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廣宮孝信 ひろみやよしのぶ

Author:廣宮孝信 ひろみやよしのぶ
工学修士(大阪大学)、都市情報学博士(名城大学)。
2009年、著書「国債を刷れ!」で「政府のみならず民間を合わせた国全体の連結貸借対照表(国家のバランスシート)」を世に送り出した経済評論家、"国家破綻セラピスト"です。
「アイスランドは財政黒字なのに破綻!」、「日本とドイツは『破綻』後50年で世界で最も繁栄した」--財政赤字や政府債務GDP比は、国家経済の本質的問題では全くありません!
モノは有限、カネは無限。国家・国民の永続的繁栄に必要なのは、国の借金を減らすとかそんなことでは全くなく、いかにモノを確保するか。モノを確保し続けるための技術投資こそがカギ。技術立国という言葉は伊達にあるわけではなく、カネとか国の借金はそのための手段、道具、方便に過ぎません。
このように「モノを中心に考える」ことで、国の借金に対する悲観的常識を根こそぎ打ち破り、将来への希望と展望を見出すための”物流中心主義”の経済観を展開しております。”技術立国・日本”が世界を救う!
 お問い合わせは当ブログのメールフォーム(下の方にあります)やコメント欄(内緒設定もご利用ください)や、ツイッターのダイレクトメッセージをご利用ください。

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601:「恐怖は安全に対する願望の裏返し」+【ご案内】李登輝 元台湾総統に合いに行こう(日本 修学院 台湾研修講座 『武士道とトップリーダーの実践』)

2014/01/15 (Wed) 17:15
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前回も色々とコメントを頂き、ありがとうございました!

コメントを頂くと何かと良い刺激になります。
「刺激」というのは、そこから何かしら必ず“連想”することになるからです。
(詳細は、1月3日のエントリーに書きました、ユングの「コンプレックス」の概念や、フロイトの自由連想法の辺りをご参照ください)


さて、その「刺激」によって、今回はもう少し「恐怖」という概念について書いてみたいと思います。

前回書きましたが、人間の体内において恐怖の感情を発生するメカニズムは、「本来的には生物にとって生命保全のための危険回避行動を取るために必須」の機能と言えます。

これについてもう少し生理学的な説明を加えておきますと、危険に対して身体を俊敏に動かし、「闘争または逃走」するための態勢を即座に整える反応が生じることになります。
その態勢とは、例えば心拍数、血糖値、血圧の上昇、毛細血管の収縮といった、無酸素運動をスムーズに行うための準備などのことです。(ほかにも、ホルモンバランスの変化その他もろもろのことがあります)

そして、この「心拍数、血糖値、血圧の上昇、毛細血管の収縮」といった生理学的な反応がストレス反応ということになります。


それはさておき、「生命保全のための危険回避行動を取るために必須」の機能というのを、別の言葉に置き換えますと、「安全確保のために必須」の機能ということになります。

つまり、恐怖とは安全に対する願望の裏返しと言えます。裏返しどころか、恐怖とは安全に対する願望そのものとすら言えるかもしれません。
すると、
恐怖、あるいは、恐怖反応=ストレス反応というのは、生物学的には、安全確保のための機能であり「善」であると言えるでしょう。

しかし、この恐怖反応、ストレス反応が時として暴走することによって、極度に攻撃的になることがあります。
人間、強烈なストレスを感じると攻撃的になりがちですが、それは本来は安全確保のための機能が誤作動した、ということになりましょう。
本来は「善」であったとしても、そのような状態は残念ながらもはや「善」とは言えず、「悪」ということになるかも知れませんが、これはバランスが崩れた状態、と規定して良いかも知れません。

といったわけで、「善」と「悪」というものもまた表裏一体であり、互いに密接に関係しているとも言えるでしょう。
生物学的には本来「善」であるはずの機能が過度に作動すると「悪」になり得るし、「悪」も多少のバランスを回復すれば「善」になり得ます。


以上のことを踏まえますと、例えば、
「国の借金に対する恐怖」というものがあるとすれば、それは「生活の安全に対する願望」の裏返し、あるいは「生活の安全に対する願望」そのものであり、「恐怖」であるからには、究極的には必ず「善」であると言えます。

