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廣宮孝信 ひろみやよしのぶ

Author:廣宮孝信 ひろみやよしのぶ
工学修士(大阪大学)、都市情報学博士(名城大学)。
2009年、著書「国債を刷れ!」で「政府のみならず民間を合わせた国全体の連結貸借対照表(国家のバランスシート)」を世に送り出した経済評論家、"国家破綻セラピスト"です。
「アイスランドは財政黒字なのに破綻!」、「日本とドイツは『破綻』後50年で世界で最も繁栄した」--財政赤字や政府債務GDP比は、国家経済の本質的問題では全くありません!
モノは有限、カネは無限。国家・国民の永続的繁栄に必要なのは、国の借金を減らすとかそんなことでは全くなく、いかにモノを確保するか。モノを確保し続けるための技術投資こそがカギ。技術立国という言葉は伊達にあるわけではなく、カネとか国の借金はそのための手段、道具、方便に過ぎません。
このように「モノを中心に考える」ことで、国の借金に対する悲観的常識を根こそぎ打ち破り、将来への希望と展望を見出すための”物流中心主義”の経済観を展開しております。”技術立国・日本”が世界を救う!
 お問い合わせは当ブログのメールフォーム(下の方にあります)やコメント欄(内緒設定もご利用ください)や、ツイッターのダイレクトメッセージをご利用ください。

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641:阪神大震災20年――私が「震度7直撃」の体験から得たもの:強烈な孤独感への対処方獲得への道筋

2015/01/18 (Sun) 16:26
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私は、格差拡大、それによる社会の不安定化の根本的原因は、

①国の借金に対する恐怖

②富を失うことに対する恐怖(=強欲)

という二つの恐怖だと考えています。

①の恐怖によって、各国は格差拡大による社会不安の増大を防ぎ、将来の生産能力不足を防ぐための投資を行うことができなくなってしまいます。また、この恐怖により、財政政策よりも金融政策に依存しがちになり、それは
国連開発計画の報告書によれば、金融の不安定化とさらなる格差拡大につながってしまいます。つまり、国の借金に対する恐怖(過剰な恐怖)を克服しない限り、これからも格差拡大は止まらず、各国の社会の不安定、世界全体の不安定はますます拡大してしまうでしょう。

②の恐怖によって、富裕層がますます富裕層により有利なルールを作ろうとして、資金を投じて政治家を支援し、それによってますます格差が拡大し、不安定化してしまう可能性があります。そうなると本来はその富裕層の皆さんの身を危険にされすことになるのですが・・・(それを身をもって示してくれたのが故カダフィ大佐と言えます)

恐怖とは本来、危険を回避するための生物が備えている防衛本能であり、生命の保存、種の保存のための機能であり基本的機能です。
しかし、上記の私の説明のとおりであるとするならば、その危険回避のための本能である恐怖によって、人類社会の危険がどんどんと高まっていると考えることができるでしょう。

よって、
これからの世界の安定、日本の安定のために、極めて重要と思えるのが、
「恐怖とは何か?どのようなメカニズムのものなのか?」、
「恐怖とうまく付き合い、この厄介な本能的機能を使いこなすにはどうしたらよいか?」
という問題と言えるでしょう。


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↑この本の目次項目一覧はこちら

↑この本の一部を
無料公開中(「経済にそれほど関心はないが、スポーツや自己啓発などに関心がある」というような方に本書をPRするための資料です。周囲の方に本書をお勧めする際など、ご活用下さい)

↑この本についてゆるーく語り合う
フェイスブックのグループ
 「日本経済のミステリーは心理学でトロピカル」
 https://www.facebook.com/groups/1472415033007299/
 フェイスブックにアカウントをお持ちの方はふるって上記のグループにご参加して頂ければ、と思います(いまのところ、参加要請があれば「来る者拒まず」の方針でメンバーになって頂いております。※いまのところ、週一回ほど何か書いています^^

↑この本の「書評」を書いて下さっているブログの一覧はこちら





標題の件の前に、前回のスイスフランの話の補足です:

【スイス中銀が「突然」、ユーロ買いスイスフラン売りの介入放棄(レート上限撤廃)を発表した理由についての考察】

・事前に「、ユーロ買いスイスフラン売りの介入放棄しますのでよろぴく」と発表した場合
→スイスフラン買いが殺到してしまう。事前に通告した日時まではレートの「上限」を維持しなければならず、それまでは殺到する市場からのスイスフラン買いに対処するためスイス中銀はより多くのユーロを買わなければならない

・「上限」を少しずつ上げると発表する
→市場はフランが上がることを確実視するため、上記と同じくフラン買い殺到
→スイス中銀はより多くのユーロを買わなければならない

・逆に「上限」を下げるとと発表する
→場合によっては市場はスイスフランが下がることが明白なので、スイスフラン売りに走る可能性はある。しかし、スイス中銀の思惑通りに行かなければ、スイスフラン買いの圧力が変わらない状態で、フラン安にするためにスイス中銀がより多くのユーロを買わなければならなくなる可能性もある。

結論
・とにかく「より多くのユーロを買わなければならない」状況、その可能性を排除したいということが目的であるならば、突然に「介入もう止めます!」と発表する以外、
スイス中銀には選択肢が無かったと考えられる。

・また、突然に「介入もう止めます!」と発表することには大きなメリットが生じることも考えられる。
→例えば、発表の直前にユーロのプットオプションを大量に購入しておくことで、既にこれまでの介入過程で大量に購入しているユーロ建て資産の損失を回避できる。
  ここで、プットオプションとはデリバティブ(金融派生商品)の一種で、「ある金融商品について特定の値段で売る権利」のことです。例えば、いま100円である金融商品Aの値段が、近い将来50円に下がると予測できているとします。50円に下がる前に、金融商品Aを100円で売る権利を買っておけば、50円に下がっても、金融商品Aを100円売ることが可能になります。つまり、損失をあらかじめ防ぐことができるわけです。
 スイス中銀はユーロが安くなることは事前に予測できていたはずですから、介入中止の発表前にユーロについてプットオプションを買っておけば、発表後にユーロが暴落しても既に保有しているユーロ建て資産の損失をある程度はカバーできます。
 実際にスイス中銀がそんなことをしていたかどうかは分かりません。しかし、「突然の発表」の前に用意周到に損失を回避する準備をしていたのではないかと、このように憶測することは、あながち不自然なことではないでしょう。
 実際のところ、前回のエントリーで参照したスイス中銀(SNB)のデータで、スイス中銀の保有資産の項目に「Financial derivatives (金融デリバティブ)」があります。つまり、スイス中銀は、規模の大小はさておきデリバティブを日常的に買っているわけです。
 で、今回は既に保有しているユーロ建て資産の資産規模から生じ得る損失につき、「プットオプション」などのデリバティブでカバーできる規模を超えつつあるという判断もあって、これ以上ユーロ建て資産を買えないとスイス中銀は考えた。よって、突然のユーロ買いスイスフラン売り介入中止の発表となったのではないか、と考えることができるわけであります。


→と考えますと、やはりスイス中銀には「とにかくこれ以上ユーロは買えない」→「ユーロ、ヤバい」という判断であったのではないかという前回エントリーの結論は変わらない、と言うことになる次第であります。






では、本題の震災の話です。エッセイ的に書いてみたいと思います。


【何が起きたかさっぱり分からなかった地震発生当初】

1995年1月17日午前5時46分。

私はもうすぐ20歳の、当時大学2年生でした。

 たまたま当日に提出しないといけないレポートがあったので、早起きしてそれを作成しようと、
目覚ましのためにセットしていましたCDラジカセが鳴り始めていたときでした。

 何やらCDラジカセから雑音が混じり始め、最初は「あらゃ?故障か?」と思っていたのもつかの間。
 突然、ベッドが上下に激しく揺れ動き…、遊園地のアトラクションか何かのように、私の身体は何度か宙に舞うような感じで揺さぶられました。
 その後、横揺れもあったかもしれませんが、あまりよく覚えていません。
 なお、CDラジカセの雑音は、地震によって発生した電磁波が地震の振動派よりも先に到達したことで生じたものだと考えられます。何せ、電磁波は光速で到達しますので。

