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廣宮孝信 ひろみやよしのぶ

Author:廣宮孝信 ひろみやよしのぶ
工学修士(大阪大学)、都市情報学博士(名城大学)。
2009年、著書「国債を刷れ!」で「政府のみならず民間を合わせた国全体の連結貸借対照表(国家のバランスシート)」を世に送り出した経済評論家、"国家破綻セラピスト"です。
「アイスランドは財政黒字なのに破綻!」、「日本とドイツは『破綻』後50年で世界で最も繁栄した」--財政赤字や政府債務GDP比は、国家経済の本質的問題では全くありません!
モノは有限、カネは無限。国家・国民の永続的繁栄に必要なのは、国の借金を減らすとかそんなことでは全くなく、いかにモノを確保するか。モノを確保し続けるための技術投資こそがカギ。技術立国という言葉は伊達にあるわけではなく、カネとか国の借金はそのための手段、道具、方便に過ぎません。
このように「モノを中心に考える」ことで、国の借金に対する悲観的常識を根こそぎ打ち破り、将来への希望と展望を見出すための”物流中心主義”の経済観を展開しております。”技術立国・日本”が世界を救う!
 お問い合わせは当ブログのメールフォーム(下の方にあります)やコメント欄(内緒設定もご利用ください)や、ツイッターのダイレクトメッセージをご利用ください。

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603:#TPP 米国で「空中分解の危機」と産経、「メドが立たない」と日経が報道--私の1年ほど前の見立て通りの状況ですが、最近は大手マスコミも同様の見立ての模様

2014/01/30 (Thu) 15:01
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当ブログでは、1年ほど前から「TPPはアメリカでぶっつぶれる可能性が低くない」という見通しを立てておりました。

また、「TPPは、WTOのような、あとから新しい参加国を迎えることができる“living agreement”あるいは“dock on”という機能をもつ協定なので、今、日本が参加しなくてもTPPが成立した場合は参加圧力が加わり続ける。よって、あえて日本が参加表明することでTPPがアメリカでぶっつぶれる圧力が高まる、という見方も成り立ち得る」という考えも示していました。

例えば、以下のエントリーです:

オバマ氏再選、TPP、欧米FTA、財政の崖…:過半数を確保した上院民主党が #TPP の日本参加に歯止めをかけることに期待したい、今日この頃です - 2012/11/08 (木) 11:18

#TPP 最善は「オバマ大統領と安倍総理の良好な関係だけを残して、TPPはまるごとこの世から消滅してしまうこと」
2013/02/28 (Thu) 13:48

#TPP をぶっ壊せ!
2013/03/17 (Sun) 19:05

#TPP が「安全保障」という《言語明瞭、意味不明》な話の意味を、中東情勢とオバマ政権の外交方針から読み解いてみます
2013/03/23 (Sat) 23:41



さて、最近は忘れられがちなTPPでありますが、今月上旬に米連邦議会で、TPPやEUとのFTA交渉のために、憲法上議会がもつ通商条約交渉権を大統領に委託するための法案、TPA(大統領貿易促進権限)法案が提出されたことで新聞報道も少し復活しています。

で、特筆すべきは、1年前には考えられないような、「TPP、アメリカでぶっつぶれるんじゃないの?」というニュアンスの報道が大手新聞でなされるようになったことです。
(これはマスコミ批判を意図して書いているわけではありません。私もブログで書いた見通しが間違えたことがあったし、人のことをとやかく言えるものでもないからであります。ただ、事実関係を整理しようと試みているだけ、という具合に捉えて頂ければと思います。)



さて、例えば毎日新聞


TPP:米は大統領に一任へ オバマ政権には追い風
毎日新聞 2014年01月05日

↑タイトルこそ、なんかTPPが進みそう雰囲気ですが、結びはこんな感じです。


「一方、米議会内には、円安を背景とした日本車の輸出増に懸念を示す米自動車業界の意向を受け、「為替に関する条項が含まれないなら、TPA法案に賛成できない」(民主党下院議員)との声もある。民主党を中心に、TPPそのものに慎重な議員も多く、TPA法案の早期可決はなお予断を許さない。」


…あ、いや、毎日はそれほどでもないですね。

では、産経のこんな刺激的なタイトルの記事:


TPP、空中分解の危機 「次が駄目なら大変なことになる」
MSN産経ニュース 2014.1.12


そして、本日の日経新聞:


米「TPPで成長」へ背水 大統領 一般教書演説
日米協議難航、日程は綱渡り 議会対策がカギ
日経新聞 2014年1月30日7面

オバマ大統領は28日の一般教書演説で、2期目の最優先課題と位置付ける環太平洋経済連携協定(TPP)の妥結に改めて意欲を示した。TPP交渉促進に必要な大統領貿易促進権限(TPA)法案への超党派の協力も要請。ただ、日米協議難航の影響などで日程はすでに綱渡りで、大統領の協力な指導力抜きに膠着を打開できるメドは立たない状況だ。



だが、最大の注目を集めたTPA法案を巡ってオバマ氏は「超党派のTPAなどで協力する必要がある」とだけ述べて肩すかし。TPAは政府が結んだ通商協定を議会が一括して承認する法律。TPP最終協議を前に関係国は事実上、米議会の承認待ちの状態だ。

議会内の賛否は、TPPを含む通商自由化に前向き野党・共和党に賛成派が多く、逆に与党・民主党は慎重が多数という「ねじれ」だ。

共和党指導者のベイナー下院議長は、同党が過半を占める下院でも50人ほどの民主党議員の賛成が必要とオバマ氏に対応を迫っている。民主党内の環境重視派や労働組合系といったTPA・TPPの反対勢力を「オバマ氏が泥をかぶって説得しない限り成立は無理」(米政府筋)という。

TPA法案には為替条項や知的財産、国有資産改革などTPPでも争点となる重要な懸案が盛りだくさんだ。TPP関係国は2月中にもTPP閣僚会合を開き、大筋妥結の決着に持ち込む段取りを描く。オバマ氏がどこまでTPAで議会折衝に本腰を入れるかが、TPP交渉全体の行方にも大きな影響を及ぼしそうな雲行きだ。







うーん、日経記事では

「オバマ氏がどこまでTPAで議会折衝に本腰を入れるかが、TPP交渉全体の行方にも大きな影響を及ぼしそうな雲行きだ。


とありますが、もしオバマさんが「本腰」を入れるつもりなら、前回、2011年9月にTPA法案が上院で否決された後、もう一度すぐにでも取り掛かるべきだったのではないか、と思われます。
2年4ヶ月も放置プレイしていたのは、実はオバマさんがTPPに「本腰」を入れるつもりが、本音ではなかったのかしら、などと妄想してしまわないでもありません。

また、本当にTPPを成立させたかったなら、TPAが成立してから交渉に入っても良かったはずなのに、なぜそうしなかったのか、という疑問も残ります。


その原因は、米議会調査局の報告書にある以下の記述

ジョージ・W・ブッシュ大統領の下、アジアにおける既存の同盟国との関係強化に重点を置き、この地域における、より柔軟で維持可能な軍事プレゼンスの方向への動きを開始した。
それは、韓国とのFTAを結実させ、合衆国のTPP交渉への参加をもたらし、インドやベトナムとの新しい連携を徐々に進めさせた。
これらすべてのステップは、オバマ政権によってさらに進められた。

というようなところに見て取れるのかもしれません。

つまりは、TPPが、アジア重視路線の一環としてブッシュ政権下で決められた方針にのっとったものを、オバマ大統領--大統領になる前は従来の自由貿易協定に反対の姿勢を示していた--が、なぜか引き継いだものだった、という辺りです。


まあ、あまりこれ以上突っ込むのは止めにしましょう。


それはそれとして。

上記のようなTPPについてアメリカで、「空中分解の危機」(産経)、「メドが立たない状況」(日経)と大手新聞の記事に書かれるようになったのは、1年前なら私も手放しで喜ぶ状況だったのですが、いまとなっては、痛し痒しというべきところです。

というのは、「TPPがアメリカでぶっつぶれる」という状況は、前回詳しく述べたような、「アメリカが世界の盟主の座を降りようとしている」という大きな流れの一環である可能性が高いからです。
この大きな流れは、残念ながら、日本にとって厳しい激流となる可能性が高い、と言わざるを得ないのであります。




それはそれとして、



 TPPがアメリカで

 『空中分解』とか

 『大統領、背水』とか

 『メドが立たない』というように

 大手新聞社が書き出すとは、正直

 驚いた!!!



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602:日米株価暴落はあるか?-「米国発最悪の事態」を妄想シミュレーション…あくまでも「妄想」ですが!

2014/01/24 (Fri) 18:16
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いきなりですが私、最近のところ、日本、そして世界全体に対しては正直なところ、暗い未来を想定しています。

特に、オバマ大統領が「シリア攻撃を決定しました」と血気盛んな演説をしたあと、世論に押し切られてスコーンと「やっぱり止めます」となって以来、私の中で、その「暗い未来を想定する」傾向が決定的になったのでありました。

もちろん、米軍によるシリア攻撃というようなことを始め、あらゆる戦争は無いほうが良いに決まっているのですが、上記の事件は、アメリカによる平和と秩序が重大な転換点を迎えた決定的な象徴のように思え、少なくとも現在のそれなりに保たれている世界秩序の安定が、そう遠くない将来に崩れてしまうのではないかと想定するに至った次第です。

それで、9月以降は、「自分が何か書いたところでこの変化を止められることなどあり得ないし、下手をすればいたずらに不安を煽るだけになるのではなかろうか」というように考えてブログを書くのを止めていました。

しかし、1月3日に書きましたような老子の二十八章の、自分なりに納得できる解釈ができ、
「最悪の事態を想定することと、その正反対のこと、つまり、明るい未来を創造することの両方ともをうまく“治める”ということが『徳』であり、『天下の谷(この世のすべてのものを受け入れることのできるほどの巨大な器)』ではないか」
と考えるようになりました。

また、『易経(えききょう)』の解説書の一つで孔子の作とされる『繋辞伝(けいじでん)』の、次のことばを最近知ったことも、私にかなり影響を与えている次第です:

「君子は安にして危を忘れず、存して亡を忘れず、治にして乱を忘れず、ここを以て身安くして国家保つべきなり」

(ちなみに、『易経』は老子の説くような陰陽理論の総本山的な書物です。また、孔子も「葦編三絶(いへんさんぜつ)」、つまり、竹簡を束ねるヒモが3回も擦り切れるほど『易経』を読み込んだと言われています。)

というわけで老子や孔子の影響を受けた結果、最悪の事態というのを想定し、頭の片隅に少しくらいは明示的に意識しておくほうが、何だかんだと言って心の安定や安らぎにつながる――少なくともいざ仮にそういう事態が起きても多少なりとも冷静さを保てる――ということになるのではないかと考えるようになったため、あくまでも仮定の話として、「最悪の事態」というものについて、今回は書いてみたいと思います。


【「2014年 日米株価大暴落」はあり得るか?】

最近、今年(2014年)は大暴落があるぞ!というタイトルを関した経済本がこれでもかというくらい“大量”に出版されています。
これまでもいわゆる「破綻本」は毎年「○○年 大暴落」というタイトルで出されていましたが、今年は、今まで「日本大丈夫だ本」を書いていた方々までこぞって書いているのが特徴であると言えます。

ただし、皆が書き出したからと言って、だからやっぱり大暴落だ!と言いたいわけではありません!