また、もし仮に「国の借金に対する過剰な恐怖」というものがあるとすれば、それは、「過剰」であるならば「悪」ということになるかも知れません。しかし、多少なりともバランスを回復して「適度な恐怖」となったとすれば、これはやはりかなり確実に「善」ということになろうかと思います。


それから、私は以前米国における秘密主義的なTPP推進の背景には「強欲」すなわち「富を失うことに対する恐怖」=「貧困に対する恐怖」があるのではないかというようなことを書きました。

もう少し厳密には

「強欲」=「富を失うことに対する過度の恐怖」=「貧困に対する過度の恐怖」

と言えるかも知れません。

「恐怖」という限りは、その正反対の願望、つまりは「富を得たい、貧困を回避したいという願望」であり、究極的には、実は「善」であると言えます。ただしそれが「過度の恐怖」や「過度の願望」であるならば、そこに大いなる問題があるかも知れません。



さてここで、

「善」=バランスの取れている状態
「悪」=バランスの崩れた状態

としますと、1月3日のエントリーで書いた「徳」と「孤」の定義にピタリとハマります。

「善」=「徳」=調和、均衡、秩序
「悪」=「孤」=不調和、不均衡、無秩序


という具合です。

強欲、過度の恐怖、過度の願望は「孤」ですが、適度の欲求、適度の恐怖、適度の願望ならば、これは「徳」であると言えるのではないかと思う次第です。



ところで、最近のコメントで、

「最近の日本は経常赤字が定着してきましたね」

ということを書いて下さった方がいます。

穏やかな言い方なので、趣旨は正確には分かりませんが、経常赤字が定着して、政府の財政破綻や日本経済の破局に一歩近づいているのではないかという不安を表明されているのかもしれません。

もちろん、そうではないのかも知れませんが、「日本の経常赤字化が不安だ」ということであると仮定してみます。

では、とりあえず財務省の「国際収支の状況」を見てみると…

財務省 国際収支状況
Ⅰ.国際収支総括表
(データ期間:平成8年~)
s-1-4 月次
(単位 億円)

経常収支 (a+b+c)
平成25年 1月 2013 Jan -3,484
2月 Feb 6,497
3月 Mar 12,831
4月 Apr 7,844
5月 May 5,666
6月 Jun 3,777
7月 Jul 6,004
8月 Aug 1,571
9月 Sep 5,948
10月(P) Oct(P) -1,279
11月(P) Nov(P) -5,928
(P)は速報値を示す


です。
10月、11月は速報値で赤字が続いていますが、
1月から11月をとりあえず合計してみると39,447億円(3.9兆円)の黒字となります。

12月次第ですが、恐らく通年では黒字になるのでは無かろうかと思われます。

が、「今後この赤字傾向が強まったらどうなるか不安だ」と考えることもまた正しいと思われます。

つまりは、日本経済が、私がいうところの「孤」の状態(不安定な状態)になったらどうしたら良いかという不安です。
その不安は、「孤」の状態(不安定な状態)に陥った時に、できるだけ早く「徳」の状態(安定した状態)に回復させたいという願望の裏返しとも言えるでしょう。
私は、「不安」になることも、その正反対のことを望むことも、両方とも正しいと考えます。


では、経常収支に関して「徳」の状態(安定した状態)に回復させるにはどうしたら良いでしょう?

例えば、原発の運転を停止させていることで膨れ上がっている燃料代の問題が、この経常赤字化の大きな原因だと思いますが、この問題について考えることが必要となるのではないかと思います。

選択肢としては、
①「原発を再稼働させる」
②「原発に代わる自国内で調達できるエネルギー源を開発する」
③「①と②を両方とも正しいと考え、両方とも同時に推進させる」
といったことが考えられるかも知れません。

なお、私としましては、日本が仮に経常赤字体質になったとしても、当面はそれほどの問題が無いのではないかと考えています。

ヨーロッパのユーロ圏における経常黒字国と赤字国の明暗や、米、豪、NZなどの経常赤字国の安定などを考え合わせると、先進国の経済が著しく不安定化するのは、経常赤字が続いて対外債務国に陥った上で、さらに対外債務が外貨または実質建てであることが重なることがカギだと考えるからです。詳細は過去のエントリーをご参照ください。


