧に対する少数民族の反政府活動について考えるなら、本来的には、当事者が互いに、両方の立場とも正しいという前提に立つことから始めるのが望ましいでしょう。
つまり、先ほどの老子的な発想、「心の内における正反対のものを両方ともうまく治める人は、天下の谷となる」という発想の応用です。
そして、両方の立場とも正しいという前提に立った上で、双方がなんとか納得できる妥協点を、創意工夫によって見いだし、和解するというプロセスをたどるのが理想的と言えるのではないでしょうか。
残念ながら私はこの問題について詳細を知らないわけですので、このような抽象論で留めておきたいと思いますが、恐らく、現状は双方とも「両方の立場とも正しいという前提に立つ」という段階にはまったく至っていないのではなかろうかと思います。
「いや、そんなことは理想論に過ぎない。現段階では現実的には、彼らは互いに相手を攻撃するほかに手段がないのではなかろうか」、と思われる方もいらっしゃるかも知れません。
それに対して私は、理想を追い求めることも、現実的に対処することも両方とも正しい、と考えてみたいと思います。
現状では互いに、抑圧を強化し、あるいは、武装攻撃するほかないというのが現実であるとしても、双方とも「やがては平和な状態を実現したい」という理想を、少なくとも心の中では諦めずに持っておくことが望ましいと言えるでしょう。

これは原発問題についても言えのではないかと思います。
どちらかというと「現実的」といえる推進派と、どちらかというと「理想的」といえる廃絶派は両方正しい、という前提に立ってみると、「原発ゼロにしてもエネルギー源が確実に確保できるという科学的根拠が確立されれば、原発は廃止すべきです。しかしそれまでは原発はベース電源として位置付けて維持すべきなのです」というような趣旨の、安倍総理によるテレビでの発言が最近あったのですが、これは現実と理想が両方とも正しいという前提に立った、一つの望ましい方針であると言えるかも知れません。もちろん、もっと良い方向性というものが、ほかにあるかも知れませんが。

また、私が当ブログや著書でしつこいくらい繰り返し書いている「第三の道」の政治手法も、このような発想法が取り入れられていると言えます。
というのは、「第三の道」は資本主義と社会主義という互いに正反対の政治・経済思想を、両方とも正しいという前提に立って考案された手法であるからです。
ただし、「第三の道」的な政策だからといって絶対にうまく行くとは当然、限りません。理想や理念が好ましいものであったとしても、現実にうまく対処するためには、試行錯誤と創意工夫が不可欠となるでしょう。また、どんなにうまくいっていた政策があったとしても、状況・環境の変化とともに陳腐化して物の役に立たなくなってしまうということは、いつでもあり得ることです。
「理想を追求することを志向しつつ、創意工夫を重ねて現実に起きている矛盾を解決してゆく」ということこそ、政治であれ何であれ、実はこれが「徳を積む」ということなのだと私は考えます。
別の言い方をすると「互いに反発し、矛盾し、対立するもの同士を、創意工夫を凝らして、調和的な形で結び付け、新しい価値を生み出すこと」ともいえそうです。


「国の借金」問題にフロイト風の精神分析を持ち込む試み

私はあくまでも心理学の専門家ではないので、「フロイト流」ではなく「フロイト風」としておきます。
「国の借金」について、
「国の借金は実際のところ経済の根本的問題ではないし、特に、日本の国の借金は、少なくとも現在のところはまったく問題ないのですよ」
ということを、より幅広い層に納得してもらうための方法を考えるために、ここで「国の借金」について、フロイト風の精神分析を試みたいと思います。

※「国の借金」という場合の「国」とは、中央政府のことです。「国会」とか「国政」とかの「国」が中央政府を指すのと同様です。よって「国の借金(=中央政府の債務)」という言い方自体に何かしらの問題があるとは思われません。このことは、これまで当ブログで何度か書いてきましたが、念のため繰り返しておきます。

「フロイト風」といいつつ、ここではまず下準備としてユングのコンプレックスの概念を簡単に説明します(ちなみに、フロイトはユングと決別した後の1916年に行った講演において、このコンプレックスというユングが有名にした用語を普通に使っていますし、ユングの研究事例も普通に引用していたりします。念のため)。