ただ、私は最近、私がいうところの「老子スタイル」で、「ある考えがあれば、とりあえずそれを正しいと仮定し、同時にその正反対のことも正しいと仮定して考えるのが好ましい」と考えています。

つまり、ある説「A」とその正反対の説「not A」が両方とも正しいとひとまず仮定しておくわけです。
そうすると、偏らず、柔軟になれますし、そしてうまくいけばその両者の矛盾を乗り越え、統合するような新たなアイデアを創造してしまえることすらあり得ます。

ああ、そうだ。
まず私自身のことで謝罪しておきたいことがあります。
書こう書こうと思って書きそびれていましたが、去年書いた『仮説9月危機』というタイトルのエントリーは見事に外れています!
だから、今回書くことも、あくまでも仮説として、そうなるかも知れないし、まったく外れるかも知れないというスタンスで読んで頂ければと思います。

先ほども書きましたように、「最悪の事態」というものを一応のところ想定しておけば、万が一そういうことが本当に起こっても多少は冷静さを保てるし、その事態に対処するための次の行動に移ることもやり易くなる、というくらいの価値はあるものと考えます。
というのも人間、一番慌てふためくのは、本当に完全に想定外のこと、理解の範疇を完全に超越した事態に直面したときであると考えられるからです。


ではでは、少しずつ本題に入って参ります。

まず、
「今の米国の株価は割高か、割安か」
について検討してみましょう。
S&P500指数のPER(株価収益率)やPBR(株価純資産倍率)をぱっと調べてみます。

ここで用語解説:
PER(株価収益率)は「株価が企業の利益の何年分か」を表します。もしこれが100倍なら、株価が利益の100年分ということになり、かなりひいき目に見ても割高だと言えます。創業したてのバイオベンチャー企業とかならこれでも割高とは言えないかも知れませんが、すでにかなり大規模になって安定収益を上げている会社であれば、PERが100倍なら間違いなく割高と思えるということになるでしょう。

PBR(株価純資産倍率)は、「株価が、企業の帳簿価額での純資産価値の何倍か」を示します。この倍率が1.0倍以下であれば、理論的には、その会社がいま解散して売りさばかれたとき、株価以上の値段で売れるはず、ということになります。つまり、PBRが1.0倍以下なら相当な割安状態と言えますが、本来は価値があるのに誰にも注目されずに放置されているか、ほんとうにヤバい会社なので割安になっているかは要検討、と言えるでしょう。

で、S&P500のPERとPBRですが、過去の数値をまとめてくれているサイト を見つけました(若干いかがわしい広告が表示されたりするのがアレですが…)。そこのデータに基づくと

PER
現在(2014年1月23日) 19.38倍
リーマンショック前の株価ピーク時(2007年10月初) 20.68倍
ITバブル崩壊前の株価ピーク時(2000年3月初) 28.31倍

PBR
現在(2014年1月23日) 2.69倍
リーマンショック前の株価ピーク時(2007年9月末) 2.91倍
ITバブル崩壊前の株価ピーク時(2000年3月末) 5.06倍

現在のPER 19倍、PBRの2.7倍は、一般的な感覚でいうと、そこまで割高ではないような気もします。しかし、意外なことに、リーマンショック前の株価ピーク時の値にかなり接近している状況です。
ただし、ITバブル崩壊前のピーク時よりはかなり割安とは言えます。

さて、ここで「リーマンショック前のPER、PBRに近いため、今回の株価ピークもそろそろである」と仮定した上で、「今年(2014年)に“暴落”があるかどうか」について考えて見ましょう。

さて、何をもって“暴落”というかですが、とりあえず、ITバブル崩壊後の9.11のときのような暴落、リーマンショック時のような暴落を、“暴落”と呼ぶことにします。

9.11暴落(2001年9月)は、その前の株価ピークである2000年3月から1年半あとに生じています。
リーマンショック暴落(2008年9月)は、その前の株価ピークである2007年10月から2年近く経ってから起こっています。
つまり、この二つのケースでは「“暴落”が起きたのは、直近の株価ピークから1.5~2年後」ということになります。

現在S&P500は過去最大水準を更新している具合になっているので、2014年1月現在をピークと仮定すると、過去2つの事例からは、暴落が起こるとすれば2015年半ばから2016年初めころと想定されることになります。

すると、

「何かしら重大な事件が生じない限り、2014年中に“暴落”が起こる可能性は低い」

という仮説を立てることができます。

さて、冒頭で書きました「最悪の事態を仮説として想定する」というのは、「仮にそれが起こったら2014年中でも株価暴落を引き起こしかねない事態を想定する」ということになります。

この「最悪の事態を仮説として想定する」は少々脇に置き、その前に、

名目GDPと株価の関係

について述べたいと思います。

というのは、名目GDPは国全体で連結決算した「粗利益」であり、これが伸びている限り、企業の利益も伸びやすい状況であるのに、上記の2つのアメリカにおける暴落も、日本の1980年代末のバブル崩壊による暴落も、名目GDPが伸び続ける中で起きているからです。
この現象、考えてみればなかなか奇妙、いや興味深いことだと思うわけです(もちろん、「粗利」と「純利益」は違う、というだけのことかもしれませんが!)。

では先にアメリカのデータをグラフで見てみましょう。:




上のグラフで、「国内企業株価時価総額」というのはFRBの「Financial Accounts of the United States Data」  の Download Program (DDP)から、国内の金融機関と非金融企業のEquity(負債側)の時系列データを引き出して、足し合わせたものです。

また名目GDPの出典はBEA  です。


ここで興味深いのは、「国内企業株価時価総額」が名目GDPとだいたい桁は同じであるということです。

そして、おおよそ1990年より前と後で、「国内企業株価時価総額」と名目GDPの関係が変わっているように思われる点です。
1990年ころに相転移(横文字でいうとフェイズシフト)が起こっているかのようですが、おそらく、グローバル化の進展が影響しているのではないかと思われます。

株価が長期的には利益の関数である(利益が伸びないと株価も伸びない)とすると、名目GDPも間違いなく利益の関数ですから、株価は名目GDPの動きにリンクするはずです。

しかし、1990年より前は、「国内企業株式時価総額」が名目GDPを超えたことがなかったのに、それより後では「国内企業株式時価総額」がしばしば名目GDPを超えています。

「国内企業株式時価総額÷名目GDP」でいうと、1990年以前は1.0倍以下であり、1990年以降は1.0倍を超えることがあるようになりました。
これは企業の海外売上、海外生産の比重が高まり、株の価値については、国内の利益の指数であるGDPで収まりきらない部分が増えたということによるものと思われます。

というわけでここで、名目GDPとの対比での株式時価総額の割高・割安について、90年代以降に絞って見てゆくことにしましょう。
また、「国内企業株式時価総額÷名目GDP」の倍率に注目しますと、

ITバブル崩壊前の倍率のピークは約1.5倍
リーマンショック前の倍率のピークは約1.12倍
最新のデータ(2013年第3四半期)は約1.14倍

となります。
現在は上記グラフの最新データの時点よりも、株価がもう少し伸びています。
よって、「国内企業株式時価総額÷名目GDP」の倍率は、リーマンショック前のピーク時の倍率とITバブル崩壊前の倍率のあいだの値になっているでしょう。

そして、先ほどもちらりと書きましたが、名目GDPが伸びていても暴落は起こっています。

というわけで、結論:

株価は、これからも順調に伸び続ける可能性もありますが、そろそろピークアウトする可能性もあるし、「何かしらの重大な事件」が起これば“暴落”が起きる可能性もある

ということになりましょう。

このように書くと、いかにも玉虫色の結論になってしまいますが、逆に言うと「どちらか一方にだけ100%賭ける必要性がそもそもあるのかどうか」と考えるのも一興ではないでしょうか。

多くの証券会社は今年も日米の景気、株価は絶好調としています。
一方で上述のとおり、今年はいつもより多くの、幅広い評論家の皆さんが“暴落する”と言っています。

名目GDPという「生産・消費に係る支出=実体経済に回っているおカネのフロー」が伸び続けていることは、株価が伸びることの重大な根拠にもなりますが、一方で過去の事例を見ると、それは暴落が起こらないことを保証するという絶対的根拠とならないことが分かります。

ならば、仮にこれから株式投資をしようとする人や、すでに株を持っている人がいる場合に、「“上昇継続説”も“暴落説”も両方とも正しい」と仮定した上で方針を決めても間違いではないことになります。

例えば、「やはり上昇するだろう」ということを基本方針とするにしても、「過去の“暴落”は名目GDPが伸び続けている中で起きている」という事実も踏まえ、予定していた金額の一部、たとえば2割とか3割は手元に残しておくというのも一案でしょう。場合によってはその一部で保険として金の現物かETFを買ってみても良いかも知れません。

一方、「過去に株価がピークアウトしたときとPERやPBRが近く、株式時価総額の名目GDPの比率から言っても割高と言える水準なので、今年はやはり暴落があるのではないか」ということを基本方針としても、「でも、アメリカは財政問題であんなに議会がグダグダになっていたのに、信じがたいくらいの好景気だから、このまま株価が伸び続ける可能性もなくはない」と考えることも正しいでしょう。
その場合は例えば、“暴落”に備えて持ち株の5割くらいは売りとばし、残り5割は特に配当利回りが高く、事業内容も景気に左右されにくい銘柄を中心に、“何かの間違い”で上昇を続けたときに備え、そのまま持ち続ける(配当利回りが高く、事業内容も景気に左右されにくい銘柄なら、暴落のあとなかなか株式市場が回復しなくても配当である程度カバーできるので)、というふうに振る舞うこともできるでしょう。

※上記はあくまでも、「続伸説と暴落説を両方とも正しいと考えた場合に考えられる方針」の一例に過ぎず、「この通りにやるべきです」と推奨しているわけではありません。悪しからずご了承ください!


さて、次に
日本の国内企業の株式時価総額と名目GDPのグラフ
も見ておきましょう:



「国内企業株式・出資時価総額」は日銀「資金循環統計」の「金融機関」と「非金融企業」の負債側の株式・出資の合計です。

名目GDPの出典は内閣府「国民経済計算」
2012年度確報」 と「平成17年基準支出系列簡易遡及
になります。


ここで、
80年代末のバブル期のピークがグラフでは88年になっていますが、これは88年度で89年3月末のデータとなります(なお、日経平均がピークを付けたのは89年末の大納会、TOPIXは同年12月18日でした)。 


さて、
80年代末のバブル期の株価ピーク時は「国内企業株式・出資時価総額÷名目GDP」が約2.0倍でした。

また、2006年度末(07年3月末)、つまりリーマンショック前のピークもほぼ同じで約2.0倍でした(株価のピークは、日経平均、TOPIXとも07年2月)。

このGDP倍率基準で言えば、過去2回のピークから考えると、株式・出資時価総額が名目GDPの2倍くらいで株価上昇の打ち止めになるのかも知れません。


上のグラフの最新データは2012年度末、つまり13年3月末です。

13年3月末の株価:
日経平均 約12800円 
TOPIX 約1030円

現在(14年1月24日)の株価:
日経平均 約15300円 
TOPIX 約1260円

双方とも1.2倍程度です。

2012年度末(2013年3月末)の「国内企業株式・出資時価総額÷名目GDP」倍率1.38倍にとりあえず単純にこの1.2をかけると、現在の推計値は1.65倍となります。

で、ピーク時のその倍率が2倍とすると(名目GDP据置を仮定)、
日経平均 約18550円 (=15300円÷1.65×2.0)
TOPIX 約1530円 (=1260円÷1.65×2.0)
となります。

この辺りが、GDP倍率からとりあえず目安として考えられるピークの水準かな、ということになります。
(注:これはあくまでもこういう計算もできるかも知れないというものです!)

ちなみに、野村証券の14年末の日経平均の予想値は18000円です。
http://www.nomura.co.jp/report/outlook/japan.html

これをとりあえずの基準として採用すると、今年中に上記のGDP倍率から計算されるピーク値に達し、そこから下落が始まるというシナリオを想定しても良いかもしれません。
もちろん、そんなことはお構いなしに上昇を続けるというシナリオもあり得るわけですが!

但し、「何かしら重大な事件が発生しない限り」というべきでしょうか?



【考え得る『最悪の事態』とは?】

というわけで、「これが起きたとしたら、日米、主に米国で今年中に株価暴落を生じさせるような重大な事件」について、仮説的にいくつか考えて見たいと思います。

(1)仮説「第5次中東戦争」
報道されているところから受ける印象を書きます(私がよく見ているのは日経新聞の国際面です)。
アメリカがシリア攻撃を突然中止し、さらにはイランとも和解してしまったことでイスラエルの緊張が相当に高まっているようです。
サウジアラビアもアメリカと距離を置き始めており、親米的だったエジプト軍も然りです。また、最近ではイスラエルが中国に最新のミサイル関連技術を売却していたことが発覚したり、というように、アメリカの中東での影響力の低下はかなり進んでいるように見受けられます。

何かの拍子でイスラエルを中心とした「第5次中東戦争」が起こったとしてもそれほど驚くに値せず、その場合、第4次中東戦争の影響で起きた70年代前半の第1次オイルショックのようなことが起きるかも知れません。
なお、70年代と違って、アメリカの中東依存度はシェールオイル・ガス革命で低下しましたが、一方で、インドや中国の中東依存度が高まっています(参考記事:石油危機40年 中東依存に逆戻り アジア、需要増大止まらず )。
 
そうなると、アメリカは直接の影響を受けなくても、アジア全般が大打撃をこうむることになり、その連鎖反応で日本もアメリカも株価暴落、ということはあるかも知れません。

仮に↑このような「第5次中東戦争」がなくとも、アメリカの中東への関心が薄れると、取り残された日本にとっては、あまり楽しい状況とは言えなくなりつつあることになります(この観点から、安倍内閣が「地球儀外交」と呼ばれるような精力的な外交を展開しているのは、最優先事項を粛々とこなしているという意味で高く評価できるのではなかろうか、とも個人的には思います(参考記事: 【日米中混沌 安倍外交が挑む】同盟国との関係を悪化させたオバマ外交と安倍首相の地球儀外交  )。

この仮説、上に挙げたアメリカの影響力の低下、イスラエルと中国の急接近、中国の中東依存の高まりなどから考えられるもう一つのシナリオは、「中国がアメリカに成り代わって中東の平和外交を主導する」というシナリオです。
そう考えると、日本外交はまさに終戦以来、最大の切所に差し掛かっていると言わざるを得ません。また原発問題は、このような中東における「パワーゲーム」(“戦争”に限らない!)の情勢も加味して考える必要があるかも知れません。