さてさて、
「いや、それだけではやはり不安はぬぐえない」
と感じられる場合でも、それはそれで正しいと考えます。

その場合にご提案したいのは、過去に経常赤字や外貨建て借金で苦しんだ国が、どうやってそこから抜け出したかについて調べてみることです。

例えば、第二次大戦前の日本は、長い間、経常赤字と外貨建て借金によってさんざん苦しみ続けた経験があります。特に、日露戦争時に多額の外貨建て借金を背負いました。そのような状況でどうやって経済を運営していたのか、について調査することは「経常赤字によって“孤”に陥ることの不安」と「そこから“徳”の状態に戻りたいという願望」という正反対の事柄をうまく治めるために、非常に有用ではないかと思います。

また、第二次世界大戦直後の、さらに悲惨な事態からどうやって立ち直ったか、ということも詳細にしらべてみることも良いでしょう。あの物不足の強烈なインフレの時代をどうやって乗り切ったか?
当時の政治主題のひとつは、「食糧があと○○kcal分足りない」というようなものでした。
また、当時は日本を含む外貨が不足している国々の間で物々交換貿易をする「バーター取引」というようなこともなされていたと言います。
それから、とにかく産業の基礎中の基礎である鉄や石炭の生産のために資金と資源を重点配分する「傾斜生産方式」というやり方が採用された時代でした。

こういったことについて詳細に調べてみることは、「全面戦争における徹底的な破壊によって経済的に“孤”に陥ることの不安」と「そこから経済的に“徳”の状態に戻りたいという願望」という正反対の事柄を両方ともうまく治めるために、非常に有用ではないかと思います。





というようなわけで、
新年から書いていた一連のエントリーにおいて提案したいことを少しまとめておきたいと思います。

一つは、ある考えと、それと正反対の考えを両方とも正しいと仮定することで、新しい考えを生み出そうと試みることです。
例えば、資本主義と社会主義を両方とも正しいと仮定すると、「第三の道」という発想が生まれることになります。

自分の考えについて、それに対して真っ向から否定する考えの人がいるとき、ぜひ一度、「自分も相手も両方とも正しい」と仮定してみて下さい。何かいままで思いつかなかったような良いアイデアが思いつくかもしれません。

ちなみに、ですが、私は現在、
資本主義(自由主義)も社会主義(保護主義)も両方とも本来は生物として種の保存のために必要な機能や性質が起源になっているのではないかという仮説を持っています。
自由であることの生命維持のための必要性としては、例えば、狩猟民族が獲物を得るためにはかなり広い範囲の地域を自由に往来しなければならなかった、というようなことが考えられます。
保護主義であることの生命維持のための必要性としては、例えば、農耕民族が安定的に食糧を収穫するためには自分たちの土地を長期間、外敵から守り抜くために団結・連帯しなければならなかった、というようなことが考えられます。
もう少し、原始的に考えると、ライオンなどの肉食獣は小集団で行動する傾向(個の自由度が高い傾向)があるように思えるし、一方で、ヌーなどの草食動物は驚くべき規模の大集団で行動する傾向(個の自由度が低い傾向)があるように思えます。

このような仮説に従うと、資本主義(自由主義)も社会主義(保護主義)も生物学的には両方とも正しいということにならざるを得ないのではないかと思うわけです。そして、状況に応じて、民族の性質や経済の発展度合に応じて適宜使い分ければ良いのではないか、とも思う次第です。


さて、もう一つは、ある考えと、それと正反対の考えを両方とも正しいと仮定することで、自分自身の感情を安定させることにつなげることです。

例えば、何かについて怒ることも、怒らないことも両方とも正しい、と仮定してみることです。
怒りや不安、恐怖といった否定的な感情に陥っているとき、それは「心の中で2つ以上の勢力が対立し、ぶつかり合っている状態」を仮定できます。
これがつまりは、葛藤です。

すると、物凄く怒っている状態のときには、「怒りたい派閥」と「怒りたくない派閥」の2つの派閥が厳しく激突している状態であると仮定できます。

(1)仮に、「怒りたい派閥」にだけ100%賛成し、怒りに拍車をかけることに一方的に荷担するとします。すると、その人の精神は余計に不安定化するでしょう。先ほど書いたような生理的な反応、すなわちストレス反応が強化されることで、ますます怒りの度合いが強まってしまうからです。