コンプレックスというのは、日本語では一般的に劣等感を指す言葉になってしまっていますが、本来的には「一つの感情で関連付けられている一連の心的内容物」という意味になります。

で、結局これ、何やねん、というと、例えば、次のような事例。
女性が怒ったとき、論理的には何らの関係のない過去の出来事を次から次へと思い出して、「あのときこんなことした、このときこんなことした」というようになることを目撃した、あるいは、自分がそんなことをした、ということはないでしょうか?
もちろん、このような現象は男性でもあるかも知れませんが、これこそまさにコンプレックスのなせる技です。論理的に何らの関連性がなくとも、感情的には密接に関係している一連の記憶が、「怒り」とか「悲しみ」の感情が発現したことをきっかけに、芋づる式に思い出された、というわけです。

これは、脳科学でいうところの「連合学習」の仕組みが関与していると考えられます。
連合学習とは、互いに関連のある内容を関連付けて記憶する、脳の記憶のシステムですが、これが感情によってラベル付されているわけです。つまりユングやフロイトが言うところのコンプレックスとは、相互に関連付けられて形成されている記憶の脳神経回路群とでもいうべきものなわけです。
(脳科学に関しては、『感じる脳』アントニオ・R・ダマシオ著 田中三彦訳 参照)

このコンプレックスの構造を解析するのが、フロイトの精神分析ということになります。
フロイトは、上記のようなコンプレックス、あるいは、連合学習のシステムを活用するために(フロイトの時代には脳科学の「連合学習」という概念は知られていなかったと思われますが)、患者に連想ゲームを次々に展開させるようなことをしました。
例えば、何かしら精神的葛藤を抱えている患者に、前の日に見た夢について語ってもらい、その中で「これ」と思えるような事柄に関して、「それについて、すぐにぱっと思いつくことを言ってみて下さい」と聞きます。
患者がそれで何かを連想してぱっと思いついたことを語ると、さらに「それに関して、ぱっと思いつくことは何ですか?」と聞くわけです。
このようにして、どんどん連想を展開してゆき、最終的に患者が意識できていなかった、心の中の問題箇所を探り当てることによって、精神の平衡を取り戻す、というようなやりかたです。
まあ、かなり簡単に書いてしまいましたが、このように「自由に連想させる」ので、フロイトはこれを「自由連想法」と名づけました。

というわけで「国の借金」についても、この「自由連想法」による分析を応用してみるのが良いのではないかと思うわけです。
というのは、論理的に説明しても納得してもらいにくいのなら、感情的に納得してもらうというアプローチが必要であると考えられるからです。

もちろん、まずは、さきほどの老子的なアプローチも重要と考えます。つまり、「国の借金大丈夫だ派」も「国の借金もうダメだ派」も両方とも正しい、という立場に立つことが大前提となります。


「国の借金コンプレックス」の解析

で、次に、フロイト風の分析ですが、まあ、要するに「国の借金もうダメだ派」の皆さんに以下のような質問をしてみるわけです(なお、一般のプロフェッショナルでない人に聞くほうが良いかも知れないですね)。

「『国の借金』と聞いて、ぱっと思いつくのはどういったことですか?キーワードでもイメージでも何でもいいので、ぱっと思いつくものを教えて下さい」

すると、こんな答えが返ってくるかも知れません:

「1000兆円」
「返済不能」
「借金地獄」
「生き地獄」
「雪だるま式に借金が増える」
「夜逃げ」
「一家離散」
「破綻」

つづいて、もし「破綻」という言葉が返ってきたとしたら、こう聞いてみるのも良いかも知れません:

「『破綻』というと、どういったことでしょうか?ぱっと思いつくままに教えて頂けますか?」

で、以下、例えばこんな感じ:

「いや、なんか国が借金で首が回らなくなって大変なことになる、ってことかな」

「国が借金で首が回らなくなって大変なことになる、というと例えばどういったイメージでしょうか?」

「いや、何かワシら自身も一家離散になったり、生活が破綻したりとか、そんなイメージかな?」

「なるほど。うーん、では、もし仮に、日本政府が借金で首が回らなくなって破綻したとしてもですね、仮に、自衛隊や警察や消防や海保が食べ物とか電力とかガソリンとか生活に必要な物資を確保して、ちゃんとあなたの家までクロネコヤマトの宅急便かなんかで送ってくれるとしたらどうでしょう?つまり、政府が破綻しても、あなたの生活が破綻しないとしたら、どうでしょう?」

「ほえ?政府が破綻しても我が家は破綻しないって、そんなアホなことあるんかいな?夕張とか大変やったんとちゃうの。」

「確かに、夕張は大変だったようですね。では仮に夕張のように破綻したとしましょう。そのときに、仮に、ですよ。仮に、政府がうまいこと戦時中のような配給制度を作れたとして、それで、あなたと家族の最低限度の生活がしっかり保障されるとしたらどうでしょう?」

「ははあ、配給ねえ。そういうことやったらもしかしたら何とかなるかもなあ…。でも、そんなんほんまに出来るんかいな?」

「ご心配はごもっともです。そこでですね、もし、政府が財政破綻する前に、一所懸命に投資して、食糧自給率とエネルギー自給率を100%にできたとしたらどうでしょう?」

「そりゃ、もしそんなことが出来たとしたら、何とかなりそうかもなあ…」

「ちなみに、“国の借金”と“関東大震災なみの巨大地震”だったら、どっちが怖いですか?」

「うーん、やっぱ“巨大地震”のほうが怖そうかな?」

…とまあ、こんな感じで、その人物が「国の借金」に対して、具体的にどのような恐怖や不安を抱いているかを連想ゲーム的に聞くことで分析し、気持ちを十分にくみ取った上で、押しつけがましくせず、できるだけ丁寧に、ソフトタッチにやってみる、という感じです。
そして、最終的に「日本は外貨建てで借金してないので、いざというときは日銀がバンバンカネを刷りまくれば大丈夫。問題はインフレだけ。いまの日本は世界屈指のデフレ状態。国の借金なんかよりも、モノが足りているかどうかのほうがすっと重要。日本は、デフレのうちにモノが足り続けるような投資をすれば、将来も安泰。云々」ということを納得してもらう。
というようなことが、穏当にして妥当なアプローチということになるのではないかと考える次第です。

つまり、まず大前提として「国の借金は大丈夫だ派」と「もうダメだ派」は両方とも正しい、という立場に立ち、次に「国の借金」に対する恐怖や不安に関係する一連の心的内容物、すなわち「国の借金コンプレックス」の解析をしたうえで、丁寧に対処しましょう、というご提案であります。
これが私なりの「国の借金」問題に関して「徳を積む」方法の具体例の一つです。


フロイトの精神分析における「ダジャレ」の重要性

ところで、若干脇道にそれますが、フロイトの「自由連想法」に関連して、ダジャレがいかに重要か、について。

そもそもからして、自由連想法はいわば感情的なダジャレの活用法ですが、フロイトの精神分析では様々なダジャレが活用されます。

例えば夢の中で何かしらキーワードになるような単語が出て来たとして、実はその単語と似た音の別の単語に深い意味があった、などということがあり得るわけです。

あるいは別の形のダジャレとしては、夢の中で相互に何の脈絡もない、合計で三つの「馬鹿げた出来事」のストーリーが展開されたとします。実はその人が本当に馬鹿げていると感じていたのは、自らの結婚生活のことだった、というようなちょっと入り組んだものもあり得ます。
もちろんその本人は自分の結婚生活が馬鹿げているというのは意識的には思っていなかったし、そんなことは思うべきですらないと考えていたので、それで夢のほうでは意識による検閲を避けるために、そんな回りくどいことをしていたわけです。

まあ、詳しくはフロイトの「精神分析学入門(上) 井村恒郎+馬場謙一訳」をお読み頂ければと思いますが、その本の中で、フロイトは「創造というのは、何か新たなものを作ることではなくて、一見して相互にまったく関連の無さそうな、実はすでに存在しているものをいくつかくっつけただけに過ぎない」というような趣旨のことを書いています。
大抵の発明はこのようにして生まれるのかも知れません。