(2)仮説「タイの軍事政権化
タイは2006年にも、有権者ベースでは多数派のタクシン派の与党に対し、選挙で勝ち目がない野党側が選挙をボイコットし、結果、選挙はタクシン派の与党が圧勝ということがありました。しかし、軍がちゃぶ台をひっくり返したため、タクシン元首相は国外流浪の身となり現在に至っています。

今般におけるタイでの騒動も8年前と全く同じ構図で、「有権者ベースでは多数派のタクシン派の与党に対し、選挙では勝ち目がない野党側が選挙をボイコット」を決め、「首都封鎖」と言われる激しいデモを展開しています。
これも報道ベースの情報ですが、今回、軍は諸外国の目、とくにアメリカの目を気にして、「平和裏に民主的選挙が実施されることを望む」と静観を続けている状態です。
野党側の支持者らはそれでアメリカに反感を持っているとのこと。
もし、事態の収拾が付かなくなって結局、軍が動き、どうしようもないので軍が暫定政権を樹立させるようなことになった場合に、アメリカが民主主義にこだわり過ぎて、そのような軍事政権を認めなかったとします。

するとタイは外交的に孤立します。

そこで、ほかの大国(具体名は敢えて挙げませんが…)が真っ先にその軍事政権を承認し、多大な支援を約束した場合、どうなるでしょうか?
アメリカのアジアにおける地位は一気に失墜し、アジア全域が激しく動揺することになるかも知れません。

アジア情勢は日中韓の関係悪化や、オーストラリアによる諜報活動の発覚で同国とインドネシアの関係が著しく悪化したこと、北朝鮮情勢など、問題が色々とあります。
そこにタイの問題が深刻化し、その上、アメリカのアジアにおける権威が失墜するようなことがあったら…。

というのは、あくまでも仮説ですが、一応、可能性はゼロではないというくらいの意識は必要かと思われます。


(3)仮説「米国内における、9.11以上の事件の発生 」
この「(3)」は完全なる妄想に基づくシミュレーションです。
しかし、「こんなことあったら本当に嫌だな」とか「まったくあり得ない」とか思えることを一応考えておくことは、「あることと、正反対のことを両方ともうまく治めることが“徳”であり“天下の谷”」という老子スタイルの発想として、一応は必要かということで、書いてみます。


「アメリカ国内で株価の暴落を引き起こすほどの事件があるとすれば、どんなことが考えられるか」という思考実験をしてみましょう。

アメリカでは、毎月のように銃乱射事件が起きています。また、去年は白人至上主義組織が現役の検事補と検事を立て続けに殺害するという恐るべき事件も起きました。しかし、そのような警察の案件、刑事事件では株価はビクともしません。

すると、株価暴落が起こるような事件というのは、やはり軍隊が前面に出るような事件、ということになります。

では、もう一度9.11と同じような事件が起きた場合、どうでしょうか?

確かに、このようなことは痛ましいし、絶対に二度と起きてはいけないような大参事です。
しかし、すでに一度起きている事件と類似しているため、2001年の9.11が発生したときほどの衝撃にはならないかも知れません。
すると、「9.11のような規模の事件でありながら、9.11とはまったく違う様相を持った事件」ということを考える必要があるかも知れません。

9.11は、報道ベースの事実(世間に衝撃を与えるのはあくまでも報道ベースの事実という意味でこれを重視します)からすると、

外国人、イスラム原理主義者による、民間機を乗っ取っての、主に民間の建造物への大規模な同時多発的攻撃

ということになろうかと思います。
これが、以下のようになると、どうでしょうか?

米国人、キリスト教徒、しかも白人でプロテスタントによる、しかも単なる民間人ではなく、合衆国に忠誠を誓った元軍人または現役軍人による、主に政府機関の建造物――例えば、ホワイトハウスや連邦議会議事堂など――への大規模な同時多発的攻撃

…つまりは、1860年の南北戦争(The Civil War)以来の内戦、「The Civil War II」の勃発です。
ちなみに、このようなことを私が思ったのは、去年、アメリカでホワイトハウスが占領されるというストーリーの映画が2本も公開されていたからです。

『エンド・オブ・ホワイトハウス』2013年3月22日公開
ストーリー概要:北朝鮮特殊部隊によってホワイトハウスが占領される

『ホワイトハウス・ダウン』2013年6月28日公開  
ストーリー概要:“テロリスト”によってホワイトハウスが占領される

同じような状況設定の映画がわずか3ヵ月のあいだに立て続けに2本も公開されているというのは若干不思議な感がありますが、共通していると私が思えるのは、「こんなことがあったら嫌だ!」、「こんなことがあったら驚きだ!」という大衆心理を突いてヒットを狙おうということで作られたのではないか、ということです。

そして、これが「外国人」でも「テロリスト」でもなかったらもっと嫌だ、絶対に起きて欲しくない(起きるわけがない)、という線に沿って考えると、上述したような「妄想的」な状況、ということになります。

恐らく、
「米国人、キリスト教徒(しかも白人でプロテスタント)による、しかも単なる民間人ではなく、元軍人または現役軍人による、主に政府機関の建造物――例えば、ホワイトハウスや連邦議会議事堂など――への大規模な同時多発的攻撃」
ということが仮に起きるとすれば、宇宙人襲来や、太陽の突然の消滅、地球大爆発などを除いて、現在のところ本当に最大級の最悪の状況ではないかと思います。
というのは、仮にこんなことがあったとすれば、世界の秩序が本当に一気に一変してしまうことになるからです。

さて、私の願望はもちろん、「このまま順調に日本を含む世界全体が平和裏に繁栄を続けること」です。
この願望を長期的にうまく保ち続けるためには、その正反対のこと(=上記のような「最悪の事態」)に対する心配を正しく治めることもまた必要、と考え、上記のようなことを敢えて書いてみました。

もう一度、孔子の作と言われる『繋辞伝(けいじでん)』の言葉を繰り返しておきます:
「君子は安にして危を忘れず、存して亡を忘れず、治にして乱を忘れず、ここを以て身安くして国家保つべきなり」

ちなみに、ですが、
孔子も↑このような、どちらかというと「孫子の兵法」のようなことを言っていたのかしら、と個人的には少々驚いた次第です。

-----
さて、最後にもう一度、前回ご案内しました2月下旬の

台湾での研修会・参加者募集

日本李登輝学校・修学院
– 第11期・台湾研修講座 -

のご案内であります。

私、廣宮も、元台湾総統の李登輝先生に会いに台湾に行ってまいります。
日程の調整も難しいでしょうし、決して安いわけではありません。

1月31日が最終締切と時間が差し迫っておりますが、滅多にない機会です。
是非、一緒に台湾に行きませんか?

【ご案内】李登輝先生に、台湾に会いに行こう!
http://samurai20.jp/2014/01/ritouki/

申込フォーム
http://samurai20.jp/kokusei/seisaku/syuugakuin/






 君子は安にして危を忘れず、

 存して亡を忘れず、

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 ここを以て身安くして国家保つべきなり



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601:「恐怖は安全に対する願望の裏返し」+【ご案内】李登輝 元台湾総統に合いに行こう(日本 修学院 台湾研修講座 『武士道とトップリーダーの実践』)

2014/01/15 (Wed) 17:15
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前回も色々とコメントを頂き、ありがとうございました!

コメントを頂くと何かと良い刺激になります。
「刺激」というのは、そこから何かしら必ず“連想”することになるからです。
(詳細は、1月3日のエントリーに書きました、ユングの「コンプレックス」の概念や、フロイトの自由連想法の辺りをご参照ください)


さて、その「刺激」によって、今回はもう少し「恐怖」という概念について書いてみたいと思います。

前回書きましたが、人間の体内において恐怖の感情を発生するメカニズムは、「本来的には生物にとって生命保全のための危険回避行動を取るために必須」の機能と言えます。

これについてもう少し生理学的な説明を加えておきますと、危険に対して身体を俊敏に動かし、「闘争または逃走」するための態勢を即座に整える反応が生じることになります。
その態勢とは、例えば心拍数、血糖値、血圧の上昇、毛細血管の収縮といった、無酸素運動をスムーズに行うための準備などのことです。(ほかにも、ホルモンバランスの変化その他もろもろのことがあります)

そして、この「心拍数、血糖値、血圧の上昇、毛細血管の収縮」といった生理学的な反応がストレス反応ということになります。


それはさておき、「生命保全のための危険回避行動を取るために必須」の機能というのを、別の言葉に置き換えますと、「安全確保のために必須」の機能ということになります。

つまり、恐怖とは安全に対する願望の裏返しと言えます。裏返しどころか、恐怖とは安全に対する願望そのものとすら言えるかもしれません。
すると、
恐怖、あるいは、恐怖反応=ストレス反応というのは、生物学的には、安全確保のための機能であり「善」であると言えるでしょう。

しかし、この恐怖反応、ストレス反応が時として暴走することによって、極度に攻撃的になることがあります。
人間、強烈なストレスを感じると攻撃的になりがちですが、それは本来は安全確保のための機能が誤作動した、ということになりましょう。
本来は「善」であったとしても、そのような状態は残念ながらもはや「善」とは言えず、「悪」ということになるかも知れませんが、これはバランスが崩れた状態、と規定して良いかも知れません。

といったわけで、「善」と「悪」というものもまた表裏一体であり、互いに密接に関係しているとも言えるでしょう。
生物学的には本来「善」であるはずの機能が過度に作動すると「悪」になり得るし、「悪」も多少のバランスを回復すれば「善」になり得ます。


以上のことを踏まえますと、例えば、
「国の借金に対する恐怖」というものがあるとすれば、それは「生活の安全に対する願望」の裏返し、あるいは「生活の安全に対する願望」そのものであり、「恐怖」であるからには、究極的には必ず「善」であると言えます。

また、もし仮に「国の借金に対する過剰な恐怖」というものがあるとすれば、それは、「過剰」であるならば「悪」ということになるかも知れません。しかし、多少なりともバランスを回復して「適度な恐怖」となったとすれば、これはやはりかなり確実に「善」ということになろうかと思います。


それから、私は以前米国における秘密主義的なTPP推進の背景には「強欲」すなわち「富を失うことに対する恐怖」=「貧困に対する恐怖」があるのではないかというようなことを書きました。

もう少し厳密には

「強欲」=「富を失うことに対する過度の恐怖」=「貧困に対する過度の恐怖」

と言えるかも知れません。

「恐怖」という限りは、その正反対の願望、つまりは「富を得たい、貧困を回避したいという願望」であり、究極的には、実は「善」であると言えます。ただしそれが「過度の恐怖」や「過度の願望」であるならば、そこに大いなる問題があるかも知れません。



さてここで、

「善」=バランスの取れている状態
「悪」=バランスの崩れた状態

としますと、1月3日のエントリーで書いた「徳」と「孤」の定義にピタリとハマります。

「善」=「徳」=調和、均衡、秩序
「悪」=「孤」=不調和、不均衡、無秩序


という具合です。

強欲、過度の恐怖、過度の願望は「孤」ですが、適度の欲求、適度の恐怖、適度の願望ならば、これは「徳」であると言えるのではないかと思う次第です。



ところで、最近のコメントで、

「最近の日本は経常赤字が定着してきましたね」

ということを書いて下さった方がいます。

穏やかな言い方なので、趣旨は正確には分かりませんが、経常赤字が定着して、政府の財政破綻や日本経済の破局に一歩近づいているのではないかという不安を表明されているのかもしれません。

もちろん、そうではないのかも知れませんが、「日本の経常赤字化が不安だ」ということであると仮定してみます。

では、とりあえず財務省の「国際収支の状況」を見てみると…

財務省 国際収支状況
Ⅰ.国際収支総括表
(データ期間:平成8年~)
s-1-4 月次
(単位 億円)

経常収支 (a+b+c)
平成25年 1月 2013 Jan -3,484
2月 Feb 6,497
3月 Mar 12,831
4月 Apr 7,844
5月 May 5,666
6月 Jun 3,777
7月 Jul 6,004
8月 Aug 1,571
9月 Sep 5,948
10月(P) Oct(P) -1,279
11月(P) Nov(P) -5,928
(P)は速報値を示す


です。
10月、11月は速報値で赤字が続いていますが、
1月から11月をとりあえず合計してみると39,447億円(3.9兆円)の黒字となります。

12月次第ですが、恐らく通年では黒字になるのでは無かろうかと思われます。

が、「今後この赤字傾向が強まったらどうなるか不安だ」と考えることもまた正しいと思われます。

つまりは、日本経済が、私がいうところの「孤」の状態(不安定な状態)になったらどうしたら良いかという不安です。
その不安は、「孤」の状態(不安定な状態)に陥った時に、できるだけ早く「徳」の状態(安定した状態)に回復させたいという願望の裏返しとも言えるでしょう。
私は、「不安」になることも、その正反対のことを望むことも、両方とも正しいと考えます。


では、経常収支に関して「徳」の状態(安定した状態)に回復させるにはどうしたら良いでしょう?

