面白く読ませていただきました。タイトルおよび内容に矛盾と誤謬がありますので、あえてレビューを書かせていただきます。
何をもって「トンデモ」、「矛盾」、「誤謬」とするかは、主観的問題であり、人によって違うものと思われます。アイアンフルーツさんにとってはこれが正しいのであり、私にとっては、残念ながら違います。
著者自身がよーくご存じのはずなのに、はじめにタイトルありきで、こんな明るい未来の展望みたいな結論にしたのはなぜでしょう。
結論は「おわりに」に書かせて頂いております。その内容は
ネット上でもPDFファイルにて公開させて頂いておりますが、
かなりの制約条件を付けさせて頂いております。だから、
単純に「こんな明るい未来の展望」となっているものではありません。例えば、
「アメリカ大統領に重大な影響を与えているような『大金持ち』の人々に、何が彼らの本当の利益となるかということを理解してもらい、納得してもらうこと」と書いてます。これ、読む人が読めば、かなりきわどいことを書いていることがお分かりだと思います。
また、
私が皆さんと共有したい「夢」の実現にはそれこそ50年、100年以上の長い歳月がかかるかもしれません。としています。
これは、決して簡単ではない、という認識を示しています。
本が売れないと困るから、こういう趣旨の内容にしたのでしょうが、それが理由としたら、無責任で欺瞞的で不誠実の印象はぬぐえません。
もしこの本のタイトル程度で「無責任で欺瞞的で不誠実」だとすれば、世の中の大半の書籍について、その著者や出版社は「無責任で欺瞞的で不誠実」ではなかろうかと思います。
もっともこの問題についても、主観的問題であり、相対的な問題であると思われますが。
著者が指摘しているように、日本国民の預貯金がなくなりつつあるのですから、国債を消化できなくなる日が来ますよ。
残念ながら著者である私は、「日本国民の預貯金がなくなりつつある」と指摘している事実はありません。
例えば、p.107のプレゼン32で以下のようなグラフを提示していますように、
民間の金融純資産は政府の金融純負債以上に増えていることを指摘しています。

この事実は
「国債を消化」する余裕がむしろ増え続けているということを示すものです。
日本は、外国から借金をほとんどしていないから安心などというのは、現在、GDPの2倍の累積債務があるのに円高という説明にはなっても、
将来安心という根拠にはなりません。
事実として、
本書ではそのような将来リスクがあることをしっかり示しております。p.187において
「少子高齢化で働き手が減ることにより、モノやサービス――食べ物、飲み物、電気・ガスなどのエネルギー、医療・介護サービス、医薬品等々、衣食住を維持するために必要なモノやサービス――が足りなくなってしまうことは十分にあり得ます。」
という
リスクを指摘し、
「モノやサービスが不足し、国民の生活が成り立たなくなる、という『物流上の破綻』を防ぐことこそ、政府が果たすべき役割です。」という
対策の方針を明確に示しています。
また、
この「物不足を防ぐための対策」については、p.189からp.217で29ページというかなりのページ数を割いて説明しておりますので、お手元にある本書を是非お読みください。
また、p.90のプレゼン28、鳥取城包囲戦の「城内はお金だけがうず高く積み上がり、食べ物がない状態に」も併せてご覧ください。
ところで、
経済は「カネではなくモノの充実こそ重要」という考え方について、実は高橋是清も「随想録」に以下のように書いています―――
金(かね)本位から物質本位の思想へ
…
金(かね)さへあれば力を以て弱いものを征服して行った。
しかるに
持って帰った金はいつの間にやら余所(よそ)へ取られて仕舞った。何故に取られたかと云ふと
スペインやポルトガルの国は一時金銀の洪水が漲(みなぎ)ったやうなもので、国民は自分が作る絹で満足しないで他国で作ったものを無闇(むやみ)に買入れたためにその代わりに金銀がドンドンと出て行った。
そこへ
アダム・スミスと云ふ有名な経済学者が百五十年程前に
一国として尊ぶべきは金だと云ふが金ではないといった。金は前に言ふ通り他の国に取られて仕舞へば無くなるのである。
してみれば
金よりは品物が大切である。
物資こそ国富の元だから盛んに物資を作らなければならぬ。
物資は即ち金を取るゆゑんであり金ばかり溜めたって役に立たぬから物を作らなければならぬ、如何にして生産を盛んにするかと云ふことが国富の元であると云ふのがアダム・スミスの経済論の骨子である。
それから五十年も後にアメリカの
ビリュウスと云ふ学者が同じことを唱へてアダム・スミスの言ひ足らなかったところを補って居る。
物資が大切である、物資を作るところの国民の生産力を作らなければならぬ、これが元であると説いたが、その生産力を増進すると云ふことが今日いよいよ各国共に必要を感じて来た時代になって来たのである。
―――
モノが足り続けることこそ、経済の根本であり、生存の根源であります。カネではありません!