私の「国全体の連結バランスシート」の発想も、すでに存在していた「企業の連結決算」の考え方をマクロ経済に転用したに過ぎません。そして、これも言ってみれば自由連想法的なダジャレの一種です。

相互にまったく関係なさそうなものをくっつけて新しい何かを生み出す、というような、ダジャレ的なものを活用して問題を解決に導くというようなことは、日常生活でもよく見受けられることではないかと思います。

おやじギャグを連発するだけで、ほかにはまったく大した才能が無い、と思われているような人がいたとしても、その人の中には、実は隠された偉大なる創造的才能が眠っているかも知れません。

個人心理学の考え方を政治やマクロ経済を考えるために応用したり、逆に、政治やマクロ経済の考え方を個人心理学に応用したり、という試みを行うことも、これもまたダジャレの一つと言えます。私の個人的感覚では、このような形で心理学と政治・経済について取り組むことこそ、まさにほかならぬ「天下の谷」に至るための最大の幹線道路です。


「徳」について、たった六文字でまとめてみる

では、もう一度本題の「徳」の定義と、「徳を積む」の定義の話に戻ります。これまで、かなり長~い説明をしてきたので、物凄くコンパクトにまとめてみたいと思います。ただ、短すぎるので、結局、それなりの分量の説明が必要なのですが!

まず、孔子の発言録である『論語』に次のような言葉があります。

「徳は孤(こ)ならず」(原文は「徳、不孤」)

徳のある者は、孤立することはない、必ず良い仲間がいる。というような意味合いです。

ここで、「孤(こ)」という文字ですが、漢和辞典によると、原義は「少ない。寡(か。“衆寡敵せず”の寡。これも少ない、という意味)。」です。

また、昔の中国の君主は自らを指す一人称として「孤(こ)」や「寡(か)」、「寡人(かじん)」という言い方を用いていました。これは自らを謙遜する言い方です。
「孤」や「寡」は「少ない」という意味ですが、何が少ないのかというと、つまりは、徳が少ない、ということでしょう。自らを「不徳の人」と称することで、古代の君主たちは謙遜していたわけです。

といったことを踏まえると、「孤(こ)」を「徳」の否定形、反義語として定義しても良いでしょう。
そうなると、だいぶ前のほうで書きましたように、徳を「調和、均衡、秩序のある状態」とするならば、孤はその正反対、「不調和、不均衡、無秩序の状態」を意味するものと解釈できます。

孤立、孤独、疎外感といったものは、不調和、不均衡、無秩序と大いに関係があると言えます。というのは孤立、孤独、疎外感に陥っている人がいるとしたら、その人の精神状態は、不調和、不均衡、無秩序に陥っているということが、十分にあり得ることだからです。

でも、「極めて攻撃的」という意味で「不調和」な精神の持ち主の人たちが徒党を組んで、犯罪集団やテロ集団を形成していたら、その人たちは仲間がいるので孤独とは言えないのではないか、ということになります。しかし、その集団は社会全体からすれば孤立していると言えるかも知れません。

もちろん、そんな集団が大義の旗印を掲げ、徳を積むことを志向することで、いつしか大衆の絶大なる支持を集め、正式な政府にとって代わるようなことは、もちろんあり得ることです(世界各地で歴史上、そのようなことは実際に何度も起きています)。
しかし、その場合はまさに文字通り「徳は孤ならず(徳不孤)」を体現したことになるでしょう。

というわけで、徳の反義語として、徳の否定形を意味する文字として「孤」を設定したいと思います。
そして、さらには「徳は孤ならず(徳不孤)」の対となる言葉を考えてみたのですが、私は次のような言葉を考案してみました:

「孤は徳を益(ま)す」 (→「孤、益徳」)

「益」は「利益」の「益」ですが、この「益」の字は「皿の上に水があふれている形」の象形であり、増える、増すという意味です。

というわけで、
「孤は徳を益(ま)す」 (→孤益徳)
という言葉には「何らかの不測の事態によって、精神が調和から不調和に陥いり、“孤”の状態になったときこそ、そこで不調和に再び調和をもたらすことように創意工夫をすることで、徳を益す(増す)ことができる」という意味を込めました。