例えば、原発の運転を停止させていることで膨れ上がっている燃料代の問題が、この経常赤字化の大きな原因だと思いますが、この問題について考えることが必要となるのではないかと思います。

選択肢としては、
①「原発を再稼働させる」
②「原発に代わる自国内で調達できるエネルギー源を開発する」
③「①と②を両方とも正しいと考え、両方とも同時に推進させる」
といったことが考えられるかも知れません。

なお、私としましては、日本が仮に経常赤字体質になったとしても、当面はそれほどの問題が無いのではないかと考えています。

ヨーロッパのユーロ圏における経常黒字国と赤字国の明暗や、米、豪、NZなどの経常赤字国の安定などを考え合わせると、先進国の経済が著しく不安定化するのは、経常赤字が続いて対外債務国に陥った上で、さらに対外債務が外貨または実質建てであることが重なることがカギだと考えるからです。詳細は過去のエントリーをご参照ください。


さてさて、
「いや、それだけではやはり不安はぬぐえない」
と感じられる場合でも、それはそれで正しいと考えます。

その場合にご提案したいのは、過去に経常赤字や外貨建て借金で苦しんだ国が、どうやってそこから抜け出したかについて調べてみることです。

例えば、第二次大戦前の日本は、長い間、経常赤字と外貨建て借金によってさんざん苦しみ続けた経験があります。特に、日露戦争時に多額の外貨建て借金を背負いました。そのような状況でどうやって経済を運営していたのか、について調査することは「経常赤字によって“孤”に陥ることの不安」と「そこから“徳”の状態に戻りたいという願望」という正反対の事柄をうまく治めるために、非常に有用ではないかと思います。

また、第二次世界大戦直後の、さらに悲惨な事態からどうやって立ち直ったか、ということも詳細にしらべてみることも良いでしょう。あの物不足の強烈なインフレの時代をどうやって乗り切ったか?
当時の政治主題のひとつは、「食糧があと○○kcal分足りない」というようなものでした。
また、当時は日本を含む外貨が不足している国々の間で物々交換貿易をする「バーター取引」というようなこともなされていたと言います。
それから、とにかく産業の基礎中の基礎である鉄や石炭の生産のために資金と資源を重点配分する「傾斜生産方式」というやり方が採用された時代でした。

こういったことについて詳細に調べてみることは、「全面戦争における徹底的な破壊によって経済的に“孤”に陥ることの不安」と「そこから経済的に“徳”の状態に戻りたいという願望」という正反対の事柄を両方ともうまく治めるために、非常に有用ではないかと思います。





というようなわけで、
新年から書いていた一連のエントリーにおいて提案したいことを少しまとめておきたいと思います。

一つは、ある考えと、それと正反対の考えを両方とも正しいと仮定することで、新しい考えを生み出そうと試みることです。
例えば、資本主義と社会主義を両方とも正しいと仮定すると、「第三の道」という発想が生まれることになります。

自分の考えについて、それに対して真っ向から否定する考えの人がいるとき、ぜひ一度、「自分も相手も両方とも正しい」と仮定してみて下さい。何かいままで思いつかなかったような良いアイデアが思いつくかもしれません。

ちなみに、ですが、私は現在、
資本主義(自由主義)も社会主義(保護主義)も両方とも本来は生物として種の保存のために必要な機能や性質が起源になっているのではないかという仮説を持っています。
自由であることの生命維持のための必要性としては、例えば、狩猟民族が獲物を得るためにはかなり広い範囲の地域を自由に往来しなければならなかった、というようなことが考えられます。
保護主義であることの生命維持のための必要性としては、例えば、農耕民族が安定的に食糧を収穫するためには自分たちの土地を長期間、外敵から守り抜くために団結・連帯しなければならなかった、というようなことが考えられます。
もう少し、原始的に考えると、ライオンなどの肉食獣は小集団で行動する傾向(個の自由度が高い傾向)があるように思えるし、一方で、ヌーなどの草食動物は驚くべき規模の大集団で行動する傾向(個の自由度が低い傾向)があるように思えます。

このような仮説に従うと、資本主義(自由主義)も社会主義(保護主義)も生物学的には両方とも正しいということにならざるを得ないのではないかと思うわけです。そして、状況に応じて、民族の性質や経済の発展度合に応じて適宜使い分ければ良いのではないか、とも思う次第です。


さて、もう一つは、ある考えと、それと正反対の考えを両方とも正しいと仮定することで、自分自身の感情を安定させることにつなげることです。

例えば、何かについて怒ることも、怒らないことも両方とも正しい、と仮定してみることです。
怒りや不安、恐怖といった否定的な感情に陥っているとき、それは「心の中で2つ以上の勢力が対立し、ぶつかり合っている状態」を仮定できます。
これがつまりは、葛藤です。

すると、物凄く怒っている状態のときには、「怒りたい派閥」と「怒りたくない派閥」の2つの派閥が厳しく激突している状態であると仮定できます。

(1)仮に、「怒りたい派閥」にだけ100%賛成し、怒りに拍車をかけることに一方的に荷担するとします。すると、その人の精神は余計に不安定化するでしょう。先ほど書いたような生理的な反応、すなわちストレス反応が強化されることで、ますます怒りの度合いが強まってしまうからです。

(2)一方、仮に「怒りたくない派閥」に一方的に加担し、「怒ることは間違いだ」といって「怒りたい派閥」を徹底的に弾圧するとします。すると弾圧された「怒りたい派閥」は一時的には鳴りを潜めるかも知れませんが、あとになってあなたの隙を突いて大攻勢を仕掛けてくることで、あなたが著しく精神の平衡を失うことになってしまう可能性があります。

さて、(1)も(2)も、葛藤し、対立しているどちらかの派閥を全面的に否定しているということになります。というわけで「第三の道」です。

(3)「怒りたい派閥」と「怒りたくない派閥」の両方ともを正しいと仮定してみます。つまりは、「これについて、怒ることも、怒らないことも両方とも正しい」と考えてみる、というわけです。これは、互いに正反対の性質のものを両方ともうまく治めることを通じて、心の中のすべての領域をうまく治めようとする試みであると言えます。
私の場合、このようなやり方でかなり色々と楽になっています。一時的に頭に来ることがあっても、以前よりもかなり短時間で怒りを鎮静化できるようになりました。読者の皆さまにもぜひ、一度お試し頂ければと思います。

というような、正反対のものを両方とも正しいと考えることが老子の言うところの「天下の谷(この世のすべてを収める巨大な器)」であり、それが「常の徳は離れず」の状態であると考える次第です。


つぎに、

【お知らせ】です:

以下、福岡県行橋市市会議員 小坪慎也さんのホームページより


「李登輝 元台湾総統に合いに行こう(日本 修学院 台湾研修講座 『武士道とトップリーダーの実践』)」

のご案内です。


--引用開始--

お世話になっております。
本日は、李登輝先生への表敬を含む訪台についてのご案内です。

李登輝先生に、会いに行きましょう!

↓申込はこちら(日程あり)↓
【募集のご案内】日本 修学院 台湾研修講座



李登輝先生よりその名を冠することを許可されている「日本李登輝学校 修学院」の研修視察になります。
主催団体の「日本李登輝学校」とはなんぞや?と思われる方もおるやもしれません。
いわゆる怪しい団体ではなく、今回の訪台で11期となります。
実は私自身(廣宮注:ここの「私自身」とは小坪氏のことです!念のため。)も、主催者側(修学院福岡の理事)であります。

昨年は三時間にも及ぶ講義(そして潤沢な質疑応答の時間)を取って頂きました。
参加者は二十名と選抜された少数で、日本語での、李登輝先生本人からの講義になります。
また、同じく日本語で質疑応答の時間を設けてくださっております。
少数でありましたから、直接本人と会話することも可能です。
非常に有意義な訪台でありました。本当に素晴らしい経験を積ませて頂きました。


このように例年、素晴らしい訪台視察なのですが、今まではほぼ告知をしてきておりません。
「李登輝先生に会える!」「一緒に写真が撮れる!」となりますと
妙な輩もわいてきてしまい、逆に失礼ではないか、と。
今まではそう思っておりました。

しかしながら、李登輝先生がご高齢ということもあり、(体力的な面から)ご無理をお願いすることも難しくなってきます。
このような研修を組めるのは、本年が最後になるやもしれません。

今回は「できるだけ多くの国士に会って頂きたい」という思いが強いのです。
そこでネットでも告知を行い、できるだけ多くの方々と台湾に行ければと思っております。

李登輝先生に直接会える、しかも費用的な面、日程的な面より参加が難しい方も多いと思います。
申し訳ありませんが「facebookのイイネ」や「ツイート」で拡散をお願いします。
日本を愛し、そして台湾との友好を支持する日本人がたくさんいることを李登輝先生にお伝えしたいからです。
拡散のほどよろしくお願いします。

追伸になりますが、渡邉哲也氏(大戸締まり役)と廣宮孝信氏も一緒に行きます。
もちろん私、小坪も行きますが、保守系の大物(?)と台湾に行ってみませんか?
そして李登輝先生の講義を受け、共に台湾の歴史を実地で研修しましょう!

--

日本李登輝学校・修学院
– 第11期・台湾研修講座 -

「トップリーダーの姿に、まなぶ。」

学校長:李登輝(台湾・元総統)
院長 :久保田信之(修学院院長・学習院参与)
演題 :武士道とトップリーダーの実践

主催 :日本李登輝学校 修学院
協賛 :日本の心を伝える会

開 催 概 要
2月21日(金)
・李登輝 元総統による研修講義。
講義終了後、李登輝元総統より研修修了証が授与されます。
・台湾財界人を交えての懇親会。

2月22日(土)
・対日関係責任者による経済・貿易・文化に関する交流会。
・台湾東北部への観光ツアー

2月23日(日)
・自由行動。(最終便で帰国)

【申込締切】1月31日(金)

↓以下より申込ができます。
【募集のご案内】日本 修学院 台湾研修講座

 

--引用ここまで--

というわけで、渡邉哲也さんや私も参加させて頂くことになっている、李登輝元総統による台湾での研修会のご案内でした。




さて、台湾といえば…
私はいわゆる「台湾問題」についても、
「老子スタイル」の「私も正しい、あなたも正しい」という仮定から出発するのが良いのではないかという仮説を持っています。

これについて具体的に書き出すと、色々と語弊その他の問題があるような気がしますので、抽象論の出発点だけに留めておきますが!


というわけで、



 結局、今回も
 
 『老子スタイル』

 というオチなのねん♪



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600:「国の借金」とトラウマ(心的外傷)--マクロ経済を扱うのに「感情」の問題に取り組むことが必要な理由

2014/01/07 (Tue) 11:02
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前回のエントリーでコメントを読ませて頂いた後で、またまた思いついたことがありましたので、予定外でしたが更新してみました。
(コメントを頂きました皆様、ありがとうございました!)


「国の借金」について、なぜ感情をも取り扱うことが大切なのか?