 とにかく、何が起こったのかさっぱり分からない、というのが一点。そして、揺れが続いているあいだは身体がまったく動かない、あるいは自由に動かせないというのが二点目。

 最初は「地震」という単語はまったく想起されず、「マンションが倒れるのか?なんか、短く、そして実につまらん自分の人生やったが、終わるときというのはとにかくあっけないもんやな。まあ、しゃあないか」という感想がまず浮かんだだけでした。

 揺れが収まって、ようやく自らの身体に対する主権が回復したとき、部屋の窓ガラスが粉々に割れ、真冬でしたので冷たい風がなだれ込んでくるのを感じるに至る、という次第でありました。

 マンションは結局倒れることはなく、私自身は幸いケガ一つ負うことはありませんでしたが、別室の母はテレビが足に落ちてきて打撲、兄は大きな本棚の下敷きになっていました――その本棚のガラス扉が砕け散っていました――が何とか無事、と言う具合でした。

 で、停電なので情報が得られず、何が何やら分からん状態でマンションの1階に下りて周りにいた人たちと会話していたところ、どうやら地震があったようだ、とようやく分かったのでした。「地震」と分かったところで、特に何をすべきか分からんかったので、とにかく家族ともども部屋に戻ったところ…

 ちなみに、この当時は神戸の中心街、三宮の南方3キロあたりにある人工島、ポートアイランドに住んでいました。
 西方の対岸の空が真っ赤に染まっていました。長田区の辺りです。火の海になっていたわけです。戦時の空襲もこんな地獄絵図だったのか、と茫然と眺めるほかはありませんでした…。

 そして夕方、幸いにもポートアイランドは電気が復旧。テレビをつけると、国道43号線の真上に高架で設置されていた阪神高速が根こそぎ倒壊していたり、阪急電車や阪神電車の線路が崩壊していたり、ポートアイランドと三宮をつなぐポートライナーの車両が線路ごと三宮あたりで落ちていたりといった、とてつもない映像の数々にただただ圧倒されるばかりでした。

 いや、何せ日常的に利用していた電車や車道がエライことになっていましたので、時間が時間なら、まあ、死んでいたな、と思ったものでした。

 この時の体験で、その後の私の中で死生観というものがようやく形成されていった、ということを覚えています。逆に言うと、それまでは哲学的なことについて、はっきり言って何も考えたこともありませんでしたが、自分自身の「死」について一瞬でも強烈に考えざるを得なかった体験は、やはりそういうことを考えることについて、強制力を持つようです。

「人の生き死に、長生きする人、短命に終わってしまう人の違いは何か?
 とくに大した違いはないのではないか?
 天命が尽きればあっけなく死ぬ。そうでなければ長生きする。それだけではなかろうか?」

というような具合です。


【恐怖の記憶は生涯消えない、という現象に関する、人生最初の実体験】

 地震発生から3日目だったと思いますが、ようやく三宮とポートアイランドをつなぐ神戸大橋が通行できるようになり、物資調達のため三宮方面に赴く父とともに三宮近辺に行ってみたところ、よく歩いていた場所でビルが倒壊して歩道や車道に横たわっていたり、5階建ての市役所旧庁舎の3階部分がひしゃげて無くなっていたり、とまあ、そこかしこで凄まじい光景を目の当たりにしたのでありました。

 いや、まあ、かなりの衝撃でした。
 これでPTSD(心的外傷後ストレス障害)になる人がいてもまったく不思議はないなあ、と思ったものです。といってもPTSDという言葉も日本では阪神大震災後にようやく普及するようになったものであるため、震災当時はもちろん、そんな言葉も概念も知らなかったわけですが。
 一方でその後、親族から大戦時の三宮近辺の空襲直後の地獄絵図の話――そこら中に焼死体がごろごろ転がっていたというような話――を聞き、それよりはこれでもかなりマシなのかも知れない、とも思ったりもする次第であります。

 ちなみに、その震災のあと余震がしばらく続いていたのですが、私や兄は余震が来ると「お、これは震度4!」と言ったりして、地震速報の値と比較して「当たった!」などといってられるくらいでしたが、母は揺れが来るたびに参っていた様子でした。
 いまでも大勢の人が歩いていると揺れるような歩道橋は苦手なようです。軽いPTSDのようなものだと思いますが、これが、私が著書で取り上げました「恐怖の記憶は生涯消えない」という人間の生物学的な仕組みなんだな、と今ではそのような理解をすることができます。