(2)一方、仮に「怒りたくない派閥」に一方的に加担し、「怒ることは間違いだ」といって「怒りたい派閥」を徹底的に弾圧するとします。すると弾圧された「怒りたい派閥」は一時的には鳴りを潜めるかも知れませんが、あとになってあなたの隙を突いて大攻勢を仕掛けてくることで、あなたが著しく精神の平衡を失うことになってしまう可能性があります。

さて、(1)も(2)も、葛藤し、対立しているどちらかの派閥を全面的に否定しているということになります。というわけで「第三の道」です。

(3)「怒りたい派閥」と「怒りたくない派閥」の両方ともを正しいと仮定してみます。つまりは、「これについて、怒ることも、怒らないことも両方とも正しい」と考えてみる、というわけです。これは、互いに正反対の性質のものを両方ともうまく治めることを通じて、心の中のすべての領域をうまく治めようとする試みであると言えます。
私の場合、このようなやり方でかなり色々と楽になっています。一時的に頭に来ることがあっても、以前よりもかなり短時間で怒りを鎮静化できるようになりました。読者の皆さまにもぜひ、一度お試し頂ければと思います。

というような、正反対のものを両方とも正しいと考えることが老子の言うところの「天下の谷(この世のすべてを収める巨大な器)」であり、それが「常の徳は離れず」の状態であると考える次第です。


つぎに、

【お知らせ】です:

以下、福岡県行橋市市会議員 小坪慎也さんのホームページより


「李登輝 元台湾総統に合いに行こう(日本 修学院 台湾研修講座 『武士道とトップリーダーの実践』)」

のご案内です。


--引用開始--

お世話になっております。
本日は、李登輝先生への表敬を含む訪台についてのご案内です。

李登輝先生に、会いに行きましょう!

↓申込はこちら(日程あり)↓
【募集のご案内】日本 修学院 台湾研修講座



李登輝先生よりその名を冠することを許可されている「日本李登輝学校 修学院」の研修視察になります。
主催団体の「日本李登輝学校」とはなんぞや?と思われる方もおるやもしれません。
いわゆる怪しい団体ではなく、今回の訪台で11期となります。
実は私自身(廣宮注:ここの「私自身」とは小坪氏のことです!念のため。)も、主催者側(修学院福岡の理事)であります。

昨年は三時間にも及ぶ講義(そして潤沢な質疑応答の時間)を取って頂きました。
参加者は二十名と選抜された少数で、日本語での、李登輝先生本人からの講義になります。
また、同じく日本語で質疑応答の時間を設けてくださっております。
少数でありましたから、直接本人と会話することも可能です。
非常に有意義な訪台でありました。本当に素晴らしい経験を積ませて頂きました。


このように例年、素晴らしい訪台視察なのですが、今まではほぼ告知をしてきておりません。
「李登輝先生に会える!」「一緒に写真が撮れる!」となりますと
妙な輩もわいてきてしまい、逆に失礼ではないか、と。
今まではそう思っておりました。

しかしながら、李登輝先生がご高齢ということもあり、(体力的な面から)ご無理をお願いすることも難しくなってきます。
このような研修を組めるのは、本年が最後になるやもしれません。

今回は「できるだけ多くの国士に会って頂きたい」という思いが強いのです。
そこでネットでも告知を行い、できるだけ多くの方々と台湾に行ければと思っております。

李登輝先生に直接会える、しかも費用的な面、日程的な面より参加が難しい方も多いと思います。
申し訳ありませんが「facebookのイイネ」や「ツイート」で拡散をお願いします。
日本を愛し、そして台湾との友好を支持する日本人がたくさんいることを李登輝先生にお伝えしたいからです。
拡散のほどよろしくお願いします。

追伸になりますが、渡邉哲也氏(大戸締まり役)と廣宮孝信氏も一緒に行きます。
もちろん私、小坪も行きますが、保守系の大物(?)と台湾に行ってみませんか?
そして李登輝先生の講義を受け、共に台湾の歴史を実地で研修しましょう!