ということについて、
具体例を挙げて説明を試みたいと思います(すでに私がコメント欄で書かせて頂いたものに、修正・加筆する形になります)。


例えば、ドイツ政府がなぜ財政均衡にこだわるかということについて少し考えて見たいと思います。

これは、彼らが経済学的、財政学的に「無見識」だからでしょうか?私は恐らく違うと思います。

恐らくは、第一次世界大戦とその後の定義通りのハイパーインフレ、さらにはナチの台頭とその後の悲惨な結果となった第二次世界大戦に対する、恐怖体験の記憶、すなわちトラウマ(心的外傷)が大きな要因だと思われます。

これはまさしく、感情の問題です。

最近の脳科学が教えるところでは、恐怖体験の記憶は生涯消えません。その記憶を形成する脳神経回路が物理的に消えず、死ぬまで保持され続けるということになります。というのは、恐怖体験の記憶は、本来的には生物にとって生命保全のための危険回避行動を取るために必須の情報であるからです(『エモーショナル・ブレイン 情動の脳科学』ジョセフ・ルドゥー著 松本元・川村光毅ほか訳 参照)。

それからもう一つは、最近ニュースで伝えられていたところによると、マウスの実験で、親の恐怖体験の記憶が子に遺伝することが確認されたとのことです(“恐怖の記憶、精子で子孫に「継承」 米研究チーム発表”朝日新聞 2013年12月4日 http://www.asahi.com/articles/TKY201312040021.html )


以上のことを踏まえると、経済を考える上で、このトラウマの問題は決して避けては通れません。

日本でも同様に、第二次世界大戦のトラウマが大きな影響を及ぼしている可能性があります。
(憲法9条問題には、確実に影響を与えているものと思われます。
 私の親族で、戦時中B29に追い回され、命からがら甲子園球場に逃げ込むということを何度も
 経験している者がおり、憲法9条擁護派となっています。
 私は、上記のような脳の仕組みを踏まえれば、このことはまったく仕方がないことであり、
 正当な反応であると考えます。
 また、恐怖体験の記憶(トラウマ)が子孫に遺伝するということが、人間においても起こるの
 であれば、この憲法9条問題は心理学や脳科学の観点から極めて根が深い問題である、という
 認識を持つ必要があることになり、そこを出発点とせざるを得ないでしょう。
 なお、私は、憲法9条擁護派ではありません。念のため)


そういったわけで、
「国の借金」問題、財政問題に、戦争トラウマが絡んでいるという、上記の私の仮説が正しいとすれば、これを扱うには経済学では残念ながらまったく不可能です。
これには心理学や脳科学その他の学問領域からの取り組みが必要不可欠、というのが、現在、私の考えるところのものであります。



それと、頂いたコメントから思ったのは、感情の問題について、もっと身近な事例を考えてみるということも必要なことかな、と思いました。

例えば、私の知人に高所恐怖症の人がいます。
それで、飛行機にも乗ることができません。
「飛行機で事故に遭う確率は、自動車交通事故で死ぬ確率よりも圧倒的に低い云々」
と、論理的にいくら説明したところで、この人が飛行機に乗れるようには残念ながらならない、という具合です。
というのは、論理的に納得できたとしても、感情的にはそう簡単に納得できないからです。

まずは、この人が高所恐怖症で飛行機に乗れないということを否定せず、客観的事実として肯定し、受け入れることが出発点になるでしょう。


もう一つ、少し違う視点の、もっとマクロな事例を挙げておくと、アメリカの銃規制が進まない問題です。

銃乱射事件の頻発、という強烈な恐怖体験がありながら、なぜか銃規制が進まない、という問題です。

私はこれはおそらく、民族の性質というようなものが絡んでいるという仮説を持っています。

銃規制に反対しているのは、保守派の皆さんであり、つまりは、イギリスから支配されるのが嫌だ、自由になりたい!束縛されたくない!という人たちの子孫、ということになるのではないかと思います。

政府は小さいほうがいい。極端な話、無政府でもいいくらいだ!国家財政は切り詰めるべきだ!

このような「民族の性質」は、銃規制のような政治問題だけでなく、国の借金問題にまで幅広く影響を与えるのだと考えますが、これも感情の問題と思う次第であります。

これは、「お前たちは間違っているのだ!」と言っていて解決できる問題では、恐らく、あり得ないわけであります。
「老子スタイル」の「私も正しい、あなたも正しい」というところから出発するのが良いのではないか
と思うわけです。


というわけで、



 経済や政治を考えるうえで、

 心理学や脳科学も

 どうやら必要、ということか?



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599:「国の借金」論に対する新しいアプローチの提言(前回エントリーの補足です)

2014/01/05 (Sun) 18:32
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前回のエントリーのコメントを読ませて頂いた後で少々思いついたことがあるので、書いてみたいと思います。
(コメントを頂きました皆様、ありがとうございました!)

4年前、私が最初の本「国債を刷れ」を出版した直後、次のような感想を言って下さった方がいました。
「いままで、長年の友人から国の借金は問題ないと言われ続けてもなかなか分からりませんでした。しかし、あなたの本のおかげで、日本の国の借金が大丈夫というのは、半分だけ納得できたように感じています」。

半分だけ、というのが象徴的であるように思います。
恐らくは、理屈では分かったけど、感情的にまだ納得しきれていない、ということだったのでしょう。

あるいは、私の古くからの知人の場合。
私が直接何度も話したし、私の本も2、3冊読んでくれているのですが、少し時間が経ってから他の人の破綻論を聞くと、すぐに元に戻ってしまっていました。
このケースから想像されるのは、「ある人が表面的には一時的に納得していても、その人の心の中にある一部の派閥だけが納得しているだけであり、その人の無意識の中にいる別の派閥は必ずしも納得していなかった」という構図の存在です。

ユング風に言えば、思考機能(論理的思考機能)と感情機能の強弱は、人によって違います。
思考機能が優位な人の場合は一旦理論的に納得したら、ほとんど生涯その考えを通すかもしれません。
一方で、思考機能よりも感情機能が優位な人の場合は、恐らく、そうはならないものと思われます。

なお、ここで注意事項ですが、感情機能が優位とか思考機能が優位とかで、どちらが人間として優れているとか劣っているということは無いものと思います。
それぞれの人で、それぞれの良さがあるし、欠点もあるでしょうし、さまざまな人がいることで世の中はうまく機能するし、多様性が保たれるのだと思います。

そういうようなわけですので、仮に「完璧に理論的に正しい」考えがあったとしても、それを多くの人がすぐに理解して、それが一般的価値観として定着するとは限らないことになります。
というよりは、多くの人々にとって感情的に納得のいかないような思想は、定着することは無い、というくらいに思った方が良いのではないかと、とも考える次第です。

そのようなことを、心理学についていろいろ調査検討しているうちに、私は、「国の借金」問題について、理論的な面だけでなく、感情的な面も検討する必要があると考えるに至った次第です。


もう一つダメ押ししておきますと、こんな「国の借金」の話は、日本においては80年も前に高橋是清が著書で「経済はカネではなく、モノだ」と書いた時点で、とっくの昔に理論的にはクリアしているはずなのです。いや、もちろん、「国の借金ダメだ派の皆さんにとっては決してクリアになっているわけではないと思われますし、それもまた正しいのだと、現在の私は考えますが!

いや、話を元に戻しますと、高橋是清によってとっくの昔に「理論的に」クリアになっているはず、なのに、いまだに現在のようなありさま--たとえば、昨年の参院選の討論会では、すべての党の出席者が「国の借金が問題だ」と発言していたような状態--であるということには、やはり、「理論的に正しい」というだけではダメだということを示しているように思われます。

また、仮にマスコミの皆さんがこぞって、今とは正反対に、連日連夜「国の借金は大丈夫です」と喧伝するようになったとします。
それで仮に日本国民全体が何となく「国の借金大丈夫だ」派になれたとします。それで万事うまくいくでしょうか?
恐らくうまくいかないのではないかと思います。
100年後に再びマスコミが「国の借金もうダメだ」とやり始めたとしたらどうなるでしょう?結局はまたもや「国の借金もうダメだ」派が主流派に戻ることになるものと思われます。 それはつまり、根本的に納得していないからだ、ということになろうかと思います。根本的な納得には必ず、理論だけでなく感情の面でも納得している必要があるように思うのです。

こう考えると、今のうちから「国の借金」に関する、意識的な理論面だけでなく、無意識的な感情面にも踏み込んで検討しておくことが必要不可欠なのではないかと考える次第です。


ところで私はこれまで、マクロ経済を考えるときに、ブログや著書で「世界全体=私+私以外の世界全体」という枠組みで考えることを提唱してきました。「私の金銭的支出=私以外の世界全体の金銭的収入」というカネ勘定の話です。
これに加えて、「世界全体=私+私以外の世界全体」という枠組みで、「自分とは正反対の考え方の人々、あるいは、自分には全く理解不能と感じるような考え方の人々」の考えを、少なくとも、「その考えが存在すること自体は肯定する」というスタイルを今回新たに提言しているわけです。

「自分とは正反対の考え方の人々、あるいは、自分には全く理解不能と感じるような考え方の人々」というのは、いわば、「自分」の否定形です。

「自分」の否定形とは、すなわち、「自分以外の世界全体」です。

というわけで、
「世界全体=自分+自分の否定形」
ということになります。

そして、私は次のように考えます:
「国の借金」問題の根本解決のためには、自分の立場だけでなく、自分の否定形の立場の考えを、理論的にも、感情的にも理解したうえで、両者が双方とも、互いの立場や考えについて理論的にも感情的にも納得できるような方向性を見出さなければならないのではないか。そろそろそのような時期に差し掛かっているのではないか。
近頃は、そのように感じる次第です。

私は、個人的にはとくに感情面に力点を置きたいと思います。というのは、感情機能のほうが、進化の過程では思考機能よりも先に獲得した機能であり、生物としての人間にとって、より強大な影響力を持つものと考えるからです。

というわけで、以上、「自分」と「自分の否定形」の両方ともをうまく治めることで、「天下の谷(=この世のすべてを収納するほどの巨大な器)」を目指しましょう、という老子スタイルのご提案であります。




 『老子スタイル』も

 良いかもしれんな。

 アメリカで少し前に流行ったらしい、

 『江〇スタイル』

 よりも、やはり『老子スタイル』か?



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598:「徳」について――政治、経済から個人心理にまで共通する、実用的な定義を考えてみました

2014/01/03 (Fri) 16:12
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皆さま、新年明けましておめでとうございます。
本年もどうぞよろしくお願い致します。


いやはや、実に4か月ぶりの更新となりました。


今回のエントリーはかなり長めになっていますが、当ブログ史上、もっとも重要なエントリーと私は個人的に位置付けております。S&P風に敢えて格付けしてみると、文句なしの「AAA」ということになります。


さて、私がブログの更新をあまりしなくなったことにはいくつかの理由があります。

ひとつは、経済に関しては私の立場(本来は経済の専門家ではない、という立場)から書くべきことは大体書き尽くしてしまったのではないか、と感じられるからです。
もう一つは、「アメリカが世界の盟主の座を降りてしまった、あるいは、降りる準備を始めてしまったのではないか、と思わせるような象徴的な出来事が、ほんの一年のあいだにあまりにも多数起きた」という意味で、昨年あたりから世界的に政治や経済の情勢があまりにも混沌としてきたように感じられるからです。

この二つの理由から、私の立場からは経済について、経済的な観点から書くだけではあまり意味がないように感じているため、何かを書くからにはもっと掘り下げた、あるいは、もっと根源的な観点から書くようでなければならない、と考えるに至った次第です。


さてさて。
そもそも4年余り前に私が経済について本を書こうと思い立ったのは、「国の借金」問題が日本国にとって、あるいは、世界全体にとって致命的な問題と感じたからでした。
マクロ経済を会計的な発想で考えると、これは個人、企業、政府などのすべての経済主体の連結決算じゃないか、ということに思い至り、自分が専門家でなくとも、この考えに基づいた国の借金についての考え方を、世の中に向けて発表し、共有すべきだと考えました。
そして最近ではこの「マクロ経済=すべての経済主体の連結決算」論はほかの多くの皆さんが盛んに書いています。だから私がこれ以上ああだこうだ書く必要性は薄れつつあります。

そして、もう一つ重要なのは、残念なことに、「マクロ経済=すべての経済主体の連結決算」論が盛んにあちらこちらで述べられているにも関わらず、世の中全体ではまったく主流になっていないという現実です。つい最近のNHKの世論調査でも8割以上の人々が国の借金が問題だと考えている、というような結果が出ていました(と、記憶しております)。

そのようなわけで、私は、こういった問題に取り組むには、人間が生物学的に持っている性質を掘り下げて知る必要があるのではないかと考えるに至りました。
何せ、経済も政治も、つまるところは人間の集合体の行動の合計体であるわけですから。その人間の生物学的に備える性質について知るために役に立ちそうだと私に思えるのが、主として心理学や脳科学(神経科学)や生理学といったところです。

そういったわけで、現在の私の興味は主として心理学に向かっている次第です。もちろん私はあくまでも非専門家ですが、非専門家だからこそできることが確実にあると考えています。経済に関してもそうであったように。

では、そろそろ今回の本題に入って行きたいと思います。

今回は
・「徳」とは何か?
・「徳を積む」とはどういうことか?

という二点について述べて行きたいと思います。また、私なりの「徳」の定義に沿って考えると、個人における基本原理が、政治やマクロ経済にも完全にぴたりと当てはまるようになる、というところまで論じたいと思います。



「徳」とは何か?