【しみじみと感じた自衛隊のありがたみ】

 電気はすぐに復旧したポートアイランドも、水とガスはなかなか復旧しませんでした。ガスはなくとも電気鍋でなんとか加熱調理可能だったのでそれほど困らなかったのですが、水はポリタンクにつめて階段で上り下りして補給という日々が続きました。
 我が家は6階だったのでそれほどではありませんでしたが、上層階の人は大変だなと思いました。電気はあったのでエレベーターも動いていましたが、さすがに揺れがきたときに「震度4!」とか当てものゲームをする余裕があっても、エレベーターはしばらくの間乗る度胸はありませんでしたので、かなり長い間、階段しか使わなかったものです。

 当時、水を供給してくれたのは、神戸市だけでなく周辺自治体の水道局や建設省(いまの国土交通省)、自衛隊の給水車でした。
 また私は、少しの期間だけ市内の小学校(自宅から数キロはなれた場所。市のボランティアセンターに電話して割り振られた)でボランティア活動をしていました。そこに救援物資を運んでくれていたのも自衛隊でした。
 私がいたとき、たまたま来ていたのは東北地方の部隊であったようでズーズー弁の隊員の方でした。腰を痛めながら懸命に支援活動をして下さっていました。この時、人生で初めて自衛隊のありがたみをひしひしと体感したのでありました。

 「少しの期間だけ市内の小学校でボランティア活動を」と書きましたが、私としては実はなんとも間の抜けたことをしでかしていました。
 なんと自分自身の住んでいたマンションの目と鼻の先にあった神戸市立中央市民病院で、停電期間中、重症患者の心肺機能を維持するため、手動でポンプを動かす人手が足りていなかったというのを後から知りました。
 いや、知っていたら行っていたのですが、電気止まってたのでテレビも見れんし、95年当時はスマホでネットみたいなシャレたものも無かったので、知る手段がなかったのですが…。


【蛇口をひねったら水が出ることの、とてつもないありがたみを実感】

 さて、震災から1ヵ月ほど後だったと思います。
 当時、ポートアイランドから関西空港(関空)までを約40分でつなぐ高速船の便があったのですが、こちらもようやく再開されるということで、ポートアイランドから関空にわたり、そこから電車で大阪府の北部にある吹田市の大学キャンパスに行きました。期末試験への対応とか、そういったことを科目ごとに担当教官に相談するためだったと思います。いやしかし、関空に到着したとき、手洗所で水道が勢いよく出るのを見て感動したのを覚えています。「これぞ文明の利器だ!」みたいな。