--

日本李登輝学校・修学院
– 第11期・台湾研修講座 -

「トップリーダーの姿に、まなぶ。」

学校長:李登輝(台湾・元総統)
院長 :久保田信之(修学院院長・学習院参与)
演題 :武士道とトップリーダーの実践

主催 :日本李登輝学校 修学院
協賛 :日本の心を伝える会

開 催 概 要
2月21日(金)
・李登輝 元総統による研修講義。
講義終了後、李登輝元総統より研修修了証が授与されます。
・台湾財界人を交えての懇親会。

2月22日(土)
・対日関係責任者による経済・貿易・文化に関する交流会。
・台湾東北部への観光ツアー

2月23日(日)
・自由行動。(最終便で帰国)

【申込締切】1月31日(金)

↓以下より申込ができます。
【募集のご案内】日本 修学院 台湾研修講座

 

--引用ここまで--

というわけで、渡邉哲也さんや私も参加させて頂くことになっている、李登輝元総統による台湾での研修会のご案内でした。




さて、台湾といえば…
私はいわゆる「台湾問題」についても、
「老子スタイル」の「私も正しい、あなたも正しい」という仮定から出発するのが良いのではないかという仮説を持っています。

これについて具体的に書き出すと、色々と語弊その他の問題があるような気がしますので、抽象論の出発点だけに留めておきますが!


というわけで、



 結局、今回も
 
 『老子スタイル』

 というオチなのねん♪



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コメント

1343:Re: ありがとうございました。

yosinariponさん
コメントありがとうございます。
若干不適切かもしれない表現があるように思いましたので、一旦、頂いた貴重なコメントを削除させて頂いた上で、その箇所を除外したものを以下に再掲載させて頂きました。すみません!

yosinariponさんのコメント:
私は、最近韓国人に対する憎しみがどうしようもなく高まっていて、(削除)。でも、この記事に書いていることを試してみればその思いも和らぐような気がしました。廣宮さん、ありがとうございます。それにしても台湾、私も行きたいですが、無理そうです。残念、、、。

2014/01/16 07:53 | 廣宮孝信 ひろみやよしのぶ #- URL [ 編集 ]
1344:すべてのものは必要 ただしバランスが重要

今回もすごくためになるエントリーでした。ありがとうございます。

私は近頃、自分のブログhttp://ameblo.jp/claemonstar/で体の仕組みと経済の関連について一種の思考実験をやっているのですが、体内に存在する様々な分子にはそれぞれ役割があり、どれも重要だと考えております(医学の世界では「この分子が悪い、この分子が良い」というような言論を目にすることはしばしばあるのですが)。代表的なものでいえば血糖値を上げるホルモンと血糖値を下げるホルモンですね。これらは血糖値を安定させる(「徳」の状態にする)には両者とも必要なものです。
本エントリーにもあります「強欲」もおそらく天変地異などが起きた時に生き延びるためには必要な能力なのでしょう。
例えばデフレ不況という「孤」の状態であるから、「強欲」が悪であるように見えるのであって、「強欲」を排除することでは問題は解決しません。デフレ脱却し「徳」を取り戻せれば、「強欲」もまたある意味では「徳」となるのかもしれません。

若干、意味不明な表現があるかもですが、思ったことを書かせていただきました。

2014/01/16 13:45 | くらえもん #- URL [ 編集 ]
1345:Re: すべてのものは必要 ただしバランスが重要

くらえもんさん、
コメントありがとうございます。

貴ブログ、興味深く拝見いたしました。ダイエットの動機付けの考察で財政問題を考えるということなど、非常に面白いと感じました次第です。

> 体内に存在する様々な分子にはそれぞれ役割があり、どれも重要だと考えております(医学の世界では「この分子が悪い、この分子が良い」というような言論を目にすることはしばしばあるのですが)。代表的なものでいえば血糖値を上げるホルモンと血糖値を下げるホルモンですね。これらは血糖値を安定させる(「徳」の状態にする)には両者とも必要なものです。