漢和辞典(角川『漢和中辞典』)によれば、徳の原義は「のぼる」であり、古代には、「神を知る能力」、「力」という意味であったとのことです。

では、「神を知る能力」とはなんぞや?ということになりますが、考えてみましょう。

人間が最も幸福を感じる心理状態、あるいは、能力を発揮しやすそうな状態はというと例えば、心が完全に調和の取れた状態、均衡した状態、秩序ある状態ではないかと思われます。
生理学的に考えると、精神が安定し、交感神経と副交感神経のバランスが取れており、理性が最も働きやすく、感情も安定し、免疫力までもが最も高まる状態、といった具合です。これが「神に通じる心理状態」=「神を知る能力」=「徳」と考えてみるのも良いのではないでしょうか。

というわけで、
「徳」=「調和、均衡、秩序ある状態」
と定義してみます。

ある人の精神状態が「調和、均衡、秩序ある状態」であれば、悪心を起こしたり、犯罪に走ったりすることもないものと考えられますから、やはりこれは「徳」というイメージとかなり一致するように思われます。

さてここで、「徳」について、もっと掘り下げて考える材料として、『老子』の第二十八章を引用します。
また、ついでに先に言っておくと、これをのちほどユング心理学風に解釈することを試みます。というのも、ユングは思いっきり老子の影響を受けた心理学者だからです。ちなみに、ユングのシンクロニシティー(=意義深い偶然)は老子の「道 タオ」を翻訳して心理学用語としたものです。

なお、老子の引用(読み下し文)自体は難解ですのでこれは読み飛ばし、そのあとの訳文からお読み頂いたほうが良いかもしれません。


『老子』第二十八章

[読み下し文]
その雄(ゆう)を知り、その雌(し)を守れば、天下の谿(けい)と為る。
天下の谿と為れば、常の徳は離れず、嬰児に復帰す。
その白を知り、その黒を守れば、天下の式(のり)と為る。
天下の式(のり)と為れば、常の徳は忒(たが)わず、無極に復帰す。
その栄を知り、その辱(じょく)を守れば、天下の谷と為る。
天下の谷と為れば、常の徳は乃(すなわ)ち足り、樸(はく)に復帰す。
樸散ずれば則(すなわ)ち器と為る。聖人これを用いるときは、則ち官の長と為す。
故(まこと)に「大なる制は割(そこな)わず」。

[訳文]
雄(かた)さの力を知りつつ、雌(よわ)さのままにとどまるものは、天下の何ものをも受け入れる谿(たにま)のようなものとなる。
天下の谿であれば、変わることのない「徳」はその人を離れることがない。そして嬰児(あかご)の状態にもう一度かえれるであろう。
白の輝かしさを知りつつ、黒の知られないままにとどまるものは、天下のすべてのものの模範となる。
天下の模範であれば、変わることのない「徳」は何のまちがいも起こさないであろう。その人は「極(きわ)み無きもの」にもう一度帰れるであろう。
栄誉のとうとさを知りつつ、汚辱にとどまるものは、天下の谷(おおかわ)のようなものとなる。天下の谷であれば、変わることのない「徳」は満ち足りて、その人はまだ削られる前の樸(あらき)の状態にもう一度帰れるであろう。樸がばらばらにされると、さまざまの器となる。聖人がそれらを使って、官吏たちの長とする。まことに「偉大な制(切り手)は肉をそこなうことはしないのだ」

(以上、中公クラシックス『老子』小川環樹訳 より)


上記の老子の文章を図解すると、以下のようになります:




ここで、
「谿」や「谷」は、「水が集まってできる川」です。
「天下の谷」となると、「この世のすべてを収納することのできる容器」ということになります。

また、
雄と雌
白と黒
栄と辱
はすべて、陽と陰、+と-、互いに正反対の性質のものです。

そして、「知る」、「守る」には漢和辞典を引けば、両方とも「治める」という意味があります。
よって、
「その雄を知り、その雌を守れば」
「その白を知り、その黒を守れば」
「その栄を知り、その辱を守れば」
というのは、陽なるものと陰なるもの、対極にある互いに正反対のものを両方ともうまく治めることができれば、という意味になります。

そして、そのような人は天下のすべてを収納することのできる巨大な器(うつわ)になれるし、そのようなことができた人は、徳を保つことができる、という意味に解釈することができます。

また、そのような巨大な器の持ち主となれば、「嬰児、無極、樸」になれる、ということになります。
ここで、
嬰児=赤ん坊。
無極=極みがない、つまり、際限がないということ。無限。転じて、宇宙の根源の意味も(小学館『デジタル大辞泉』)。
樸(はく)=切り出したままの、加工する前の木材。
ですが、要するに、「完全に偏りのない、バランスの取れた、柔軟性の極めて高い状態。 かつ、潜在力が最も高い状態」の象徴と解釈できます。

そいうわけで、老子のいう「徳」は、「徳とは完全にバランスの取れた状態で、“神を知る能力”の状態」、という先ほどの「徳」の字義から私が導き出してみた定義に一致することになります。

ここでさらにユング心理学風に解釈を掘り下げてみましょう。

雄と雌
男性的なもの(陽)と女性的なもの(陰)。
ユング風に言えば、一人の人間には、男性であっても内部に女性的な性質が存在するし、女性であっても内部に男性的な性質が存在します。
例えば、論理的思考は男性的性質、感情は女性的性質、というような分類をしてみても良いでしょう。
また、意識を男性的なもの(陽)、それに対して無意識(いわゆる潜在意識。一般的に、心理学用語として潜在意識という言葉はあまり使われないので、ここでは無意識を用います)を女性的なもの(陰)と解釈しても良いでしょう。
古来、洋の東西を問わず、太陽や昼、つまり「陽」は男性の象徴とされ、月や夜、つまり「陰」は女性の象徴とされることがしばしばです。
さらにいうと、ユングの定義では、意識の否定形が無意識となります。人間が自分で意識できる心的領域が意識であり、それ以外のすべての心的領域(=意識できない残りのすべての領域)が無意識です。
よって、
「その雄を知り、その雌を守れば、天下の谿(けい)と為る」
とは、例えば、
「意識領域を巧みに治め、かつ、無意識領域をも巧みに治めることができるような人は、この世のすべてを収納できるほどの器(うつわ)の持ち主となる」
というように解釈できます。(こう解釈すると老子のこの言葉は、ユングが言うところの「個性化」や「自己実現」を意味しているように思われます。)
※ユングについてもう少し詳しく知りたい、という方は、とりあえず一冊読むとしたら『ユング 分析心理学』小川捷之訳 をお勧め致します

白と黒
これも雄と雌のペアと基本的に同じですが、例えば、白を善の象徴、黒を悪の象徴と考えてみましょう。自分自身の内部にある善と悪を両方ともうまく治める、という具合です。
さて、ここでいわゆる性善説、性悪説という考え方について検討してみましょう。
性善説は人間は本来、善の性質が備わっている、という立場です。もし誰かが悪人になるのは、それは単に何か間違ったからだ、という感じになりますね。
一方、性悪説は人間は本来、悪の性質が備わっているので、何の努力もしなければ、人間は自然と悪人になるという立場ですね。
読者の皆さんは、性善説と性悪説、どちらが正しいとお考えでしょうか?
私は、両方とも正しいと考えます。
恐らく、老子もそう考えていたのではないかと推察されます。
それゆえに老子は、
「その白を知り、その黒を守れば、天下の式(のり。模範)と為る」
と言っているのでしょう。
善も、悪も、一人ひとりのすべての人間に、両方とも本来、生物学的性質として備わっているが、両方ともうまくコントロールできるようになれば、そのような人は天下の模範となれるのじゃよ、ということではなかろうかと。

栄と辱
栄誉と汚辱。つまり、愛とか感謝とかの肯定的感情(positive feelings)と、怒り、妬み、恐れなどの否定的感情(negative feelings)です。
この両方ともを、うまく心の中の支配秩序に組み込むことができれば、「天下の谷」となることができ、徳は充足するのじゃよ、ということなのでしょう。
そうすると「樸(はく)」、つまり、加工前の木材のような偏りのない、潜在的可能性が最大化するような状態になれる。
そして、これを「散ずる」(バラバラにする)と「器」となる。徳の高い聖人はどんな人物をも徳のある状態(=樸)にして才能を引き出し、適材適所に配して天下を巧みに治めることができる、といったところでしょうか。

ところで、フロイトやユングの心理学の最大の特徴と私が思うのは、一人の人間の心の中には様々な勢力や派閥がいて、群雄割拠の状態になっているということを前提にしている点です。

フロイトが次のような例を挙げています。
あるとき、国会(恐らくオーストリアの国会)の議長が議会の開会を宣言しようとしていたのに、うっかり「それでは、閉会します」と言ってしまったことがあったそうです。
フロイトによると、この議長はどうせ議会を開いても荒れてまともな議論などできないということが分かっていたために、このようなうっかりした行為=失錯行為(しっさくこうい)が起こったとのこと。
この失錯行為の起こる仕組みというのは、ある人の心の中で二つの相反する意向が衝突するから、ということになります。
上の例の場合、議長の意識では「開会を宣言しないといけない」という意向が当然のように働いていたわけですが、無意識では「こんな状態で議会を開会したくないよ」という意向も働いていたわけです。
そして、うっかり「閉会します」と言ってしまったということは、「こんな状態で議会を開会したくないよ」という無意識の中にあった意向が、ほんの一瞬とはいえ、開会を宣言しないといけない」という意向に競り勝ってしまった、というわけです。

こんな群雄割拠状態の心の中を、うまく統治することができれば、徳が保全されるのだよ、というのが老子の言葉の本質なのではなかろうかと、私は考える次第です。


「徳を積む」とは?

さてここで、この老子の言葉を活用する方法を一つ、考えてみたいと思います。だいぶ上のほうになってしまったので、もう一度図解を示しておきます。




上の老子の言葉の意味をもう一度かいつまんでいうと「互いに両極端、正反対の性質のものを、両方ともうまく治めれば、徳の充足した状態になれる」という具合になります。

さて、この考え方に沿って、「死ぬほど嫌いな人に対する激しい怒りの感情を、中和して鎮静化させる方法」を検討してみましょう。

自分が心底から忌み嫌う人が持っている性質というものは、例えば、自分とは完全に正反対の性質と言えます。
「こいつがなんでこんなことをするのか、まったく理解できん!」という具合になりますが、ということはつまり、相手の人が、自分の理解できる領域から完全に外れたところに存在している、と認識していることになります。
つまりは、その人は自分とは対極にある、正反対の性質の持ち主であると認識していることになります。

さて、ここで自分自身の中にもその正反対の性質が存在すると敢えて仮定します。一人の人間の中に、
雄と雌
白と黒
栄と辱
といった、互いに両極端、正反対の性質のものが確かに存在しているのであれば、自分自身が意識している自分自身の性質と正反対の性質のものが、いまだ意識されていない自分自身の無意識の中に存在していても、実はなんらの不思議もありません。

まあ、極端な話、仮にあなたがその「くそったれ」と同じ親から生まれ、同じ環境で育ち、同じ食べ物と飲み物を摂取してきていたとしたら、あなたも生物学的見地からすると、その「くそったれ」とまったく同じ性質を持つようになることは十分にあり得ることです。

いや、要するに、一応は同じ人間、ホモサピエンスという生物種であるからには、同じ性質を持つに至る可能性は、完全なゼロではなく、0.000000001%くらいはあるはず、ということになります。

ちょっと長くなったので、まとめなおしてみます。
あなたが死ぬほど頭に来ている、心底から忌み嫌っている人が持っているような、自分とは正反対の性質が、自分自身の中にも存在すると敢えて仮定してみましょう。
そのような性質が自分の中にも存在する(可能性がある)ことを肯定し、うまく「知り、守る=治める」ことができれば、あなたは「天下の谷=この世の全てを収納できるほどの巨大な器」となり、つまり、徳を高めることになると言えます。
これはいわば、心の内なる戦国乱世に泰平の治世をもたらした徳、ということになります。

ここで、その存在を肯定する、というのは、なにも積極的に仲良くどっぷり付き合わなければならない、ということではありません。
ほどよく距離を保ち、暴発しないように適当にあしらっておく、ということもまた「肯定」です。これが、「知る、守る=治める」です。

例えば、徳川家康は、関ヶ原の合戦で敵対した島津家に降伏を迫りましたが、島津家の当主は薩摩に引きこもったまま家康の要請を完全に無視しました。
家康としては、討伐して島津家を征服したいところですが、何せ中央から遠く離れた薩摩に遠征し、精強をもって鳴る島津相手の合戦に手間取ると、せっかく静まった天下の情勢が再び大いに乱れてしまいかねません。
そうなってしまっては元も子もありませんので、結局、家康は所領を安堵(あんど)する旨を島津家に送り、それで何とかうまいこと島津家を自らの支配秩序の中に組み込んだわけです。
心の中の厄介な存在を扱うときも、こんな感じで扱うことは一つの効果的な方法となり得るでしょう。
「存在すること自体は肯定し、認める。そして、ほどよく距離を置き、適当にあしらう」
というやり方です。

ここまで、もう一度だけ短く整理しておきます。
・自分が心底から忌み嫌う人物がいるとする。
・その人の持つ性質とは、自分という存在にとって完全に対極にある、正反対の性質である、と考えてみる。
・そのような「自分とは正反対の性質」もまた、自分が意識できていないだけで、自分の無意識の中に存在する(かも知れない)と仮定する。
・それが存在することを肯定し、認め、とりあえずその存在のための所領を安堵してやることでうまく「治め」ると、それは個人レベルでのいわゆる一つの「徳を積む」ということになる。

ここで注意事項ですが、その存在を否定すると、往々にして厄介なことが起きます。
その存在を否定するということは、つまり、その対象を抑圧していることになり、たいていの場合、暴れ出すことになります。