【人に理解されない類いの苦痛と強烈な孤独感】

 それはさておき、当時の私は生まれて初めて熱心に取り組める対象――大学入試の受験勉強以外で――を見い出していました。大学の部活動でのアーチェリーです。
 それまでは、なぜか「どうせ自分は何の才能もないし、何をやってもうまくいかん。何かを熱心に取り組んで失敗したらイヤやし」というわけの分からない消極思考に捉われた人間でした。
 それが、「三度の飯よりこれが好き」というくらいの熱意の的を見つけたのでありました。まあ、よくよく考えると何故そうなったのかよくわかりませんが、理屈などどうでもよいのかも知れません。
 震災の直前の冬休みにおいては、ほかの部員の人々、先輩も同輩も後輩も、みなスキーに行くなど遊びに行っているとき、私はアーチェリーの射場の鍵を預かり、一人、練習に励んでいたのでありました。
 雪の積もる中、月を愛でながらひとり的を射る、というのは、何とも乙なものでした。
 しかし地震の発生によりしばらくその三度の飯より好きなアーチェリーの練習ができなかったわけです。そして、震災から1ヵ月半くらいして、大学の近くの友人宅に止めさせてもらって大学に通い、アーチェリーの練習も再開させた次第です。そのとき、毎年恒例の大学のリーグ戦というものが迫っており、当時の私にとってはそれがとてつもなく重要なものでした。今から思えば、なぜそこまで、とも思いますが…。
 で、遅れを取り戻そうとして練習し過ぎたら、弓の絃を引く右肩をあっけなく痛めてしまい、それだけでなく全身あちこちの間接がひどく傷むようになったのでありました。首も膝もやたら痛むという具合です。
 それで、まあ、「不運」だったのは何かと言うと、痛めたのなら痛めたで、たとえば腱鞘炎だとか、骨折だとか、脱臼だとか、捻挫だとか、何かしらの傷病名が付けば、多少は周囲からの理解や同情を引くこともできたかもしれませんが、病院で検査しても特に「異常」とはならず、いや、「正常」だから大丈夫、気分の問題、くらいに言われるような状況に陥ったことでした。
 医者が「気分の問題」と言っている時点でその医者が心理学の知識ゼロということが丸わかりだったりするのですが、まあ、普通の内科医や外科医が心理学の知識ゼロだったのは、少なくとも当時では仕方のないことと言わざるを得ません。
 医者にも理解されず、それで、部活の人々にも理解されず、何やら居心地の悪い状態が続いたものです。「いや、あんたらがスキーやらなんやら、遊び呆けてたあいだ、こっちは正月の1日と2日と、年末に38℃の熱出して一日だけ寝込んだ以外、あんだけ熱心に練習しとったのに、弓が引けんようになって、とんでもなく悔しい思いしとるんじゃ」と思いつつ。まあ、とにかく「傷病名」がないと、大抵の場合、身体が弱っててもまったく同情されません。あるいは、同情を得ることは期待できないものです。
 それだけでなく、体調全般がガクッと悪くなり、それがひと月、ふた月、み月と続くと、あっというまにうつ状態に陥りました(心療内科などで診断してもらっていないので、実際は客観的基準からしてどうだったのか分かりませんが)。
 そしてひと月くらい大学にも行かず引きこもる時期もあったりしたものでした。毎日、朝目覚めると痛めた右肩がやたら冷えていてぞっとしたり、そんな状態が続きましたが、医者に行っても特に異常は見つからず、従って同情もされず、また、明確な治療法も見つからず、悶々としたものでした。
 しかし、幸いにもある時、ふと「山歩きでもしたら気分も晴れるかも知れん」と突然思いつき、新神戸の駅から神戸の山道を毎日散策しに行くうちに、あっという間に気力が回復したのでした。
 ただ、右肩を始めとする全身の間接の痛みはさほど回復しませんでした――とはいえ、こういった間接の痛みはカイロプラクティックや柔術整復師のところに通っているうちにだいぶマシになりましたが、実を言うと20年経った今でも首の痛みは完全には取れていない状況だったりもします。
 
 しかし、マシになったあとでも、この影響からか、これまでに何度か体調を大いに崩し、その後であれやこれや調べたり、専門家の助けを借りたり、自ら工夫したりして何とか回復する、ということがありました。今思えば、よくぞ死なずに生きながらえたな、と思えるような状態のときもありました。
 実を言うと20代の前半においては、あまりにも体調が悪いこと、それに加えて、人にうまく説明できず理解されないことによる強烈な孤独感によって、自殺を考えるほど精神的に追い詰められる――というよりは、今から思えば「自らを追い込む」というのが実態でしたが――こともありました。
 この要因として一番大きかったのはやはり、自分の抱える苦痛につき、人から理解されない、共感されない、あるいは共有しにくいという孤独感であったと思います。
 神戸大橋から飛び降りたらどうなるだろうとか、神戸の山のほうに分け入って飲まず食わずでいたらどんな感じだろうか、とか。まあ、そんなことを考えるたびに、「水死体はぶよぶよになってとても見れたものじゃないらしい」とか「山で行方不明になったらいろんな人に迷惑かけるから申し訳ない」とか考えて結局は打ち消していたのですが。


【「孤独感」がとてつもない恩恵に転ずることもあり得る】

 そういったわけで、「孤独への耐性をどうすれば強められるか?」ということが20年ほどまえからの私の人生最大のテーマとなって行った次第であります。
 以前だったら「孤独との戦い」という表現を好んだかも知れませんが、今は「孤独とのうまい付き合い方」とか「孤独の楽しみ方」、「孤独の活かし方」、「孤独と調和する方法」という表現を好みます。
 今となっては、私にとって「他人に理解されないような原因で体調がめちゃくちゃ悪くなったこと」は幸いでした。これによる強烈な孤独感は、私に心理学や心理学的なものに対する興味を強制的に湧かせ続けたからであります。