『三国志』に出て来る猛将、張飛は、親の付けてくれた名(諱 いみな)にの「飛」に対応して、「益徳」という字(あざな)を名乗りました。

彼は、徳を益す(増す)ことで、飛躍するのだ、という意気込みを表したのでしょう。
(ただ、張飛は徳を減らすことで、非業な最期を遂げる羽目になったと言えますが…)

ちなみに、張飛が仕えた劉備は、親の付けてくれた「備 そなえる」という諱(いみな)に対して、「玄徳」という字(あざな)を名乗りました。
字(あざな)は通常、二十歳のときに自分でつけます。玄徳、すなわち、他人が外からは見えないような心の深いところに備える徳、と名乗った劉備は、かなり若いころから天下を志していたのでしょう。
ほとんど流浪の身から三国のうちの一国の皇帝にまで登りつめた彼の字(あざな)は、「玄徳を備えて、成り上がろう」というような、野心満々の名付けであったと解釈できます。

というわけで、「徳」と「徳を積む」に関して六文字でまとめると

「徳は孤(こ)ならず」 (→「徳、不孤」)
「孤は徳を益(ま)す」 (→「孤、益徳」)

徳、不孤。
孤、益徳。

となります。
さて、これを図解すると以下のようになります。





上図において、「徳」はいわば通常の状態であり、「孤」は異常な状態あるいは非常事態です。
何らかのきっかけで「徳」(調和、均衡、秩序)の状態から「孤」(不調和、不均衡、無秩序)の状態に陥ったときこそ、「徳」を磨く絶好の機会であり、そこで「孤」から「徳」の状態に復帰させることができれば、「徳を益す(増す)」、つまりは、徳を積むことになります。
この繰り返しにより、生涯「徳を積む」、「徳を益す(増す)」ということを続ける、つまりは、徳を積み続け、成長し続けることを目指すのが人生ではなかろうか、と思う次第です。


「孤」の精神状態に陥ったときに、「徳」に戻す、つまり「徳を益す(増す)」ための具体的な方法のとしては、次のようなことが考えられます。

「孤」の状態、つまり、不均衡、不調和、無秩序の状態に陥っているということは、必ず、心の中で葛藤が生じていることになります。つまりは、あなたの中で、あなたに謀反を起こしている派閥が存在しているわけです。
この派閥の存在を確認し、その存在を肯定し、所領を安堵してやることで、なんとか手なずけてしまう、というのが一つの効果的なアプローチとなるでしょう。

もっと単純な方法を一つ挙げておくと、いま自分自身が「孤」の状態に陥っているかどうか、自分で質問してみることです。
「あれ?いまワシ、どんな状態?あ、ひょっとして『孤』の状態か?…あら、かなりやばいくらい『孤』かな??いや、そうやな。たしかに『孤』みたいやな」
というように自問自答するわけです。
これは先ほどのフロイト風の精神分析の最も単純な形での応用法と言えます。
要するに自分に向けて質問することで、客観的立場の自分を呼び起こしつつ、自由連想法的な問答を一つか二つくらい展開してみる、というわけです。
『孤』の状態に陥っていることを、客観的に確認し、そうなっている部分が自分の中に存在していることを肯定し、所領を安堵してやることで、少しでも手早く冷静さを取り戻そうという試みです。

さて、注意事項としては、この心の中の「反乱勢力」は存在を否定され、抑圧されればされるほど、より一層暴れる可能性が極めて高いということです。

また、この「徳を益す(増す)」ための具体的な方法に関しては、先ほど〔「徳を積む」とは?〕の項で述べました「死ぬほど嫌いな人に対する激しい怒りの感情を、中和して鎮静化させる方法」も、ご参照ください。

なお、以上で挙げた方法は、私なりに検討してきたことを例示しているに過ぎません。心理学の良さは、自分自身を実験台にしていろいろと試すことで、自分なりの研究開発を独自に行えるところにあります。