最近のニュースでも某国で某少数民族が抑圧されて暴発し、テロ事件が頻発していることが伝えられていますが、我々の心の中で群雄割拠しているさまざまな性質、さまざまな存在も、その存在自体を否定されると、「抑圧された」と感じ、あなたに対していわば「テロ行為」を繰り返すことになり得るわけです。

なお、このような心の中で暴れているような存在を特定し、なだめてやることで精神の平衡を取り戻す、ということが、フロイトの精神分析学やユングの分析心理学の目的とするところのものであります(と、私は解釈しております)。
そして、このような心理学は、いわゆる精神病患者の人たちだけでなく、大多数の健常者の日常生活においても極めて有用であると思われます。
上記のような老子的な定義の「徳を積む」ということを標榜するのであれば、フロイトやユングの心理学はなおさら有用であると言えるでしょう。


個人心理学の視点を用いて政治を考えてみる

どんな人の場合でも、一人の人間の心の中は、いわば荒れ狂う国会の議場のようなものです。
与党もいれば野党もいて、いろいろな会派、派閥がいます。一人の人間の中には、自民党もいれば、共産党もいるわけです。
このような、互いに正反対の相反する勢力が存在する状態において利害を調整し、うまく治めるのが政治、といえます。
心の内なる議会において「政治」を行うにあたっては、心理学を活用することが可能であり、『老子』や『論語』あるいは『孫子』のような古典もまた、活用が可能と言えます。

ここまで、『老子』を個人心理学的(あるいは個人心理学風)に解釈し、あるいは、現実世界における政治の話の事例(島津家に対する徳川家の対処法や、某国政府の抑圧に対する反政府活動の話)を用いて個人心理学を考える、というようなことを書いてきました。
さて、今度は逆に、ここまで書いてきた個人心理学(=内なる精神世界における政治)の話を、現実世界の政治を考えるために活用することを、試してみましょう。

例えば、先ほどの某国政府の抑圧に対する少数民族の反政府活動について考えるなら、本来的には、当事者が互いに、両方の立場とも正しいという前提に立つことから始めるのが望ましいでしょう。
つまり、先ほどの老子的な発想、「心の内における正反対のものを両方ともうまく治める人は、天下の谷となる」という発想の応用です。
そして、両方の立場とも正しいという前提に立った上で、双方がなんとか納得できる妥協点を、創意工夫によって見いだし、和解するというプロセスをたどるのが理想的と言えるのではないでしょうか。
残念ながら私はこの問題について詳細を知らないわけですので、このような抽象論で留めておきたいと思いますが、恐らく、現状は双方とも「両方の立場とも正しいという前提に立つ」という段階にはまったく至っていないのではなかろうかと思います。
「いや、そんなことは理想論に過ぎない。現段階では現実的には、彼らは互いに相手を攻撃するほかに手段がないのではなかろうか」、と思われる方もいらっしゃるかも知れません。
それに対して私は、理想を追い求めることも、現実的に対処することも両方とも正しい、と考えてみたいと思います。
現状では互いに、抑圧を強化し、あるいは、武装攻撃するほかないというのが現実であるとしても、双方とも「やがては平和な状態を実現したい」という理想を、少なくとも心の中では諦めずに持っておくことが望ましいと言えるでしょう。

これは原発問題についても言えのではないかと思います。
どちらかというと「現実的」といえる推進派と、どちらかというと「理想的」といえる廃絶派は両方正しい、という前提に立ってみると、「原発ゼロにしてもエネルギー源が確実に確保できるという科学的根拠が確立されれば、原発は廃止すべきです。しかしそれまでは原発はベース電源として位置付けて維持すべきなのです」というような趣旨の、安倍総理によるテレビでの発言が最近あったのですが、これは現実と理想が両方とも正しいという前提に立った、一つの望ましい方針であると言えるかも知れません。もちろん、もっと良い方向性というものが、ほかにあるかも知れませんが。

また、私が当ブログや著書でしつこいくらい繰り返し書いている「第三の道」の政治手法も、このような発想法が取り入れられていると言えます。
というのは、「第三の道」は資本主義と社会主義という互いに正反対の政治・経済思想を、両方とも正しいという前提に立って考案された手法であるからです。
ただし、「第三の道」的な政策だからといって絶対にうまく行くとは当然、限りません。理想や理念が好ましいものであったとしても、現実にうまく対処するためには、試行錯誤と創意工夫が不可欠となるでしょう。また、どんなにうまくいっていた政策があったとしても、状況・環境の変化とともに陳腐化して物の役に立たなくなってしまうということは、いつでもあり得ることです。
「理想を追求することを志向しつつ、創意工夫を重ねて現実に起きている矛盾を解決してゆく」ということこそ、政治であれ何であれ、実はこれが「徳を積む」ということなのだと私は考えます。
別の言い方をすると「互いに反発し、矛盾し、対立するもの同士を、創意工夫を凝らして、調和的な形で結び付け、新しい価値を生み出すこと」ともいえそうです。


「国の借金」問題にフロイト風の精神分析を持ち込む試み

私はあくまでも心理学の専門家ではないので、「フロイト流」ではなく「フロイト風」としておきます。
「国の借金」について、
「国の借金は実際のところ経済の根本的問題ではないし、特に、日本の国の借金は、少なくとも現在のところはまったく問題ないのですよ」
ということを、より幅広い層に納得してもらうための方法を考えるために、ここで「国の借金」について、フロイト風の精神分析を試みたいと思います。

※「国の借金」という場合の「国」とは、中央政府のことです。「国会」とか「国政」とかの「国」が中央政府を指すのと同様です。よって「国の借金(=中央政府の債務)」という言い方自体に何かしらの問題があるとは思われません。このことは、これまで当ブログで何度か書いてきましたが、念のため繰り返しておきます。

「フロイト風」といいつつ、ここではまず下準備としてユングのコンプレックスの概念を簡単に説明します(ちなみに、フロイトはユングと決別した後の1916年に行った講演において、このコンプレックスというユングが有名にした用語を普通に使っていますし、ユングの研究事例も普通に引用していたりします。念のため)。

コンプレックスというのは、日本語では一般的に劣等感を指す言葉になってしまっていますが、本来的には「一つの感情で関連付けられている一連の心的内容物」という意味になります。

で、結局これ、何やねん、というと、例えば、次のような事例。
女性が怒ったとき、論理的には何らの関係のない過去の出来事を次から次へと思い出して、「あのときこんなことした、このときこんなことした」というようになることを目撃した、あるいは、自分がそんなことをした、ということはないでしょうか?
もちろん、このような現象は男性でもあるかも知れませんが、これこそまさにコンプレックスのなせる技です。論理的に何らの関連性がなくとも、感情的には密接に関係している一連の記憶が、「怒り」とか「悲しみ」の感情が発現したことをきっかけに、芋づる式に思い出された、というわけです。

これは、脳科学でいうところの「連合学習」の仕組みが関与していると考えられます。
連合学習とは、互いに関連のある内容を関連付けて記憶する、脳の記憶のシステムですが、これが感情によってラベル付されているわけです。つまりユングやフロイトが言うところのコンプレックスとは、相互に関連付けられて形成されている記憶の脳神経回路群とでもいうべきものなわけです。
(脳科学に関しては、『感じる脳』アントニオ・R・ダマシオ著 田中三彦訳 参照)

このコンプレックスの構造を解析するのが、フロイトの精神分析ということになります。
フロイトは、上記のようなコンプレックス、あるいは、連合学習のシステムを活用するために(フロイトの時代には脳科学の「連合学習」という概念は知られていなかったと思われますが)、患者に連想ゲームを次々に展開させるようなことをしました。
例えば、何かしら精神的葛藤を抱えている患者に、前の日に見た夢について語ってもらい、その中で「これ」と思えるような事柄に関して、「それについて、すぐにぱっと思いつくことを言ってみて下さい」と聞きます。
患者がそれで何かを連想してぱっと思いついたことを語ると、さらに「それに関して、ぱっと思いつくことは何ですか?」と聞くわけです。
このようにして、どんどん連想を展開してゆき、最終的に患者が意識できていなかった、心の中の問題箇所を探り当てることによって、精神の平衡を取り戻す、というようなやりかたです。
まあ、かなり簡単に書いてしまいましたが、このように「自由に連想させる」ので、フロイトはこれを「自由連想法」と名づけました。

というわけで「国の借金」についても、この「自由連想法」による分析を応用してみるのが良いのではないかと思うわけです。
というのは、論理的に説明しても納得してもらいにくいのなら、感情的に納得してもらうというアプローチが必要であると考えられるからです。

もちろん、まずは、さきほどの老子的なアプローチも重要と考えます。つまり、「国の借金大丈夫だ派」も「国の借金もうダメだ派」も両方とも正しい、という立場に立つことが大前提となります。


「国の借金コンプレックス」の解析

で、次に、フロイト風の分析ですが、まあ、要するに「国の借金もうダメだ派」の皆さんに以下のような質問をしてみるわけです(なお、一般のプロフェッショナルでない人に聞くほうが良いかも知れないですね)。

「『国の借金』と聞いて、ぱっと思いつくのはどういったことですか?キーワードでもイメージでも何でもいいので、ぱっと思いつくものを教えて下さい」

すると、こんな答えが返ってくるかも知れません:

「1000兆円」
「返済不能」
「借金地獄」
「生き地獄」
「雪だるま式に借金が増える」
「夜逃げ」
「一家離散」
「破綻」

つづいて、もし「破綻」という言葉が返ってきたとしたら、こう聞いてみるのも良いかも知れません:

「『破綻』というと、どういったことでしょうか?ぱっと思いつくままに教えて頂けますか?」

で、以下、例えばこんな感じ:

「いや、なんか国が借金で首が回らなくなって大変なことになる、ってことかな」

「国が借金で首が回らなくなって大変なことになる、というと例えばどういったイメージでしょうか?」

「いや、何かワシら自身も一家離散になったり、生活が破綻したりとか、そんなイメージかな?」

「なるほど。うーん、では、もし仮に、日本政府が借金で首が回らなくなって破綻したとしてもですね、仮に、自衛隊や警察や消防や海保が食べ物とか電力とかガソリンとか生活に必要な物資を確保して、ちゃんとあなたの家までクロネコヤマトの宅急便かなんかで送ってくれるとしたらどうでしょう?つまり、政府が破綻しても、あなたの生活が破綻しないとしたら、どうでしょう?」

「ほえ?政府が破綻しても我が家は破綻しないって、そんなアホなことあるんかいな?夕張とか大変やったんとちゃうの。」

「確かに、夕張は大変だったようですね。では仮に夕張のように破綻したとしましょう。そのときに、仮に、ですよ。仮に、政府がうまいこと戦時中のような配給制度を作れたとして、それで、あなたと家族の最低限度の生活がしっかり保障されるとしたらどうでしょう?」

「ははあ、配給ねえ。そういうことやったらもしかしたら何とかなるかもなあ…。でも、そんなんほんまに出来るんかいな?」

「ご心配はごもっともです。そこでですね、もし、政府が財政破綻する前に、一所懸命に投資して、食糧自給率とエネルギー自給率を100%にできたとしたらどうでしょう?」

「そりゃ、もしそんなことが出来たとしたら、何とかなりそうかもなあ…」

「ちなみに、“国の借金”と“関東大震災なみの巨大地震”だったら、どっちが怖いですか?」

「うーん、やっぱ“巨大地震”のほうが怖そうかな?」

…とまあ、こんな感じで、その人物が「国の借金」に対して、具体的にどのような恐怖や不安を抱いているかを連想ゲーム的に聞くことで分析し、気持ちを十分にくみ取った上で、押しつけがましくせず、できるだけ丁寧に、ソフトタッチにやってみる、という感じです。
そして、最終的に「日本は外貨建てで借金してないので、いざというときは日銀がバンバンカネを刷りまくれば大丈夫。問題はインフレだけ。いまの日本は世界屈指のデフレ状態。国の借金なんかよりも、モノが足りているかどうかのほうがすっと重要。日本は、デフレのうちにモノが足り続けるような投資をすれば、将来も安泰。云々」ということを納得してもらう。
というようなことが、穏当にして妥当なアプローチということになるのではないかと考える次第です。

つまり、まず大前提として「国の借金は大丈夫だ派」と「もうダメだ派」は両方とも正しい、という立場に立ち、次に「国の借金」に対する恐怖や不安に関係する一連の心的内容物、すなわち「国の借金コンプレックス」の解析をしたうえで、丁寧に対処しましょう、というご提案であります。
これが私なりの「国の借金」問題に関して「徳を積む」方法の具体例の一つです。