 そして今の私は 「孤独への耐性」というものは、社会全体の安定に必要不可欠と考えます。
 極端な例を挙げると、テロに走ってしまう人々の、そのテロに走る大きな原動力の一つが、ほかでもないその孤独感だと思われるからです。
 最近フランスで起きたテロ事件についても、テロの実行者たちが社会における疎外感を強烈に感じていたことが背景にある、というような解説がよくなされます。恐らくそれは正しいでしょう。
 そうすると、もし彼らが、周りから理解されないことに対しての耐性が極めて強かったら?そのための手法を自ら編み出せていたら?もしそれが出来ていたら、彼らは人生においてもっと別な選択をしていたのでは?などと想像してしまうわけであります。

 一人ひとりが孤独に対する耐性を強めることができれば、まずその一人ひとりが安定するわけですが、それが社会全体でなされれば、社会全体が安定することになるでしょう。その影響は世界中の政治、経済全般に及ぶものと考えます。
 そのような考えの集大成が冒頭で紹介している拙著「日本経済のミステリーは心理学で解ける」ということになります。
 というわけで、私がこの本を作り上げることの最初の出発点は、20年前の阪神大震災であったというわけであります。

 誰にも理解されない、共感されない。
 そのように感じることによって疎外感、孤独感が強まります。
 であるならば、自分自身がまず、自分自身の最大の理解者、共感者となることができたなら、どうなるでしょうか?
 恐らくは、その途端に疎外感、孤独感はかなり薄らぐでしょう。

 一方で、他人を完全に排除し、自分だけに理解、共感するだけであれば、やはり独りよがり、独善に陥る危険性はぬぐい切れません。

 そこで有用であると思われるのが、自分を理解してくれない人、共感してくれない人につき、自分のことを理解しないこと、共感しないことそのものに対して、理解、共感できるようになる、という道筋です。
 自分自身だって、世界70億人全員のことを理解、共感できるか、というと、まず間違いなく無理でしょう。つまり、誰かが誰かのことを理解、共感できないということは間違いなくあり得る、ということになります。
 であるならば、自分が他人を理解、共感できないことがあり得るのと同様に、他人が自分を理解、共感できないこともあり得るのだ、ということを事実として認め、それに対して理解、共感することも可能かも知れません。
 

 孤独に対する、よりうまい対処法を会得すること。
 それが「徳を積む」ということだと考える次第であります。






 孤独との戦い、いや、孤独との付き合い方によって

 一人ひとりの人生のみならず、

 一国の命運、世界の行き着く先、人類社会の未来

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1462:敗戦と言う最大の衝撃からの復活

 日本は未だ連合国の占領下にある、つまり周恩来の言う経済的植民地だということをご存知しょうか?

 講和条約発効後も占領が続いてるなどありえないと思われるかもしれませんが、戦時国際法により占領地は必ず占領前主権者(日本の場合は天皇)に返還する必要があります。しかし、本来憲法を超越する存在であるはずの天皇は、現「日本国憲法」99条により憲法の下に置かれて名目上の国政機能すら失い、”返還”は不可能になっています。

 占領は、治安維持のために占領前主権者により統治機構が回復するまで継続する義務があるわけですから、天皇が国政機能を回復しない限り、占領(経済的植民地状態)は終了しないことになります。

 安部政権の目指す「日本を取り戻す」とは、まさに、占領終結を目指すものと思われますが、この事実を知っただけでも日本の景気は回復するんじゃないでしょうか?日本は今も、大日本帝国をそのまま受け継いでます。
 講和条約で放棄したのは、領土そのものではなく、領土であることによって派生するすべての権利だけ。主権、というのは、親権、と同じく、権利だけでなく義務をも含む概念。そもそも、すべての権利をもっているのは占領前主権者である天皇であって、本土自治政府に過ぎない現日本政府ではありません。

日台共栄促進会
http://jtcpa.weebly.com/

2015/01/21 19:36 | 戦後政権日本国≒ヴィシー政権フランス国 #- URL編集 ]

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