これはまた興味深いお話ですね。
ちなみに、世界的な脳科学者(神経科医)のアントニオ・ダマシオの著書によれば、血糖値とかホルモンの状態の変化が「情動emotion」であり、それを身体内の各種センサーによって収集された種々の信号を脳で感知するのが「感情feeling」ということになります。
つまり、感情とは身体状態をいかに感じているか、ということです。
そして、論理的思考も実際にはこの身体状態を使って細かくyes no の判定を繰り返すことによって最終的な結論というか判断を下すことになります。つまり、論理的思考もまた、「すべての記憶が多かれ少なかれ、必ず感情とセットで記憶されている」という仕組み=連合学習を有効活用することで行われるというわけです(なお、細かくyes no の判定を繰り返して複雑な処理を行う点は、半導体スイッチの0と1、オフとオンの羅列によって処理を行うコンピューターにそっくり同じです)。
このような一連の仕組みについてダマシオは、身体的なという意味の「ソーマティック」という言葉を使い、「ソーマティック・マーカー仮説」と名付けています。
というわけで、身体内の生理的な仕組みを知ることは、感情を知ることにつながり、論理的思考の仕組みをも知ることにつながり、人間を知る…人間の身体だけでなく心理についての知見も得られる、ということつながるのではなろうかと思われます。
また、日本語では「感じる」を「思う」とか「考える」と似たような語感で使うことがしばしばあるように思いますが、このダマシオの「ソーマティック・マーカー仮説」に従えば、「考える」とか「思う」は「感じる」の連続体であるので、実際、これらの言葉は似たような概念を指すものであるとも言えます。
そう考えると、「相手を論理的に納得させる」ということは、「相手を感情的にも納得させる」ことをも最終目標としなければ決して完成することは無い、という仮説も立て得ることになります。

> 本エントリーにもあります「強欲」もおそらく天変地異などが起きた時に生き延びるためには必要な能力なのでしょう。
> 例えばデフレ不況という「孤」の状態であるから、「強欲」が悪であるように見えるのであって、「強欲」を排除することでは問題は解決しません。デフレ脱却し「徳」を取り戻せれば、「強欲」もまたある意味では「徳」となるのかもしれません。
>
> 若干、意味不明な表現があるかもですが、思ったことを書かせていただきました。

いえ、完全に理解できます♪ ありがとうございます。
「すべてのものは必要 ただしバランスが重要」というくらえもんさんのコメントのタイトルがすべてを物語っているように感じ入る次第であります。

さて、「恐怖」についてもう少し補足させて頂きますと、例えば、フロイト、ユングと並び称される心理学者であるアドラーは、「問題のある子供」の心理について、恐怖を感じられない子供は問題がより深刻だと言っています。恐怖を感じられない子供というのは、残念ながら、なかなか教育しようがないからです。
私なりの例えを考えてみますと、恐怖を感じる機能が欠落している人がいるとすれば、仮に火事に巻き込まれた際、危険であることを一切感じないため、逃げようということを思いつかず、逃げ遅れてしまう危険性が高まってしまいます。
つまり、恐怖感情、恐怖の情動というのは生活のために必要不可欠なものであるというわけです。
しかし、恐怖が強すぎると、日常生活において常におびえ続けなければならず、それはそれで正常な生活を営めなくなるため、問題があります。
「強欲」も恐怖の一形態であるならば、程よい水準であれば私益と公益を両立してやろうという動機付けにもなるでしょう(「徳」)。しかし、強すぎれば、やはり問題が生じるでしょう。場合によっては、公益を損なうばかりでなく、肝心要の私益ですら破壊しつくしてしまいかねません(「孤」)!

2014/01/19 10:04 | 廣宮孝信 ひろみやよしのぶ #- URL [ 編集 ]
1346:ありがとうございます

>貴ブログ、興味深く拝見いたしました。ダイエットの動機付けの考察で財政問題を考えるということなど、非常に面白いと感じました次第です。

ご覧いただき誠にありがとうございます。更新は不定期ですが、また見に来ていただけますと幸いです。

>、「相手を論理的に納得させる」ということは、「相手を感情的にも納得させる」ことをも最終目標としなければ決して完成することは無い、という仮説も立て得ることになります。

おっしゃる通りだと思います。と言っても洗脳とは意味合いが違って、納得できないという感情を排除するという意味ではなく、納得できないという感情を抱え込んでコントロールするという意味なのだろうと解釈いたしましたが。

「恐怖」の補足も大変分かりやすかったです。
普遍的に「悪」の存在(あるいは普遍的に「悪」の感情でもよいですが)というのは、この世にないのではないかと思ったりすることもあります。なぜならば、そのような存在は「孤」の存在であり、「徳」と成り得ないのであれば、淘汰されてしまっているはずだからです。よって、「すべてのものは必要」であり「重要なのはそのバランス」と考えるに至りました。

今後の更新も楽しみにしております。

2014/01/20 22:00 | くらえもん #- URL [ 編集 ]

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