著者は、お金を刷ればよいとの言説ですが、民間金融機関に国債買い入れの資金(銀行にとっての借金・国民にとっての預金)がなくなれば、
法改正して日銀に直接国債を引き受けさせるしかありません。そうなっても大丈夫と言えますか? そこが最大の問題でしょう。
お金を刷っても、ハイパーインフレで、国債を保有している個人や金融機関が大損した敗戦直後の繰り返しになりますよ。
「お金を刷ればよいとの言説」ということが著者である私の言説ではありません。上記のように
モノ不足に陥らないようにカネを使わなければ意味がありません。カネだけあってもモノが無ければ人間は生きていけません。
また、
法改正しなくても日銀の国債直接引受けは可能です。
財政法第5条では
特別の事由がある場合において、国会の議決を経た金額の範囲内
で認めています。
ちなみに、
借り換え国債であれば、実際の実務上、すでに特例として認められています。つまり、
1.通常の金融調節の範囲内で市中銀行に日銀が資金貸付
2.市中銀行が「1」の資金を利用して国債を政府から買い付け
3.日銀が「2」の国債を市中銀行から通常の金融調節として買入れ
4.「3」で買入れた国債の借り換え国債を直接引受け
という手順を踏めば、特に新しく国会決議を要することなく、直接引受けは可能となります。
要はやる気、意志の問題です。また、
現在の財政法が成立し、戦後の強烈なインフレが終息した後も、しばらくの間、実は日銀は政府に直接貸し付けをしたり、低利で発売されていた短期国債の売れ残りの直接引受けをやっていましたが、ハイパーインフレにはまったくなっていません。終戦直後は2発の原爆を食らったのを始め、全国主要都市が爆撃で破壊されていたのですから、激しいインフレにならない方が不思議です。さて、私の知る範囲で
国債直接引受けの代表的な例を挙げると
①第1次大戦のドイツ
②第1次大戦のアメリカ
③第2次大戦の日本
④第2次大戦のアメリカとなります。
①と③は激しいインフレを引き起こしましたが、②、④、つまりアメリカはちっともハイパーインフレのハの字も起こっていません。要は、モノが足りるかどうかです。本土の破壊をほとんど受けず、供給能力が毀損しなかったアメリカは、国債の直接引受けをしようが何だろうが、激しいインフレになどならなかったのです。(この辺り、いずれ参考資料付きでもっと正式な文章を書きます)
よって、
「国債を中央銀行が直接引受ければ必ずハイパーインフレになる」
というのは幻想に過ぎません。
江戸時代は中央銀行が存在せず、通貨は中央政府たる幕府が直接発行していました。
しかし、残念ながら江戸時代にハイパーインフレは起こっていません。ただし、局地的には飢饉、つまり、物流上の破綻は起こっていましたが。
超円安で輸出代替化効果に望みを托すみたいな単純な復活論理は、国民窮乏の中で起こることなんですよ。。
著者は、論理をすり替えて、破たんした国々は、みんな元気に甦っているかのように言いますが、元気に甦ってはいませんよ。
国民は塗炭の苦しみを味わっています。著者はこれぐらい調べていて、よく知っているのに、これはないでしょう。
理論のすり替えとは何を指すのか分かりかねますが、
事実として、ほとんどの国は何度かの「財政破綻」を経験しながら、今日の人類史上空前の豊かさを享受するに至っています。―――
ケネス・ロゴフ ハーバード大学教授らの著書『国家は破綻する』には、
「対外債務危機は新興市場経済が先進的な経済へ成長する過程で避けて通ることのできない通過儀礼のようなものである」―――
とあり、また同書に
―――
「国家としての初期段階では、あのフランスでさえ、すくなくとも八回は対外債務のデフォルト(債務不履行)を起こしている。スペインは一八世紀末までは六回で済んでいたが、一九世紀に入ってから八回を記録して、フランスを追い抜いた。このように今日のヨーロッパの大国が新興段階からのし上がる過程では、今日の多くの新興市場国と同じく、対外債務のデフォルトを繰り返している」―――
という記述もあることは、p.30に引用したとおりです。
また、
「破綻→通貨安→回復→破綻前以上の成長」というのは
世界中でお決まりのパターンです。
本書第1章のグラフをすべてお読みかえし頂いた上で、
当ブログ記事
【経済破綻と回復】 http://grandpalais1975.blog104.fc2.com/blog-entry-83.htmlも併せてご参照ください。
もちろん、
その過程で過度の格差拡大が生じ、それによって破綻を来たしてしまうこともあるでしょう。
格差拡大を防ぎながら成長するための方策については、
お手元にある本書のp.218からp.240をご覧ください。
ただでさえ、財政規律が緩みっぱなしで、自己保身だけの政と官は、これが怖いからこそ増税に走って自分たちの保身と延命に走っているわけです。
増税は財政規律の緊縮化です。
ならば、さっさと破綻したほうがマシという結論なら、納得できますが、どうしてバラ色の未来に結論付けしたいのですか?
上記のように結論はかなり厳しい条件付きです。
とは言え、第6章および「おわりに」でその対策を詳細に書いていますので、ご参照ください。
超円安の貧乏国家になったら、海外からエネルギー資源も、輸入食品も調達できなくなりますよ。
円を闇雲に印刷するということは、円の価値を暴落させることであって、国民生活は地獄絵になります。
それを防ぐための方策は、前述のとおり第6章に50ページ以上のページ数を割いて詳細に書いておりますので、もう一度お手元の本書をお読みください。
そうなれば連続世界一の債権国家の日本といっても、そのお金もあっというまに枯渇します。これが常識ですよ。
常識に「新常識」などと付けて、煽ったタイトルにしていますが、どうして著者のような見識ある人が、こんなトンデモ本を出すのか、不思議です。
何をもって「常識」とするか、これもまた主観的、相対的問題であると思われます。
もしあなたが、本書の内容をあなたの「常識」と異なると感じられるのであれば、それはまさにあなたにとって常識とは異なる「新常識」であることに他なりません。
著者としてこれ以上の喜びはありません!
心より感謝申し上げます!!