それはそれとして、上の図はまた、一国、あるいは、世界全体の経済の成長過程にも当てはまります。
その図がかなり上の方に行ってしまったので、もう一度掲載しておきます:




例えば、第二次世界大戦で「孤」の状態に陥った日本は、その後、まがりなりにも「益徳」に成功し、一気に飛躍しました。


はて、そうすると…、今の日本はどうでしょうか?
「孤」の状態でしょうか?
「徳」の状態でしょうか?
この場では私は、敢えてどちらであるとも言わずにおきたいと思います。

それから、上の図は、名城大学の木下栄蔵教授の「通常経済、恐慌経済」の理論ともぴったり整合します。
まず、「徳」が「通常経済」です。
このとき、民間経済は「調和、均衡、秩序」の状態なので、政府はほとんど何もしなくて良い状態です(やるべきは基本的に金融調節のみ)。
一方、「孤」が「恐慌経済」です。
ただ、「孤」は「不調和、不均衡、無秩序」ですから、「恐慌経済」に陥る直前の異常なバブル経済をも「孤」に含めれば良いでしょう。「孤」の状態では、政府は積極的に民間経済に干渉すべき、ということになります。ただし、あくまでも「益徳」となるように、次の成長につながるようなインフラ整備など、できるだけ有意義な投資を行うという創意工夫が必要と言えます。
 この「創意工夫」こそが「益徳」です。

経済や政治に関してもう一つだけ例を挙げると、経済格差が過剰に大きくなっているのが、まさに「孤」(不調和、不均衡、無秩序)であり、格差が適正範囲内である状態が「徳」(調和、均衡、秩序)です。
なお、格差がまったく無いとか、必要以上に小さ過ぎるというのも好ましい状態ではないものと思われます。この状態においても、何だかんだと言って、やはりどこかで不満を募らせる勢力が現れるだろうし、また、最低限必要な競争心が消失することで技術革新も完全に停滞してしまうため、世の中が不安定化するように思われます。そういうわけで、もう一度整理しなおしましょう。
「徳」:経済格差が適正範囲内-治安良好で経済も安定成長しやすい状態
「孤」:経済格差が適正範囲外-治安も経済も不安定化しやすい状態


さて、ちなみに、すでにお気づきの方もいらっしゃると思いますが、これはドイツ哲学でいうところの弁証法、アウフヘーベン(止揚)そのものです。上の図で、
徳→正
孤→否
益徳→合
と置き換えてやれば、そのまま弁証法、アウフヘーベンの説明図になります。


おわりに

もし冒頭で書いたような「アメリカが世界の盟主の座を降りてしまった、あるいは、降りる準備を始めてしまったのではないか」という私の読みが仮に、残念ながら、当たっていれば、これから、日本にとって極めて厳しい時代が訪れるかも知れません。
つまり、日本全体としてかなり強度の「孤」の状態になってしまうかも知れません。

仮にそうなったとしたら、今回私が書いた枠組みに沿って考えると、日本は、政治リーダーから一介の庶民に至るまで、一丸となって「益徳」に励まなければならない、ということになろうかと思われます。

しかしもちろん、これはあくまでも理想論に過ぎません。到底、一個人が扱えるようなことではあり得ないので、とりあえず自分一人だけでも「益徳」につとめるしかないか、と考えるのが現実のようにも思えます。
さてここでも理想を追い求めることと、現実的な対処をすることが両方とも正しい、と考えたとき、私なりの答えの一つが「とりあえず、ブログ上だけでも取り急ぎ発表しておこう」ということになり、それで今回、かなりの時間をかけて、この長ったらしいエントリーを書き上げました次第であります。

もちろん、今回書いたようなアイディア、考え方は私なりの、私自身に適するような方法論に過ぎない、かも知れません。
しかし、もし一人でも多くの読者の皆さま方に、「ああ、ここの部分は自分にも役に立ちそう」と思って頂ける箇所があれば、あるいは、少しでも多くの皆様方に「ユングやフロイトの個人心理学がマクロ経済や政治を考える上で役に立ちそうだ」と思って頂けたとしたら、私としましては、幸甚の至りと存じます。

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