フロイトの精神分析における「ダジャレ」の重要性

ところで、若干脇道にそれますが、フロイトの「自由連想法」に関連して、ダジャレがいかに重要か、について。

そもそもからして、自由連想法はいわば感情的なダジャレの活用法ですが、フロイトの精神分析では様々なダジャレが活用されます。

例えば夢の中で何かしらキーワードになるような単語が出て来たとして、実はその単語と似た音の別の単語に深い意味があった、などということがあり得るわけです。

あるいは別の形のダジャレとしては、夢の中で相互に何の脈絡もない、合計で三つの「馬鹿げた出来事」のストーリーが展開されたとします。実はその人が本当に馬鹿げていると感じていたのは、自らの結婚生活のことだった、というようなちょっと入り組んだものもあり得ます。
もちろんその本人は自分の結婚生活が馬鹿げているというのは意識的には思っていなかったし、そんなことは思うべきですらないと考えていたので、それで夢のほうでは意識による検閲を避けるために、そんな回りくどいことをしていたわけです。

まあ、詳しくはフロイトの「精神分析学入門(上) 井村恒郎+馬場謙一訳」をお読み頂ければと思いますが、その本の中で、フロイトは「創造というのは、何か新たなものを作ることではなくて、一見して相互にまったく関連の無さそうな、実はすでに存在しているものをいくつかくっつけただけに過ぎない」というような趣旨のことを書いています。
大抵の発明はこのようにして生まれるのかも知れません。

私の「国全体の連結バランスシート」の発想も、すでに存在していた「企業の連結決算」の考え方をマクロ経済に転用したに過ぎません。そして、これも言ってみれば自由連想法的なダジャレの一種です。

相互にまったく関係なさそうなものをくっつけて新しい何かを生み出す、というような、ダジャレ的なものを活用して問題を解決に導くというようなことは、日常生活でもよく見受けられることではないかと思います。

おやじギャグを連発するだけで、ほかにはまったく大した才能が無い、と思われているような人がいたとしても、その人の中には、実は隠された偉大なる創造的才能が眠っているかも知れません。

個人心理学の考え方を政治やマクロ経済を考えるために応用したり、逆に、政治やマクロ経済の考え方を個人心理学に応用したり、という試みを行うことも、これもまたダジャレの一つと言えます。私の個人的感覚では、このような形で心理学と政治・経済について取り組むことこそ、まさにほかならぬ「天下の谷」に至るための最大の幹線道路です。


「徳」について、たった六文字でまとめてみる

では、もう一度本題の「徳」の定義と、「徳を積む」の定義の話に戻ります。これまで、かなり長~い説明をしてきたので、物凄くコンパクトにまとめてみたいと思います。ただ、短すぎるので、結局、それなりの分量の説明が必要なのですが!

まず、孔子の発言録である『論語』に次のような言葉があります。

「徳は孤(こ)ならず」(原文は「徳、不孤」)

徳のある者は、孤立することはない、必ず良い仲間がいる。というような意味合いです。

ここで、「孤(こ)」という文字ですが、漢和辞典によると、原義は「少ない。寡(か。“衆寡敵せず”の寡。これも少ない、という意味)。」です。

また、昔の中国の君主は自らを指す一人称として「孤(こ)」や「寡(か)」、「寡人(かじん)」という言い方を用いていました。これは自らを謙遜する言い方です。
「孤」や「寡」は「少ない」という意味ですが、何が少ないのかというと、つまりは、徳が少ない、ということでしょう。自らを「不徳の人」と称することで、古代の君主たちは謙遜していたわけです。

といったことを踏まえると、「孤(こ)」を「徳」の否定形、反義語として定義しても良いでしょう。
そうなると、だいぶ前のほうで書きましたように、徳を「調和、均衡、秩序のある状態」とするならば、孤はその正反対、「不調和、不均衡、無秩序の状態」を意味するものと解釈できます。

孤立、孤独、疎外感といったものは、不調和、不均衡、無秩序と大いに関係があると言えます。というのは孤立、孤独、疎外感に陥っている人がいるとしたら、その人の精神状態は、不調和、不均衡、無秩序に陥っているということが、十分にあり得ることだからです。

でも、「極めて攻撃的」という意味で「不調和」な精神の持ち主の人たちが徒党を組んで、犯罪集団やテロ集団を形成していたら、その人たちは仲間がいるので孤独とは言えないのではないか、ということになります。しかし、その集団は社会全体からすれば孤立していると言えるかも知れません。

もちろん、そんな集団が大義の旗印を掲げ、徳を積むことを志向することで、いつしか大衆の絶大なる支持を集め、正式な政府にとって代わるようなことは、もちろんあり得ることです(世界各地で歴史上、そのようなことは実際に何度も起きています)。
しかし、その場合はまさに文字通り「徳は孤ならず(徳不孤)」を体現したことになるでしょう。

というわけで、徳の反義語として、徳の否定形を意味する文字として「孤」を設定したいと思います。
そして、さらには「徳は孤ならず(徳不孤)」の対となる言葉を考えてみたのですが、私は次のような言葉を考案してみました:

「孤は徳を益(ま)す」 (→「孤、益徳」)

「益」は「利益」の「益」ですが、この「益」の字は「皿の上に水があふれている形」の象形であり、増える、増すという意味です。

というわけで、
「孤は徳を益(ま)す」 (→孤益徳)
という言葉には「何らかの不測の事態によって、精神が調和から不調和に陥いり、“孤”の状態になったときこそ、そこで不調和に再び調和をもたらすことように創意工夫をすることで、徳を益す(増す)ことができる」という意味を込めました。

『三国志』に出て来る猛将、張飛は、親の付けてくれた名(諱 いみな)にの「飛」に対応して、「益徳」という字(あざな)を名乗りました。

彼は、徳を益す(増す)ことで、飛躍するのだ、という意気込みを表したのでしょう。
(ただ、張飛は徳を減らすことで、非業な最期を遂げる羽目になったと言えますが…)

ちなみに、張飛が仕えた劉備は、親の付けてくれた「備 そなえる」という諱(いみな)に対して、「玄徳」という字(あざな)を名乗りました。
字(あざな)は通常、二十歳のときに自分でつけます。玄徳、すなわち、他人が外からは見えないような心の深いところに備える徳、と名乗った劉備は、かなり若いころから天下を志していたのでしょう。
ほとんど流浪の身から三国のうちの一国の皇帝にまで登りつめた彼の字(あざな)は、「玄徳を備えて、成り上がろう」というような、野心満々の名付けであったと解釈できます。

というわけで、「徳」と「徳を積む」に関して六文字でまとめると

「徳は孤(こ)ならず」 (→「徳、不孤」)
「孤は徳を益(ま)す」 (→「孤、益徳」)

徳、不孤。
孤、益徳。

となります。
さて、これを図解すると以下のようになります。





上図において、「徳」はいわば通常の状態であり、「孤」は異常な状態あるいは非常事態です。
何らかのきっかけで「徳」(調和、均衡、秩序)の状態から「孤」(不調和、不均衡、無秩序)の状態に陥ったときこそ、「徳」を磨く絶好の機会であり、そこで「孤」から「徳」の状態に復帰させることができれば、「徳を益す(増す)」、つまりは、徳を積むことになります。
この繰り返しにより、生涯「徳を積む」、「徳を益す(増す)」ということを続ける、つまりは、徳を積み続け、成長し続けることを目指すのが人生ではなかろうか、と思う次第です。


「孤」の精神状態に陥ったときに、「徳」に戻す、つまり「徳を益す(増す)」ための具体的な方法のとしては、次のようなことが考えられます。

「孤」の状態、つまり、不均衡、不調和、無秩序の状態に陥っているということは、必ず、心の中で葛藤が生じていることになります。つまりは、あなたの中で、あなたに謀反を起こしている派閥が存在しているわけです。
この派閥の存在を確認し、その存在を肯定し、所領を安堵してやることで、なんとか手なずけてしまう、というのが一つの効果的なアプローチとなるでしょう。

もっと単純な方法を一つ挙げておくと、いま自分自身が「孤」の状態に陥っているかどうか、自分で質問してみることです。
「あれ?いまワシ、どんな状態?あ、ひょっとして『孤』の状態か?…あら、かなりやばいくらい『孤』かな??いや、そうやな。たしかに『孤』みたいやな」
というように自問自答するわけです。
これは先ほどのフロイト風の精神分析の最も単純な形での応用法と言えます。
要するに自分に向けて質問することで、客観的立場の自分を呼び起こしつつ、自由連想法的な問答を一つか二つくらい展開してみる、というわけです。
『孤』の状態に陥っていることを、客観的に確認し、そうなっている部分が自分の中に存在していることを肯定し、所領を安堵してやることで、少しでも手早く冷静さを取り戻そうという試みです。

さて、注意事項としては、この心の中の「反乱勢力」は存在を否定され、抑圧されればされるほど、より一層暴れる可能性が極めて高いということです。

また、この「徳を益す(増す)」ための具体的な方法に関しては、先ほど〔「徳を積む」とは?〕の項で述べました「死ぬほど嫌いな人に対する激しい怒りの感情を、中和して鎮静化させる方法」も、ご参照ください。

なお、以上で挙げた方法は、私なりに検討してきたことを例示しているに過ぎません。心理学の良さは、自分自身を実験台にしていろいろと試すことで、自分なりの研究開発を独自に行えるところにあります。


それはそれとして、上の図はまた、一国、あるいは、世界全体の経済の成長過程にも当てはまります。
その図がかなり上の方に行ってしまったので、もう一度掲載しておきます:




例えば、第二次世界大戦で「孤」の状態に陥った日本は、その後、まがりなりにも「益徳」に成功し、一気に飛躍しました。


はて、そうすると…、今の日本はどうでしょうか?
「孤」の状態でしょうか?
「徳」の状態でしょうか?
この場では私は、敢えてどちらであるとも言わずにおきたいと思います。

それから、上の図は、名城大学の木下栄蔵教授の「通常経済、恐慌経済」の理論ともぴったり整合します。
まず、「徳」が「通常経済」です。
このとき、民間経済は「調和、均衡、秩序」の状態なので、政府はほとんど何もしなくて良い状態です(やるべきは基本的に金融調節のみ)。
一方、「孤」が「恐慌経済」です。
ただ、「孤」は「不調和、不均衡、無秩序」ですから、「恐慌経済」に陥る直前の異常なバブル経済をも「孤」に含めれば良いでしょう。「孤」の状態では、政府は積極的に民間経済に干渉すべき、ということになります。ただし、あくまでも「益徳」となるように、次の成長につながるようなインフラ整備など、できるだけ有意義な投資を行うという創意工夫が必要と言えます。
 この「創意工夫」こそが「益徳」です。

経済や政治に関してもう一つだけ例を挙げると、経済格差が過剰に大きくなっているのが、まさに「孤」(不調和、不均衡、無秩序)であり、格差が適正範囲内である状態が「徳」(調和、均衡、秩序)です。
なお、格差がまったく無いとか、必要以上に小さ過ぎるというのも好ましい状態ではないものと思われます。この状態においても、何だかんだと言って、やはりどこかで不満を募らせる勢力が現れるだろうし、また、最低限必要な競争心が消失することで技術革新も完全に停滞してしまうため、世の中が不安定化するように思われます。そういうわけで、もう一度整理しなおしましょう。
「徳」:経済格差が適正範囲内-治安良好で経済も安定成長しやすい状態
「孤」:経済格差が適正範囲外-治安も経済も不安定化しやすい状態


さて、ちなみに、すでにお気づきの方もいらっしゃると思いますが、これはドイツ哲学でいうところの弁証法、アウフヘーベン(止揚)そのものです。上の図で、
徳→正
孤→否
益徳→合
と置き換えてやれば、そのまま弁証法、アウフヘーベンの説明図になります。


おわりに

もし冒頭で書いたような「アメリカが世界の盟主の座を降りてしまった、あるいは、降りる準備を始めてしまったのではないか」という私の読みが仮に、残念ながら、当たっていれば、これから、日本にとって極めて厳しい時代が訪れるかも知れません。
つまり、日本全体としてかなり強度の「孤」の状態になってしまうかも知れません。

仮にそうなったとしたら、今回私が書いた枠組みに沿って考えると、日本は、政治リーダーから一介の庶民に至るまで、一丸となって「益徳」に励まなければならない、ということになろうかと思われます。

しかしもちろん、これはあくまでも理想論に過ぎません。到底、一個人が扱えるようなことではあり得ないので、とりあえず自分一人だけでも「益徳」につとめるしかないか、と考えるのが現実のようにも思えます。
さてここでも理想を追い求めることと、現実的な対処をすることが両方とも正しい、と考えたとき、私なりの答えの一つが「とりあえず、ブログ上だけでも取り急ぎ発表しておこう」ということになり、それで今回、かなりの時間をかけて、この長ったらしいエントリーを書き上げました次第であります。

もちろん、今回書いたようなアイディア、考え方は私なりの、私自身に適するような方法論に過ぎない、かも知れません。
しかし、もし一人でも多くの読者の皆さま方に、「ああ、ここの部分は自分にも役に立ちそう」と思って頂ける箇所があれば、あるいは、少しでも多くの皆様方に「ユングやフロイトの個人心理学がマクロ経済や政治を考える上で役に立ちそうだ」と思って頂けたとしたら、私としましては、幸甚の至りと存じます。

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